前回のコラム「死の山々」で、悪夢について語った。トランプ米大統領登場か、という悪夢である。あれからひと月余、5月3日のインディアナ州予備選の結果、トランプが共和党候補者指名を確実にした。悪夢はまた一歩、現実に近づいたのである。
ブッシュ父子やロムニー前大統領候補など、共和党の重鎮政治家たちがトランプ不支持の態度を明らかにしていることが、わずかな希望と言えばいえるだろうか。アメリカの保守党は、エスタブリッシュによる伝統的保守派と排外主義ポピュリストとに分裂しようとしている。分裂すれば、それはそれで悪いことではないが、その過程で大混乱が避けられないだろう。混乱に直撃され犠牲を強いられるのは米国内外の少数者と弱者である。全世界の進歩勢力は覚悟を決め、団結して混乱に立ち向かうとともに、この試練の先を見通す針路を提示しなければならない。
前回のコラムを、私はニューヨークで書いた。講演のため日本からコスタリカに往復する経路で立ち寄ったのである。コスタリカは小さな国だが、世界で唯一、軍隊を持たない国である。日本も同じように憲法上武力を持たないことを宣言している国だが、その規定は形骸化して久しい。それだけでなく、自衛隊が憲法違反だというのなら憲法の方を変えて正式な軍隊にしようという主張が、首相自身をはじめ主要政治家の口から公然と飛び出すようになった。
「いまでは世界で非武装国家は名実ともコスタリカのみになりましたね」と、私が現地で出会った教授や学生たちに話しかけてみると、自分たちはこれからも何があろうと非武装の原則を守り通していくと明るい表情で答えてくれた。コスタリカ国民の大多数が、自国が非武装国家であることを幸せに感じ、誇りに思っているのである。
全世界で軍事主義と排外主義が高潮していく中、コスタリカの人々は、いつまでその原則を守っていけるだろうか。こんな現代の世界で、武装せずに平和に暮らす人々の国が、たったひとつでも存在することの大切さを想像してみる。希少動物の絶滅が生態系の破滅的破壊を予告するように、この小国がその理想と平和を守り通していけるかどうか、そこに人類全体の未来がかかっているとすら私は思う。
私がニューヨークを訪ねたのはおよそ30年ぶりのことである。当時(80年代後半)の韓国は軍政時代で、私は政治囚の早期釈放を訴えるため、さまざまな人権団体や市民団体を訪問していた。遠く日本から15時間近くも飛行機に乗って、ある人権団体にようやくたどり着いてみると、高級そうなスーツを身に着けた金髪の女性スタッフがニコリともせず、私には聞き取りにくい早口の英語で、「OK,あなたに15分あげましょう」と告げた。15分!…15時間の飛行の後で、しかも、たどたどしい英語で15分。心が折れそうになったが、気を取り直して政治囚への虐待や人権蹂躙の諸法規について、精一杯語った。思えば彼女の対応も無理はないのだ。当時はチリ、アルゼンチン、フィリピン、台湾など世界各地から、私と同じような訴えを抱えた人々が、必死の思いで集まっていた。彼女はそのすべてに対応しなければならなかったのだから。(あれから30年たったが、いまも世界中に同じような訴えを抱えた人たちが溢れている。)
正確に15分後、相手は椅子から立ち上がった。不親切な試験官の面接を受けた気分だった。反応はよくわからないが、なにか具体的な成果があるようには思えなかった。その後、街に出た。時間がたくさん余ってしまったが、この見知らぬ街に私に付き合ってくれる知人はいない。「アメリカなんか大嫌い!」と心の中で吐き捨てながら、憂鬱な心を抱えてブロードウエィあたりを歩き回った。
こんな時、人はどこへ行くのだろうか? 公園? 酒場?……私はいつも、美術館だ。メトロポリタン美術館(MET)、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、フリック・コレクション、近代美術館(MOMA)……それから数日間、私はニューヨーク市内の主な美術館を回り、中世の巨匠から現代の異端児まで、多くの美術家たちと心の中で対話したのである。アメリカは好きじゃないけれど、美術館は悪くない。そう思うようになった。
