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[寄稿]「人糞教授事件」の教訓

登録:2016-04-20 01:12 修正:2016-04-24 04:31
イラスト=金大中 //ハンギョレ新聞社

原理原則上は最も斬新で先進的であるべき大学や学会は、逆説的に権力関係の次元では“先進”どころか、封建制でもない古代奴隷制に近い。 奴隷主のような絶対権力が日常的に通じる土壌では「人糞教授」の再生産が必然だ。

新自由主義が到来してから、彼らは大学院生や講師など(準)奴隷人材を無報酬労働で搾取できる主要論文の生産主体に浮上し、各種の大型プロジェクト受注に成功できた。 このようにして韓国の大学社会は、封建農場と搾取工場の結合物になったのだ。

 昨年、世間を驚かせたことの一つは「人糞教授事件」だった。 ある私立大学の教授が自身の主導する学会に就職させた弟子に常習的に暴行するのみならず、奴隷のような生活をさせ、あろうことか人糞を強制的に食べさせるなど各種の類い希な暴力を日常的に行ったということがその骨子だった。 教授による被害者給与の未支給は「日常」であったし、教授の他の弟子たちも暴行に加担した。 その事件が起こした興奮はすでに収まっているが、答のない問いは依然として残っている。 社会から隔離された辺境地の軍隊でもない、都会の中心にある学会や大学で、中世の封建領主が農奴を絞り取り暴行するのと全く同じことが起きても、なぜ数年間も外に知らされなかったのか? 弟子であり同僚を拷問する「知識人」らは、どのようにして作られたのか? 言い換えれば人間がどうして野獣になり、一群の人間の野獣的行動を社会がなぜ防ぐこともできず止めることすらできなかったのかは、私たちが自らに投じなければならない質問だ。

 性善説・性悪説を越え、人間の具体的行動を左右するのはその環境、すなわち何よりも一人ひとりを取り巻く権力関係だ。 「自分の権力は無限だ」という思いは、特に男性にテストステロンの分泌を促し攻撃性を煽る。 「こうしてはいけない」、「こうすればお前もケガする」という内からの警告メッセージが聞こえれば、すなわち脳内で攻撃性衝動の牽制装置が稼動するならば、それなりに暴行・醜行の発生を抑制するが、長期的な権力中毒は脳の自制機能を致命的に損傷させる。 人間の行動を自制させる脳の部分が特定の状況、例えば権力関係が明確な「下位者」との相互作用の状況でまともに作動しなくなるということだ。 このような時に横暴を働くことは結局常習化されざるをえない。 すなわち、長期間にわたる牽制されない権力行使は、脳機能の次元で見るならば麻薬と同じ効果を発揮する。 数年間にわたり誰の監視も統制も受けない権力を行使しても自我が変質しない人はごく少数であろう。

 未だ権力関係それ自体を越えられずにいる人間社会としては、このような現象に対する唯一の対策は「絶対的な権力」がないようにするということだ。 すべての権力がすべての層で牽制され相殺されて、下からも上からも統制を受けることこそが、現実的な人間らしい社会の基礎的前提条件だ。 問題はこの話が韓国の大学-その中でも特に私立大学-や学会の現実に全く該当しないということだ。 原理原則上は最も斬新で「先進的」であるべき大学や学会は、逆説的に権力関係の次元では「先進」どころか、封建制でもない古代奴隷制にさらに近いのだ。 奴隷主のような絶対権力が日常的に通じる土壌では「人糞教授」らの再生産は必然的だ。

 韓国の企業家も「下位者」暴行など各種の「甲(カプ)チル」(優越者の横暴)であまりにも「有名」だが、彼らの権力を微弱ではあっても他の株主や労組が牽制することがありうる。 軍は永く各種暴力の温床として機能してきたが、徴兵制国家であるだけに軍暴力問題に対する社会の熱い関心もあって、将校の極端な逸脱行為をある程度は予防できる軍法秩序もある。 大統領や国会議員はいくら暴君体質だとは言え、「票」を意識しなければならない時がある。 ところが「教授先生」の場合には韓国社会のいかなる「実力者」より「自由だ」。 私立大学の場合には該当大学を好き勝手にする派閥とさえ仲良く過ごせば万事可能だ。 ソウルの一部のいわゆる「名門大」を含めて、韓国の私立大学の半分程度は教育部の総合監査を開校以来一度も受けたことがない。 「教授先生」と大学を掌握した組織暴力性濃厚な学内覇権勢力が「小さな王国の君主」のように君臨しても、誰の咎めもないという話だ。 最近10余年間、一部の大学で助教労組結成の動きはあったが、まだ多くの大学ではない。 大学院生に至っては「教授先生」に反発するなどは夢にも見られない行動だ。 結局、上からも下からもいかなる牽制も受けない「実力者級教授先生」は、セクハラ犯や常習暴言の主人公、悪質暴行犯ないしは「下位者」の労働の非良心的搾取者、代筆強要犯などになることは、非常に当然ではないだろうか? 「教授先生」集団の極端権力化と貴族化が結局は怪物を産むということだ。

