私は全国教職員労働組合所属の教師だ。 還暦をむかえる私はいわゆる“一部の分別のない”老教師だ。 私は全教組問題で解職され、10年を街頭の教師として送った。 再び学校に戻った私は、まだうぶげの柔らかい“チュンディン(中学生)”の子供たちと一緒になって過ごす日々にすっかり魅せられ、世の中がどう動いているかも忘れて暮らしていた。 そんなところへ、とんでもない消息を耳にした。 現政権が全教組の登録を取り消すという話。 しかも、イ・ミョンバク政府で犠牲になった後輩教師9人を全教組が切らないというのがその理由だという。 私自身が解職教師であり、1500人が解職される中で旗揚げしたのが全教組の歴史なのにである。
解職教師9人のために6万人の、24年の歴史をもつ全教組登録を取り消すだと? 稚拙で姑息な手を使うなかれ。 口はひん曲がっていても言うことは真っ直ぐ言えといった。 種の多様性は生態系持続性の原理だ。 意見の多様性は民主主義の原理だ。 多様性を認めることができないのは、すなわち独裁であり、死の原理だ。 問題は民主主義だ。
一方では全教組に対し、初心を失うなと穏やかに教える。 しかし、子供たちの死の行列を防ぐために、独裁の下手人として偽りを教えながら子供たちの前に恥ずかしい教師として立つことはもうすまいという初心でスタートした全教組に対して浴びせられたありとあらゆる非難と歪曲とぞっとするような弾圧とを、私は忘れることができない。 軍部独裁政権も、悪法も法なのだから守れと恫喝した。
全教組を振り返ってみる。 どうして全教組が全てよくやったとばかり言えようか。 真直ぐな教育を望む教師と子供たち、多数の国民の切実な希望を抱いてスタートした全教組が、皆の悲願にどのくらい答えただろうか。 「初心忘れず」の姿勢を守り切れずに、時には教師の利害中心に活動したこともあった。 人格まで壊されていく子供たちのために、涙を流し夜を明かして悩みきれない時も多かった。 徹底して反省しなければならないことだ。 しかし、教育が日に日に病み、その病の重さの分だけ正しい教育に対する切なる希望が高い限り、全教組は組合員6万名だけの組織ではない。 全教組は依然として多くの国民の教育的代案であり、すでに否定できない歴史である。
“全教組撲滅”が、公安専門家たちが見せしめでやっているのではないことを願う。まさか、経済民主化と福祉公約がご破算になる中で、国民の目をそらせるために持ち出したのではないだろう。 親日と独裁を隠蔽し、独立と民主の闘争をおとしめようとする韓国史教科書出版のような教育政策とは脈絡が繋がっていないことを望む。 解職教師でスタートした全教組に解職教師がいなかったことはなかった。 全教組合法化以後の14年間も同じだった。 “グローバルスタンダード”を重視する保守政権が、国際労働機構から何度も勧告され、国家人権委員会からも勧告された基準を無視しないことを期待する。
私は子供たちと“悪口を言う友人”について話合う。 人は、面前では耳に快いことを言い、裏では非難するのが常だ。 本当の友人は面前で苛酷に批判し背を向けてはほめる人だ。 悪口を言う友人は人生の“塩”だ。 世の中も塩のような悪口の友人がいてこそ腐らない。 まともな言論、まともな市民団体、まともな野党などが世の中の“悪口の友人”だ。 苦言が恐ろしくて悪口の友人の口を塞ぐならば、必ず自分が腐るものだ。
私は癌患者だ。 それも、この前の冬に二度目の手術を受けた再発癌患者だ。 10年間の解職の間の怒りと絶望が、それにともなうストレスと過労が、原因の一端になったかも知れない。 私が知っているだけでも、解職教師出身で癌などで先に亡くなった方が30人を越える。 今の私の唯一の希望は、外からは一番の頭痛の種と見えるかも知れないが私の目には純粋の塊りである子供たちと一緒に、一日一日を喜びをもって生き抜くことだ。 子供たちと愛し合うだけでも足りない三年余の残りの時間が私に許されるならばの話だ。 ところが、何とか忘れていたい世の中の事が暮らしの隙間に食い込んでくる。 振り返ってみると30年間、私の青春はそっくり全教組であった。 私の存在の根元を揺るがす冷たい風が吹く。どうしろと言うのか。
シン・ヨンシク ソウル東馬中学校教師