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[寄稿]現代史の「暴力」を無視した教科書は半分の真実しか伝えられない

登録:2015-10-21 22:29 修正:2015-10-25 06:51

 この頃、筆者の研究室を訪れたり、電子メールで問い合わせたりするり韓国人や外国人の卒業生が後を絶たない。韓国で起きている韓国史教科書国定化の動きのためだ。太平洋の向こう側でも、今回の事態を見守る心境は気の毒で、もどかしい。同じ大学に勤務する米国人教授たちとこの問題について議論することすら憚れる。21世紀に、韓国では歴史学と歴史教育が選挙の道具に転落する状況に陥ったのだ。

 最近ハーバード大学歴史学科の何人かの教授と歓談する場で、彼らの意見を聞く機会があった。ある教授は、日本政府が日本史教科書を任意に修正しようと出版社に圧力をかけた事例を取り上げた。別の同僚は、北朝鮮を明時代に、韓国を清に例えた。北朝鮮政権の張成沢(チャン・ソンテク)処刑事態を14世紀末、明の宮廷で発生した一連の虐殺劇に、また韓国ニューライトグループの歴史書き直し運動を18世紀の初め、異民族政権として正統性の課題に直面した清に例えたのだ。清は満州族の征服集団と転向した下層出身の性理学者が共同執筆した理念冊子を政府主導で知識人層全体に流布した。

 権力で歴史を書き換えられると信じている人の本音を覗いてみると、中身はそのままで体だけが大きくなってしまった子供のようだ。まるで映画『国際市場』に出てくる主人公のように。映画の中の主人公は、自分の特殊な心情をちゃんと理解してくれないとして、近所の若者や家族に、ともすれば腹を立てる。現実の中の主人公たちは、突拍子もなく、将来の世代の歴史教育を口実に、歴史学者や歴史教師たちに向けて否応なしに怒りをぶつけている。植民地と冷戦の秩序が終わり、逆らうことのできない世界史の流れが朝鮮半島に押し寄せてくる現実の前で、自分たちが生きてきた“歴史”が正しく位置付けられていないと感じたからだろうか。ユニークな“集団被害意識”を学生の頭の中に無理やりコピーしようと躍起になっているため、主張の内容と適用方法が非常識で、無理を伴っている。

 米国の大学で歴史教育に携わってきたが、大学生だけではなく、大学を訪問して聴講する高校生たちも非常にレベルの高い歴史教育を受けていることを感じる。筆者の東アジア冷戦史を受講した大学1年生は、ベトナム戦争当時、米軍が犯したミライ虐殺に対する歴史学界の複雑な議論を理路整然と紹介した。名門私立学校で議論式授業の手ほどきを受けたのだろうと思っていたが、彼は公立高校出身だった。

 米国の歴史教育の現場でも、公共の記憶と文化市民権を巡り、しばしば論争が起きている。南北戦争やベトナム戦争に対する解釈の問題をめぐり、いまだに議論が続いているが、連邦政府はもちろん、州政府が様々な解釈を強圧的に統一しようとするケースはない。地域の教育委員会と各公立学校の教師・保護者協議会が自律的に歴史教材を採択し、私立学校の中には教科書がない場合も多い。

ユン・ソンジュ米国カールトン大学歴史学科准教授//ハンギョレ新聞社

 暴力は現代史の重要なテーマの一つだ。特に植民地支配と冷戦秩序の下で行われた開発独裁は、日常化した構造的暴力を伴わざるを得なかった。どのような解釈であれ、暴力という重要なテーマをあえて無視し、植民地史や冷戦史を記述したら“半分の真実”になる。

 現在起きている事態の核心は、“左右”または“親日と親共”の問題ではなく、“常識”と“非常識”の衝突だ。国定化を主張する人たちが、脱冷戦という世界史の流れにまだ適応できていないからだ。映画の中の主人公はかわいそうな人であるが、悪い人ではない。しかし、彼が一国の権力を握った指導者となり、将来の世代の歴史教育を担うとなれば、上手に宥めて諦めさせなければならない。自分だけの“かわいそうな”心情を「統合された史観」という名目で学生たちに力ずくで注入する行為は、市民社会に多大な不幸をもたらすことになるからだ。ヒロヒト(昭和天皇)やスターリン、ヒトラーに触れずとも、北朝鮮の国定教科書が端的な例だ。

ユン・ソンジュ米国カールトン大学歴史学科准教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-21 18:31

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/713832.html 訳H.J

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