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[コラム]解放70年と歴史戦争の敵

登録:2015-08-13 08:58 修正:2015-08-16 06:49

 古代史は生きている現代史でもある。地球上の多くの領土紛争は、その根元を古代史に置く。古代史の領土論議は現実世界で外交紛争、さらに物理的衝突となって現れる。中国と日本の釣魚島(尖閣諸島)、中国とフィリピンの南沙諸島、ベトナムと中国の黄砂紛争もそこに含まれる。

 不幸にも朝鮮半島にはこうした雷管が幾つか存在する。東には独島(ドクト)を巡る葛藤があり、北側では間島(カンド)と白頭山(ペクトゥサン)、そして大同江(テドンガン)以北地域を巡る静かな歴史戦争が続いている。

 また、朝鮮半島の中ほどには現在進行形の西海(ソヘ)北方境界線紛争がある。歴史問題と規定するにはあまりに近い時代のことだが、発生時点から考えた場合、分断史の“古代”に相当すると言えよう。これら地域は、南北はもちろん、韓日、韓中間に横たわる主要な国家利益が衝突する雷管となる。

国学運動市民連合や国学院のメンバーが中国の歴史歪曲中断を求めるローガンを叫んでいる=キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 日本は朝鮮半島を併合し、それを合理化する論拠として古代史の任那日本府説を前面に打ち出した。朝鮮半島の南に、新羅と百済以前からヤマトの倭の植民政権があったというのだ。だから併合は強奪でなく歴史の復旧だという。丁酉再侵(慶長の役)時、豊臣秀吉は忠清、全羅、慶尚の三道分割を朝鮮に要求した。ただ単に武力でだけ脅したのではなく、あらゆる捏造された歴史的破片を持ち出して正当性を主張した。

 領土に関する限り中国も変わらない。中国は2001年から「東北工程」を通じ古代史工作をしてきた。古朝鮮、高句麗、渤海は中国の地方政権であり、歴史時代以後、大同江(テドンガン)以北は中国が実質的に支配した領土だったとするのが、その結果だった。歴史的に朝鮮半島北部は中国の領土だとする結論が導き出される。このような歴史が今日どんな意味を持つかは自明だ。朝鮮半島有事の際に中国が介入し、該当地域を占有する口実になりえる。

 政府は光復(解放)70周年を迎え全国を太極旗(韓国国旗)で埋め尽くしている。太極模様の提灯をソウルの街に登場させ、公職者の胸にも太極旗がささった。光復前夜の14日を臨時公休日に指定し、高速道路通行料まで免除した。愛国主義がここまで吹き荒れたことはかつてなかったと思う。

 しかし一皮剝けば現れるその地肌は惨めなことこの上ない。東北アジア歴史財団など、現政権の歴史機構や官営学者は、中国と日本の歪曲された歴史をそのまま受け入れている。今年4月、国会の東北アジア特別委に提出された東北アジア歴史地図を見ると、中国の万里の長城が平壌(ピョンヤン)まで繋がっていて、漢の四郡が朝鮮半島中部、平安道、黄海道、江原道にまたがり、新羅と百済は西暦300年代まで朝鮮半島に登場せず、近世まで独島は私たちの領土として存在しなかった。失敗だったとか、修正中とか弁解しているが、47億ウォンもの血税を使って8年間に60人余りの専門家を動員して、そんなに軽々しく作れるわけがない。

 その上、財団理事長や主な理事は普段から「(独島は)私たちの土地である論拠が粗雑だ」「4世紀までヤマトの倭の地方官が全羅道を治めたと推定される」などと主張してきた。さらに「『独島は我が領土』といった硬直した排他的な認識から柔軟で開かれた認識へと進まねばならない」と忠告する理事もいた。1877年に日本の総理室に当たる太政官が内務省に下した「独島は日本の領土とは関係がない」とした「太政官指令」は認めなかった。

 朴槿恵(パク・クネ)政権は発足当初から国内で歴史戦争を始めた。左派史観あるいは自虐史観除去という旗印の下、李承晩(イ・スンマン)政権、5・16クーデター、(朴正煕政権独裁)維新体制を美化しようとした。さらには植民地近代化論など日帝が併合を合理化した主張を韓国の公式立場にしようとした。大多数の学者の反発で意図を完遂できなくなると、歴史教科書を国政体制に変えてしまおうとしている。そうすることで親日の前衛だった朴大統領と与党代表の祖先の行跡を隠せるからだろうか。

 国内でこんな内輪揉めが続く間 日本と中国は朝鮮半島に狙いを定めた歴史戦争の橋頭堡を確保した。周辺国の歴史歪曲に対抗するため設立された東北アジア財団は、中国と日本が自分勝手に再構成した古代史をこっそり書き写したり受け入れる間者の役割を果たした。事実を発掘することは疎かにし、理論をたてることには無能で、学問的には不誠実極まりなかった。

 結局、この政権は内外の歴史戦争で大韓民国の胸に銃口を突きつけたようなものだ。内では私たちの歴史学界を敵とみなし、外では中国と日本の主張を根をおろすように助けた。その結果として紛争は現実になっている。独島は国際的に大韓民国の領土でなく紛争地域になってしまった。韓国政府傘下の歴史財団が作った地図から除外しておきながら、どんな方法で紛争地域化を防げられるのか。歴史時代以来、大同江以北を中国の領土と表記しておいて、有事の際に中国が入ってきて紛争地域化されることを、どう防ぐというのだ。光復70年を迎えて、政府はいったいどういうつもりで歴史を70年前以前に戻そうとするのか。

クァク・ビョンチャン先任論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-08-12 19:55

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/704216.html 訳Y.B

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