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【ヨム・ムウン コラム】“総督の声”が伝える逆説

登録:2013-06-06 20:30 修正:2013-06-07 06:14
ヨム・ムウン文学評論家

 「忠勇な帝国臣民の皆さん。帝国が再起して半島に再び光栄を享受するその日を待ちながら隠忍自重し、各自が任された苦難の抗争を継続しているすべての帝国軍人、警察、密偵、浪人の皆さん。」 これは小説『広場』の作家チェ・インフン(崔仁勳)の連作小説『総督の声』(訳注:1967年に『総督の声Ⅰ』と『総督の声Ⅱ』、1968年に『総督の声Ⅲ』、1976年に『総督の声Ⅳ』が発表された) の冒頭だ。 その特異な文体が語るように、作品の設定は非常に異色だ。 日本帝国が敗戦した後、朝鮮総督はおとなしく本国に戻らないで、この地に残って20余年間植民地回復のために地下活動を行なっているという架空の設定である。 作家は朝鮮総督が地下の要員に送る秘密放送の形式を借りて、韓半島のよじれた現実を辛らつに風刺する。

 連作が初めて発表されたのが1967年であるから、韓日協定反対運動の余震がまだ残っている時であった。 その点を想起しながら“総督の放送演説”の前の部分を見てみよう。 敗戦当時日本軍部は米軍が本土上陸後直ちに大虐殺を行なうと信じていたし、韓半島から撤退する時も激烈な報復があるだろうと恐れていた。 ドイツ軍がわずか4,5年間の占領後にフランスから撤退する時、現地の人たちの“残虐な襲撃”を受けたのだから、40年間の統治の末に追い出される日本人に対しては、さぞかしひどい報復が待っているだろうと考えたわけだ。 しかし恐れていたことは起こらなかった。 「半島人」は自分たちを「笑って送り出し」、「被害に遭った内地人は殆どいなかった。」 後日を約束してこの地に残る決心をしたのも、朝鮮人の温情に希望を見出だしたからだと小説の中の総督は語る。

 もちろん荒唐無けいな小説的仮想だ。 実際には8・15直後、随所で<建国準備委員会>指揮下に住民自治組織が結成され、また一部興奮した群衆は指揮部の秩序維持の呼び掛けにもかかわらず、警察署を襲撃したりもした。 植民地解放と独立国家建設の熱望が全国に沸きあふれていたのだ。 しかしこれは状況のあらわれた一面だった。

 当時の資料を集めた『“ビラ”で聞く解放直後の声』という本を見れば“朝鮮憲兵隊司令部”名義の「内鮮官民に告ぐ」という日本語の布告文が載っている。 布告文第2項は「朝鮮が独立するとしても朝鮮総督府と朝鮮軍が内地に撤収するまでは法律・行政ともに現在の通り」となっている。 米軍とソ連軍が入ってきて引継ぎが成り立つまでは、行政と司法のすべての権限が日本にあることを宣言したのだ。

 実際に1945年9月8日韓国に進駐して軍政を宣言した米軍司令部は、国外の大韓民国臨時政府を認めないのはもちろんのこと、国内の自然発生的治安組織も解散させた。 その反面、彼らは日帝の植民地統治機構をほとんどそのまま継承した。 9月29日付米軍政布告文を通じて、その時になってようやく日本人の代わりに朝鮮人警察官に替えられていることが分かるが、その警察官の中には独立志士を拷問した悪質分子も混ざっていた。 解放直後は群衆を避けて隠れていて、米軍政を頼って再び現れたのだった。 植民地体制の毛細血管を構成していた朝鮮人行政官僚もほとんど元の職責に復帰した。 韓国の既得権構造の基礎が設けられたのだった。

 それから20年が流れて韓日協定が妥結し、それからさらに50年近い歳月が流れた。 では、『総督の声』に逆説的に描写された日帝残滓はどれくらい清算されたか。 米軍の焦土作戦に対する恐怖に震えていた日本では、いまや慰安婦を侮辱する妄言まで出てくるかと思えば、戦争を合理化して平和憲法を改正しようとする試みが公然と行なわれている。 一方、この国では日帝の植民地経営が近代化の動力になったという主張を韓国人学者自らがしていると思ったら、いまや植民地体制の清算努力を反米容共の見解として歪曲する歴史叙述すら中等学校教科書に登場するらしい。 主権回復のために一生を捧げた地下の烈士に、どの面さげて対面するつもりか、実に嘆かわしいことだ。 親日既得権勢力の独占に対する抵抗の過程が民主主義の実現過程であり、またそれこそが大韓民国のアイデンティティの形成過程であることを忘れてはならない。 民主主義に献身する決意を持つ人だけが「キム・イルソン体制は私たちの帝国の国体を小規模でまねている象徴的天皇制」という<総督の声>の北批判に同調する権利を持つことができる。

ヨム・ムウン文学評論家

https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/437/590079.html 韓国語原文入力:2013/06/02 21:18
訳A.K(1964字)

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