30年後の今回、トランプの悪夢が迫るのを感じながら、むかしと同じ憂鬱な心を抱いて美術館を巡り歩いた。METの常設展だけで丸2日かけたが、まだ見尽すことはできていない。印象に残った展示を挙げておこう。ドイツ・オーストリアの近代絵画を展示するノイエ・ギャラリー(Neue Gallery)には今回初めて入ったが、そこではたいへん充実したムンク展を行っていた。MOMAの特別展示は「ドガ」だった。踊り子の姿を好んで描いた19世紀印象派の巨匠だが、今回の展示では私が気づかなかった新しい面、いわば暗い側面を見ることができた。ドガは、当時パリで殷賑を極めた売春宿とそこに生息する女性たちに特別な愛着を抱いて、暗い色調のドローイングを多数残していたのである。女性を対象として審美的にのみ観察するのではない、もっと自然主義文学的な情動がそこに感じられた。
近年移転して新しくなったホイットニー美術館の最上階フロアーでは、ローラ・ポイトラス(Laura Poitras)の大規模な個展「Astro Noise」を見ることができた。
ポイトラスはアメリカの国家情報局の内部情報を暴露したことで当局に追われ、モスクワへと亡命したエドワード・スノーデンと連絡を取り合い、彼とのインタビューを「Citizenfour」という映像作品にした女性だ。彼女自身、米政府のブラックリストに挙げられ、現在まで何回も拘束されたという。今回の展示も「監視社会」を問題化する内容だ。
「Bed Down Location」と題されたインスタレーションでは、観客は部屋の中央に設けられた広いベッドに横になり、天井を見上げる。そこには満点の星がきらめくイエメンやパキスタンの夜空が映される。しかし、やがて陽が昇ると、空は無人攻撃機ドローンで埋め尽くされるのだ。
個展の最も大きい部屋では大型スクリーンに多様な人々の顔がスローモーションで流される。みな唖然として言葉を失ったような表情。泣いている者もいる。どうやら「9・11」の直後にグラウンド・ゼロを眺めている人々らしい。しかし、この作品はこれで終わりではない。スクリーンの裏に回ると、そこには画質の悪いモノクロの映像が映されている。物置のような部屋に連れてこられた男が床に跪かされる。米軍兵士らしい人物がライフルの銃口を男に向け、「お前はアルカイダだろう」と尋問する。男が否定すると、兵士は「パキスタン政府に連絡して、お前の妻を拘束することもできるのだ」と脅す。これはアフガニスタンでの容疑者尋問の、どうやら実写場面のようだ。登場した二人の容疑者はその後、グアンタナモ収容所に送られたとのことである。なんと知的に挑発的な作品であることか!身の危険を冒してこういう作品をつくるアーティストがまだいる。それをニューヨークの真ん中で公開する美術館がある。自己検閲が常態化した日本ではどうだろう? 韓国では? そう考えると、アメリカにもまだ良いところがあると思えてくる。
MOMAには久しぶりにゴッホの「糸杉」に挨拶しようと出かけた。そこで「現代アメリカ派」という部屋に入った。片隅の壁にかかる小さな油彩に目がいった。
「あ、ベン・シャーンだ…」懐かしい旧友に出遭った気分だ。思えば彼こそが、私にとって「善きアメリカ」の代表する作家だ。その作品は「ある鉱夫の死」(1949)である。
http://ayay.co.uk/backgrounds/paintings/ben_shahn/death-of-a-miner.jpg
ベン・シャーン(Ben Shahn, 1898年9月12日 - 1969年3月14日)は、リトアニア生まれのユダヤ系アメリカ人である。1906年、7歳のとき、アメリカに移民した。ニューヨークのブルックリンに住み、石版画職人として生計を立てた。肉体労働者、失業者など、底辺の人々に共感を抱き、戦争、貧困、差別などのテーマを扱い続けた。大恐慌時代は、アメリカ庶民を題材に優れた写真を多く撮った。ディエゴ・リベラのロックフェラー・センター大壁画制作助手を務めた。第二次大戦中は反ナチ宣伝ポスター制作に腕を振るった。終戦後も平和運動に献身し、1954年の南太平洋核実験で被爆した日本の漁船第五福竜丸をテーマにしたシリーズを発表した。たびたび来日し、戦後日本のイラストレーターやグラフィックデザイナーたちに大きな影響を与えた。(ただし、日本人アーティストの側が、彼の技法ではなく、その精神をどれだけ学んだかは、別の検討課題だ。)
そういうわけで、私自身も若いころからベン・シャーンの作品に親しんできた。1930年代以後のアメリカにおける進歩的芸術運動の命脈がここに続いている。民主党の大統領候補予備選では、バーニー・サンダースが若い人たちの支持を得て予想外の大健闘をみせている。彼が本選に出て勝利するとまでは思えないが、それでもこれは確かに、アメリカ社会の希望的兆候であろう。ニューヨークで旧友ベン・シャーンに再会して、そんなことを思った。
韓国語原文入力:2016-05-19 20:13