本文に移動

[寄稿] 光化門の幽霊ではない労働者たち

登録:2017-04-25 09:40 修正:2017-04-25 15:12

 何が変わっただろうか? 大統領朴槿恵(パク・クネ)は権力の座から引きずり下されて弾劾され、拘束されて今監獄で処罰を待っている。しかしこの体制は変わったのだろうか? 私たちは変わったか? 今の大統領選挙局面はどうか? こうした疑問が1600万のろうそくの心を絡め取っているのではないか? 一口で言って、こんなことのために5カ月の間ろうそくを掲げたのだろうか? ここに全身を投げ出してメッセージを送っている人たちがいる。ソウル光化門(クァンファムン)交差点、地上40メートルのサムスン広告塔の上に綱で体を縛りつけ、食を絶って高空籠城8日目の労働者たち。それはまさに大韓民国の最長期闘争事業場であるコルトコルテックの労働者をはじめ、整理解雇され、非正規職で労働組合を作るやいなや解雇され、労組破壊に抗して闘ったけれども如何なる解決方法も見出すことができなくて広告塔に上った、6つの事業場の6人の労働者たち。

 彼らは光化門のろうそくが灯っていた5カ月の間、幽霊でない幽霊であった。誰も彼らにほとんど注目しなかった。 この国は、彼らが10年という長期闘争事業場になるまで注目しなかった。 これを称して 「労働の社会的孤立」とも言い、「労働の欠けた民主主義」とも言う。しかし今回灯されたろうそくも注目しなかった。第1回のろうそくが灯されるとすぐに、彼らは「パク・クネ政権退陣非常国民行動」(退陣行動)の発足より8日早い11月1日に上京して「パク・クネ退陣のための時局座り込み」を光化門の政府ソウル庁舍の前で始めたにも拘らずだ。

 しかし、知っているか?彼らが 22回にのぼる週末のろうそくが消えないように、平日のろうそくを守って来た主力隊伍だという事実を。彼らは第1回のろうそく以後、初めから終わりまでプレスセンター前と光化門広場の平日のろうそくを一日も欠かさず守った。皆が回を重ねるごとに記録的な速度で更新する週末のろうそくのもの凄い規模に歓呼したけれども、ろうそく市民は週末が過ぎれば自分の日常と職場に戻っていった。これをろうそくの限界と言う人もいた。日常を変えることができなかったろうそく、形式化されたろうそく。しかしそうではなかった。そのろうそくは平日にも灯っていた。社会的原子、そして主力はほかならぬ「朴槿恵退陣のための闘争事業場共闘」の労働者たちだった。

クォン・ヨンスク労働社会学者

 そしてろうそくは5カ月の間ずっと、朴槿恵弾劾のみで燻ぶっていた。12月の国会弾劾以後は、また待つことの連続だった。その間に世の中を変える新しい意志の集約された共通のスローガンへと集めることができなかった。 それが限界だった。 そして今やいわゆる「バラの大統領選挙」だ。執権欲を遺憾なく示しながら、誰も彼もが私が優れている、私を信じてくれと言う大統領選候補たちの言葉の盛餐。ろうそく大統領選挙と言いながら、自分が最高の代理人であり、ろうそく民心の代弁者であると敢えて主張する彼ら。ろうそくは代議制民主主義に対する拒否であり、新しい民主主義の始まりと言っていたのに、そうじゃなかったのか?

 答はまだあの光化門にある。朴槿恵退陣を一番先に叫んだ労働者が、労働悪法粉砕と労働法の全面制・ 改定を要求して高空ハンストに入った。彼らこそ87年の6月抗争の政治的民主化を越えて社会的民主化と平等な世の中を叫んで沸き起こった7, 8, 9月の労働者大闘争の後裔である。2017年の労働者大闘争は、今やこれら辺境の労働者たちから始まるだろう。

 これは単に彼らだけの闘いではない。この闘いは、この社会の絶対多数を占める2500万労働者の現実を変えることにより世の中を変えようとする闘いだ。私はろうそくが労働と結びつく時、大韓民国は変わると考える。とりあえず 4月22日からの連帯ハンストの1食ハンストとメーデー前夜の 4月30日午後7時の光化門集会への参加を切に訴える。

クォン・ヨンスク 労働社会学者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/791624.html 韓国語原文入力: 2017-04-20 18:30
 訳A.K

関連記事