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[社説] 朴大統領‘4・3事件完全解決’約束を守れ

登録:2013-04-01 21:38 修正:2013-04-02 06:40

 1948年の4・3事件で当時の済州(チェジュ)道民の10%ほどにあたる2万5000~3万人が犠牲になった。政府がまとめた<済州4・3事件真相調査報告書>によれば、犠牲者のうち10才以下が5.8%、61才以上が6.1%を占めている。このような点だけ見ても、4・3事件は左翼勢力の討伐というよりは事実上‘罪のない済州道民を相手にした虐殺劇’だったと言って過言ではない。

 このように済州道民に計り知れない苦痛と悲しみを植えつけた4・3事件が来る3日で65周年をむかえる。季節的には、済州の4・3は華やかな菜の花と桜の花の饗宴の後にやってくる。このような無慈悲な対比のために、済州の人々の胸はより一層痛む。今年は4・3事件を扱った映画<ジスル>が全国で大きな関心の中で上映されているので、‘4・3問題’の完全解決に対する済州道民の期待がいつも以上に大きい。

 南北分断と反共冷戦の厳酷な雰囲気のために口に出すことさえタブー視されたこの事件が、政府レベルで本格的に日が当てられ始めたのは金大中政権時の2000年1月の‘済州4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復のための特別法’(4・3特別法)が公布されてからだ。つづけて盧武鉉大統領が2003年10月の政府調査委員会の意見により‘国家権力によって大規模犠牲’が生じたことを認めて済州道民に公式謝罪した。盧大統領は2006年には直接慰霊祭に参加して再度謝罪した。道民としてはこれが最後の最も大きな慰労であった。

 李明博政府になってからはこの事件に対する政府次元の関心が急激に冷めた。ニューライト団体などが4・3事件が左派陣営によって美化されたと批判し、李大統領は遺族たちの要請にも関わらず任期中一度も慰霊祭に参加しなかった。一言で言えば、李明博政権の5年は‘4・3が失われた5年’だった。

 朴槿恵大統領は昨年12月11日、大統領候補として済州道を訪問して 「4・3は道民だけでなく全国民が胸を痛める事件で、これまで政府が寄せた関心は多くはあったが、まだ足りない。国家の追悼記念日の制定をはじめとして道民たちの痛みが去り行くまで最大限努力する」と約束した。セヌリ党は済州道の道路に‘4・3完全解決’と書いた横断幕をいっせいに掲げた。

 朴大統領が李明博政権に対する不信が強い済州で薄氷の勝利をおさめたのはこのような公約が大きく作用したものだ。今、済州道民は朴大統領の慰霊祭出席を強く望んでいる。彼女の出席を‘4・3完全解決’という公約履行の第一歩として見ているためだ。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/580545.html 韓国語原文入力:2013/03/31 19:15
訳T.W(1187字)

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