 「人糞教授事件」の展開過程を一度注視しよう。 加害者が被害者を奴隷化するために彼に投げた餌は、まさに「教授採用の可能性」だった。 言うことをよく聞いて屈従さえしていれば、私は君を騎士の鎧兜を着せる侍従から本当の騎士にしてやるという、中世封建貴族が侍従によくした暗黙的約束だ。 他の弟子の暴行加担動機も大きく見れば、まさにそれだっただろう。 本人も同僚を拷問する過程を通じてでも「侍従」から「騎士」になろうと思った。 問題は、このような個人的隷属関係を一定水準受け入れずに韓国の大学の正規教員に果たしてなれるかだ。 公共機関である大学の教員補充過程に事実上公共性が欠如していて、「教授先生」と大学管理者のマフィア性が濃厚な私的利害関係の折衝にまかされているということは公然の秘密だ。 大学と同じく学会も多くの場合には公共組織としての性格を失い私組織化され、特定「実力者」の追従集団に変質している。 特定個人が封建領主の役割を務め、その下手人が家臣のように行動する私組織は、自然に暴行・暴言・醜行から始まり各種犯罪の温床になるのが当然な道理ではないだろうか?

 封建騎士団なのか、組織暴力団なのか分からない私的輩に転落した「大学社会」の特徴を、「教授先生」だけでなくその「教授先生」の下で「人生の知恵」を悟らなければならない若い人々もいち早く学び、場合によっては「師匠」たちを真似て生き始める。 数週間前に報道された「ソウル名門大悪魔大学院生」事件を覚えていますか? 「教授先生」である父親の「後光」を信じて「教授の父親」を持たない同期生に暴行し絞り取って奴隷のように働かせてきた一人の大学院生が捕まった事件だった。 彼の犯罪手法も「人糞教授」と本質的に似ていた。 「俺が自分の父親の後に続いて教授になれば、お前のために席を一つ用意してやる」と豪語して同期生を困らせる一方、事実上の無報酬助教として利用してきたのだ。 こういう類の事件を見れば「教授社会」が事実上、身分世襲が可能な疑似封建的カルテルになったようだ。 そのような社会でサディズム傾向の強い現代版貴族が現代版農奴に再び人糞を食べさせる類の私刑を執行しないだろうと誰が保障できようか?

朴露子(パクノジャ、Vladimir Tikhonov) オスロ国立大教授・韓国学//ハンギョレ新聞社

 「下位者」の生殺与奪権を行使できる絶対君主のような「教授先生」という怪物を産んだのは、結局権威主義的国家と新自由主義との韓国特有の結合だ。 「教授先生」集団の貴族化を、朴正煕(パクチョンヒ)独裁が導いた。 1977年に講師が教員としての地位が剥奪されるなど、教員社会が二分されて分離統治策適用の対象になった。 講師が「雑職」に分類されるなど、専任教授に隷属すると同時に、専任教授は報酬も高まり、また各種の教授評価団など国家機構への参加機会も多くなった。 政権が主導して作り出した大学内の極度に不均衡な権力関係は、結局多くの専任を権力中毒者にしたのだ。 新自由主義が到来してから彼らが競争本位の新しい学界構図で大学院生や講師など(準)奴隷人材を動員できる主要論文生産主体に浮上して、「下位者」の無報酬労働を絞り取り各種大型プロジェクトの受注に成功できる風土が作られた。 このようにして韓国の大学社会は、「人糞教授」の誕生が可能な封建農場と搾取工場の結合物になったのだ。 果たしてこれが解放へ向けた啓蒙を多数に与えうる知識人社会と言えるだろうか? 果たして「人糞教授事件」から大学と学界の民主化がどれほど差し迫った課題なのか、私たちは学べるだろうか?

朴露子(パクノジャ、Vladimir Tikhonov) オスロ国立大教授・韓国学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/740406.html 韓国語原文入力:2016-04-19 19:21
訳J.S(3668字)

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