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[寄稿]ニューノーマルの時代に入った朝中関係

登録:2015-12-21 02:10 修正:2015-12-21 06:41

 朝中関係は冷戦期に2度の大きな難局を経験した。1956年に北朝鮮で起きたいわゆる「8月宗派事件」で延安派が粛清された時と、1960年代半ば、中国の文化大革命の余波で、両国が鋭く対立していた時が、まさにその局面だった。最初の軋轢は1957年にモスクワで毛沢東と金日成(キム・イルソン)当時両国主席の2度にわたる秘密会合で取り繕われた。2度目は、1970年、当時の周恩来首相の訪朝によって収拾された。2度とも何事もなかったようにすぐに関係改善が行われた。

 冷戦が終息してから、朝中関係には再び新しい難局が近づいてきた。 1992年の韓中国交正常化後と、北朝鮮の3回目の核実験後から現在まで経験している難局がそれに当たる。しかしながら軋轢の収拾は、冷戦の時期とは異なる方向で展開されている。韓中国交正常化をめぐる軋轢は、8年が過ぎた2000年、金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪中によって和解ムードに転じた。

 昨今の軋轢は、昨年10月の劉雲山・中国共産党中央政治局常務委員の訪朝で和解ムードに乗るかのように見られており、北朝鮮の有名なモランボン(牡丹峰)楽団も、北京を訪れた。ところが、モランボン楽団が演奏を突然キャンセルして帰国する前代未聞の事件が起きた。多くの憶測が飛び交っているが、一つだけは間違いないだろう。両国は関係改善の突破口を開いたとされるが、これからの関係改善が冷戦時期における軋轢の収拾のように速いスピードで行われることはないだろうということだ。

 冷戦時期における両国の軋轢は、主に両国の問題によってもたらされた。しかし、冷戦が終息してからの軋轢には、多くの国際的な要素が絡み合いながら、複雑に展開されてきた。韓中国交正常化後の軋轢には韓国という要素が、北朝鮮の核によって生じた軋轢には、ますます多くの国際的な要素が影響を及ぼしながら、相互作用を行っている。

 冷戦時期の朝中関係は両国とも国家運営の経験が皆無だった、同じイデオロギーに基づく集団が政権を握ったことから始まった。丁度冷戦が始まり、両国は「社会主義大家庭」の概念に帰属した。そこに中国の天下観念と世界革命という目標が重なり、朝中関係は主権国家間の関係よりも“兄弟”としての関係がより強調されてきた。冷戦が終息し、中国が韓国との国交を正常化したことで、この兄弟の関係にヒビが入り始めた。その時期、中国は本格的な市場経済への移行を開始した。依然として計画経済を実施する北朝鮮と、新しい関係を確立せざるを得なくなったのだ。兄弟関係から正常な国家関係に変貌するための難航が始まった。同時に、北朝鮮の核問題が重なった。2つの方面から来る難局が、時には極限の痛みを伴うこともあった。両国が直面している今の対立は、最終的にここから派生したものといえよう。

金景一・北京大教授//ハンギョレ新聞社

 北朝鮮の核問題は、誰がなんと言おうと、朝鮮半島の冷戦構図を維持しようとする米国と、それから脱皮しようとする北朝鮮との間の対立から生まれたものだ。ところが、結果的に北朝鮮の核が大きくなればなるほど、米国の域内同盟システムが強化され、中国にとっては巨大な圧力となって行った。北朝鮮の核ゲームは朝中関係の難局と重なったことで、当初から中国には不利にならざるを得ないものだった。韓米日と北朝鮮の綱引きから来る力の合力が、結果的に中国を圧迫する局面となっているように見える。韓米日は、中国が北朝鮮をもっと強く圧迫してもらいたいと思っている。中国に対する圧力は、米国の対中国牽制戦略と重なる。北朝鮮もまた、中国が自分たちの核保有を黙認してくれることを望んでいる。その願いは、中国が北朝鮮との関係改善に乗り出し、過去の関係に回帰してくれるだろうという期待と重なる。

 中国は北朝鮮の安全保障の懸念の解消と対話を通じた問題解決を揺るぎなく強調する。北朝鮮の核を容認しないという意志もこれまで以上に強い。朝中関係の改善においても、この原則に変わりはないだろう。過去の関係への復帰も考えられない。朝中関係は今、名実共にニューノーマル(新常態)時代に入った。両国は現在、肯定的なエネルギーと成り得る過去の伝統は活かし、時代に合わない慣性を克服しながら、新しい関係を構築していくべきだろう。

金景一・北京大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-12-20 19:13

https://www.hani.co.kr/arti/international/china/722688.html 訳H.J

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