1987年、社会変化の声は大きかったが
政治的渦の中に巻き込まれながら
市民社会でなく野党が主導権をつかむ
政治勢力妥協のため根本的な変革は挫折
「独裁・民主」の構図→「保守・進歩」に歪曲
李明博・朴槿恵政権で独裁遺産の復活
2017年「ろうそく」現在進行形の革命
市民が要求した改革として完成すべき
「野党の政治勢力は権力との妥協的な方式による政権獲得ないし権力配分に執着するため、民主化の徹底した実現、民衆的な要求の収斂をおろそかにする可能性が大きい」
32年前の1985年、当時の民主化運動勢力の主要拠点の一つだった「民主化運動青年連合」(民青連・初代議長キム・グンテ)は、会報『民主化の道』11号(11月5日)でこのように書いた。民青連は「民主制改憲」闘争を宣言し、「完全な民主主義の保障、民衆的な経済秩序の樹立、民族統一の意志の貫徹」など三つの目標を掲げた。「大統領直接選挙制」が「民主化」のすべてと糊塗される可能性を憂慮し、これに対抗して根本的な社会変化を要求したのだ。
2年後の1987年6月10日、広場に鳴り響いた「護憲撤廃、独裁打倒」のかけ声は「大統領直接選挙制」を獲得した。ネクタイ部隊が街にあふれ出し、ビルからは催涙弾の煙の中をトイレットペーパーが降ってきた。全国各地で、正確に集計さえできないほど多くの国民が街頭に現れたそのとき。民主化運動の底に流れた、韓国社会を根本的に変えなければならないという切実な要求は、韓国社会の最初の「市民社会」を誕生させた。87年の戦後民主言論運動、労働者運動、女性運動のような市民社会運動が旗を上げ、これまでの社会変革に向けた種になったのは言うまでもない。しかし残念さは残る。当時、社会経済的条件を変えようという下からの多様な声が「直接選挙制改憲」という課題のために後回しにされたからだ。これまで学界では概して権威主義勢力と民主化勢力の間の「妥協」で達成した「87年体制」の限界をその理由として指摘してきた。「6月抗争」が「直接選挙制改憲という最小綱領的要求のみを実践した政治協約」(チェ・ジャンジプ高麗大学名誉教授)として急いで処理されたということだ。
6月抗争30周年を迎えた最近、学界では87年の成果はそのまま認めるが、その時燃えた変革の火種を引き継ぐべきだという声が出ている。広場の「ろうそく」が大統領を退陣させ、政権交代を成し遂げた今日、再び訪れた変革の機会を逃してはならないということだ。7日に開かれた「6月抗争30周年記念学術討論会」でチョン・イルジュン高麗大学教授(社会学)は「87年の6・29民主化大妥協は政権と反対勢力の間の『破滅的な均衡の結果』だった」と明らかにした。権威主義政権と民主化勢力のどちらも相手に対して絶対的優位を占められないなか、「大妥協」が行われ、「抗争」が社会を根本から変える結果をもたらすことができず残念さを残したというのだ。カン・ウォンテク・ソウル大学教授(政治学)は、最近季刊『歴史批評』119号で、6月抗争後の改憲過程を主導した「8人の政治会談」が各自の利害によって「直接選挙制」という制限的な目標を追求したと分析した。一方、「87年体制が公正な競争、手続き的民主主義の回復という当時の政治的目標をかなりの程度で実現」した点を高く評価した。
これに比べパク・テギュンソウル大学教授(韓国現代史)は、制度政治圏の「妥協」より社会運動勢力自ら持つ限界が大きいと批判した。『歴史批評』119号に掲載した論文で彼は『民主化の道』を分析し、80年代の社会運動勢力が夢見た社会改革の高い理想と挫折を指摘した。民青連は、当時公開的に社会運動を行った唯一の団体で、1984年3月に創刊した会報『民主化の道』は民衆運動の全体的な方向性を提示するうえで大きな役割を果たした。特に世界の情勢と国内情勢を総合的に分析した『情勢の動向』は、今でも想像しがたい高いレベルの現実認識を示していたという。例えば、創刊号の『情勢の動向』を見ると、当時、世界体制が米国とソ連の両極化体制から「新冷戦体制」に変化していると分析し、その下で輸出主導型経済成長をしてきた韓国経済の対外従属性と経済的不均衡など内部の跛行性が深まっていると説いている。パク教授は「統一問題と『独占財閥解体』とに圧縮される社会経済的矛盾の解決が、当時最も目立った二つの傾向性」だと指摘した。当時、徐々に形成された市民社会は、新自由主義の波の端緒を発見しており、「匙階級論」「経済民主化」などの談論で果てしなく繰り返されている韓国社会の問題も、すでに水面下で沸き立っていたということだ。
当時、社会運動勢力はある程度正確な現実認識に根を下ろし、明確な改革の方向を提示した。『民主化の道』が提案した「民主制改憲」の内容を見ると、単なる「大統領直接選挙制」を越えて「肥大化した大統領の権限を縮小し、国会の機能を活性化する」、「国民抵抗権を新設し、参加民主主義を保障する」などの提案も登場する。「民衆的な経済秩序の樹立」のような要求は30年余りが過ぎた今も急進的に感じられるほどだ。「最低賃金制実施」、「働く権利の実際的保障」、「(制憲憲法に盛り込まれた)『利益均霑権の復活」、「労働者の経営参加権の保障」、「納税負担の平等の実現」などの細部項目も同じだ。分断体制の克服が社会変革の必須課題だという認識もまた込められていた。
それなら、こうした重大な要求はどこに行ったのか。パク教授は「『政治的な渦』の中に吸い込まれていった社会運動勢力自らの責任も少なくない」と指摘した。当時、社会運動勢力は87年の改憲過程で、制度圏野党に主に頼って排除された。その後の政権では政治空間に進出したりもしたが、根本的な要求を現実化することには失敗した。そのような中で、民衆の独自の政治勢力化のための空間自体も消えた。パク教授は「『独裁対民主』の構図が『保守対進歩』の構図に歪曲される現象が、この時に起きた」と指摘した。「保守対進歩」というフレームの下で「独裁遺産の清算」という時代的課題が力を失い、そのように生き残り積み重なった弊害が李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政府に至り、また復活しえたということだ。
ソン・ホチョル西江大教授(政治学)は、今月3月に出版した本『ろうそく革命と2017年体制』(西江大学出版部)と「6月抗争30周年記念学術討論会」発表で「ろうそくデモに参加した多くの市民が望んだのは、単純な朴槿恵の物理的退陣を超え、より根本的な韓国社会の変化だった。そのため『抗争』に止まった6月抗争とは違い、今回のろうそくデモは『ろうそく革命』と見なければならない」と明らかにした。「まだ終わっていない『現在進行形の革命』」という意味づけだ。
30年前の6月抗争は「直接選挙制を勝ち取る」という1次的目標だけでは代表されえない、巨大な社会変化の要求を持っていた。2016~17年のろうそく広場にあふれ出た様々な階層と世代の要求は、87年6月抗争が生んだ市民社会界の拡張であり、当時の抗争が撒いた種の発芽だと言える。学界の分析は、30年前の市民社会が生みだした広場民主主義の精神を抱いて下からの声を忘れないでこそろうそくデモも初めて「抗争」ではなく「革命」の位相を得られるだろうという診断でもある。一世代が過ぎたが、いまだ87年の6月抗争が終わっていない理由はここにある。