フランスの思想家、ルソーは代議政治を批判して次のように書いた。
「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。」
ルソーのこの言葉は、そのまま今の日本政治にも当てはまる。7月10日の参議院選挙の投票日までは、安倍晋三首相は憲法改正について全く触れなかった。今年の年初から、憲法、特に平和主義をうたった9条を改正することに強い意志を示し、参議院でも改憲発議に必要な3分の2の議席を獲得したいという希望を表明していた。しかし、参議院選挙の選挙戦では、安倍自民党は憲法争点に一切触れなかった。世論調査で憲法改正に消極的な民意が明らかになり、野党が憲法改正阻止を掲げて協力体制を組んだことから、逃げ回ったわけである。経済政策だけを訴えて、国民の消極的な現状維持という選択を引き出したということができる。
そして、選挙で勝利し、憲法改正に賛成する勢力が3分の2を獲得すると、次のように語った。
「どの条文をどう変えるべきかについて、(国会の)憲法審査会で議論が収斂(しゅうれん)していくことが期待される。自民党は常に憲法改正を掲げ続けてきた。(党憲法)改正草案の実現は党総裁としての責務でもある。
改正は衆参それぞれで3分の2(以上の賛成での)発議が必要で、そう簡単なことではない。わが党の案をベースにしながら、いかに3分の2を構築していくかが、まさに政治の技術と言っていい。」(朝日新聞7月12日朝刊)
自民党の憲法改正案を土台に3分の2の合意を形成することが政治の技術だとは、国民に対するだまし討ちを正当化する途方もない開き直りである。
安倍首相が参議院選挙の後に豹変することは、ある程度政治を見ている国民にとっては予想された事態である。つまり、国民の多数派は憲法問題には無関心で、消費税率引き上げを先送りし、景気回復を訴える安倍政権に任せておけば自分たちの生活は当分維持されるだろうと判断したということができる。このような国民を、権力者は馬鹿にしているのであろう。
2018年12月の衆議院の任期切れまで、安倍政権は衆参両院で3分の2以上の改憲勢力を確保できる。この好機に、安倍自民党は憲法改正を提起することになるだろう。9条の改正は国民的反対が強いので、緊急事態への対処するための内閣への包括的な授権を最初に提案したいと述べる与党政治家もいる。自民党がその名の通り自由と民主主義を尊重する政党であれば憲法改正論議も無害だが、そのような楽観は許されない。自民党の改憲案では、基本的人権は「公の秩序に反しない」程度に制約され、権力にとって好ましくない表現やデモは秩序を紊乱するものとみなされ、抑圧される可能性が高まる。また、自民党が見なすところの伝統や家族のあり方を尊重することが義務付けられる。まさにルソーの言うように、日本国民は奴隷となるのである。緊急事態対応に名を借りて総理大臣の権限を強化すれば、議会多数派の意向によって緊急事態が際限なく延長され、人権の抑制が日常化することもありうる。
これから2年間は日本の民主主義にとって最大の危機の時代となる。先の参議院選挙で、原発事故被災地の福島県と米軍基地建設に反対する沖縄県では、野党候補が与党の現職閣僚を破った。これらの地域の有権者の危機感を他の地域の国民が共有することができるかどうかが問われる。
韓国語原文入力:2016-07-31 17:49