朴槿恵(パク・クネ)大統領が6月25日の閣僚会議で誰もが背筋が寒くなるような形相でセヌリ党のユ・スンミン院内代表に対する“弾劾文”を読みあげていた時、1年半前に北朝鮮で起きたある出来事が脳裏をかすめた。2013年12月、金正恩(キム・ジョンウン)国防委第1委員長が彼の叔母の夫であり政権の第2人者だった張成沢(チャン・ソンテク)労働党行政部長を電撃的に粛清・処刑した事件だ。
朴大統領の発言を聞き北朝鮮の張成沢事件が思い浮かんだのは、自らを“万人の上”の絶対的地位にあると考える指導者が、自分の意思に背いていると考える下の人を扱うやり方が、南も北も大差ないという身に染みついた感覚が作用したためだったのだろう。そこで北朝鮮の朝鮮中央通信が張成沢が処刑された後に伝えた長文の「罪状報道文」を読み直してみた。すると両指導者の認識と態度がよく似ていることに改めて驚かされた。
「張成沢が白頭山(ペクトゥサン)絶世の偉人から授かった政治的信頼と恩恵はあまりに分不相応なものだった。信頼には義理で報い強い忠誠心で報いるのが人間の初歩的義理である。しかし犬にも劣る醜悪な人間ゴミの張成沢は、党と首領から授かった天に匹敵する信頼と熱い肉親の愛を裏切り、天人共怒(誰もが憤怒する)の反逆行為を敢行した」
「政界の存在の理由は、本人の政治生命にあるのではなく、国民にあるといっても違わないものです。与党の院内指令塔にしても、政府与党の経済再生にどんな協調を求めたのか疑問になる部分です。政治は国民の民意に代わるもので、国民の代弁者であり、自らの代弁者であり、自らの政治哲学と政治的論理に利用してはいけないのです」
南北の政治体制の違いから、背信者を糾弾するために使った用語は異なるが、「背信者」を定義する論理構造にそれほど大きな差は感じられない。
「この天の下、あえて金正恩同志の唯一の領導を拒否し、元帥様の絶対的権威に挑戦して白頭の血統と一個人を対立させる者を、わが軍隊と人民は絶対に容赦せず それが誰であろうと、どこに隠れていようが、根こそぎ掃き集めて歴史の峻厳な審判台に立たせ、党と革命、祖国と人民の名により無慈悲に懲罰するだろう」
「これから私たちの政治は国民を中心にした新しい政治をする政治家だけが存在できるようにしなければならないでしょう。そのような政治的な責任を問うことができるのは、ただ国民だけで、国民が選挙でよく選択することにより、新しい政治文化を築くことができるようになるでしょう。政治的な選挙手段として当選した後、信頼を破る背信の政治は、結局、覇権主義と派閥政治を量産することになり、必ず選挙で国民が審判しなければならないでしょう」
南北の背信者の処理法が物理的死と政治的死に明確に分かれるとはいえ、背信者は必ず報復するという強い意志だけは似ている。
自己中心的で絶対的な価値を基準とし、そこから外れた人や勢力は絶対に撲滅させるという態度は、21世紀文明社会の精神とはあまりに距離がある。臣下が君主を親のように支えるのを当然視する封建制や君主制の下でしか見れない光景だ。こうした点から、アジアで指折りの民主主義を育ててきたと自負する大韓民国の指導者が、こんな認識と態度を示したところに、韓国の民主主義の実態をうかがい知ることができる。
しかし救いもある。北側は指導者の目から外れれば政治的・物理的命が一瞬にして消滅する体制だが、南側は一人の意思でそう容易く思い通りになるような社会ではない。朴大統領の指針と親朴系勢力の一糸不乱な作戦遂行にもかかわらず、ほとんどすべての世論調査でユ・スンミン院内代表の辞任に反対する意見が広がっている事実がこれを後押しする。
大統領側の人々は最終的に「離反者ユ・スンミン」を始末することに成功するかも知れないが、市民を軽んじた末に毒薬を飲み込んでいたことを思い知る日が必ず訪れるだろう。水は船を浮かすが転覆させることもあると言われる。今の水の流れは尋常でない。船内にいる人たちだけ、それを知らないようだ。
韓国語原文入力:2015-07-06 20:01