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[朴露子ハンギョレブログより]マルクス主義の第一原則

登録:2012-10-23 17:05 修正:2012-10-24 06:10

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 私にとって最も困難を感じる時は、チベットから来られた知識人、学生の方々やチベットを支援するノルウェーの活動家たちにチベットの独立問題に関する私の考えを問われる時です。一言ではもちろん一本の論文でもまとめることはあまりに難しく、あまりにもニュアンスの多い問題だからです。もちろん原則は極めて簡単です。マルクス主義/社会主義の基盤は民主主義であり、民主主義の基本原則の一つが民族自決権の無条件認定なのです。これはローザ・ルクセンブルクとの論争でレーニンが闡明したことで、私も普段からそう信じています。つまり、たとえばチェチェン独立運動を私は原則上支持しなければならないと思います(チェチェン民族の独立闘士たちが用いるあらゆる方法のすべてを支持するわけではありませんが)。私のように朝鮮の独立活動家たちを研究している人間の立場としては、当然チベットの独立運動家たちも支持しなければならないのではないでしょうか。一面においてはそのように考えられますが、ここではある「脈絡」を参考しなければなりません。私の研究する申采浩(シン・チェホ、1880~1936)先生や朴憲永(パク・ホニョン、1900~1956)先生は、たとえ双方の意見の違いは大きかったにしても(一人はアナーキスト、一人は共産主義者でした)、反帝民衆革命家というレベルでは一致していました。そのため、二人とも「民族独立」を日本の同志たちも一緒に参加する革命闘争の結果と考えていましたし、二人ともその独立はまた新しい社会的(無政府共産主義/共産主義的)な革命の始まりと捉えていましたし、二人ともその新しい革命が日本などを含む国際的な性格を帯びたものであると信じていました。つまり、1920年代以降、実際に左派が主導した朝鮮独立運動は反帝的で国際連帯的で国際革命的でした(金九(キム・ク)などが率いた右派的な独立運動はこれとは性格がかなり異なっていました)。果してこのような性格の独立運動は今チベットや新彊にあるでしょうか。果してブッシュから勲章をもらい、ブッシュの父が起こした湾岸戦争を「正義の戦争」と規定したダライラマは「反帝」ないし「革命」、「民衆」となんらかの関係があるでしょうか。そのような脈絡を無視して、チベット問題も、いかなる錯綜した民族問題も到底語ることはできません。

 レーニンの「民族独立権擁護」の原則は当然原則としては正しいものです。ただし、レーニンもそうだったように、この原則を適用する際は何よりも私たちの階級の利害関係という脈絡を考慮しなければならず、この脈絡を無視して原則のみを絶対化してはなりません。たとえば、個人的な経験を話してみましょう。私は1988~1991年の間、数回にわたりラトビアなどのバルティック共和国の独立のためにデモをしました。個人的に「リガ」という都市(ラトビアの首都)がとても好きだったし、ラトビアの民謡と詩が好きだったので、ラトビアを事実上強制占領したスターリンの非レーニン的な民族政策に怒りを感じていたのです。独立したくてもソ連軍隊の力のために独立できないラトビア人たちの境遇が、日常的な差別を受けている私のようなユダヤ人たちの境遇に似ているような気がしたりしました。それで、ラトビアなどが独立した時はとても嬉しかったのです。もちろん独立するやいなや、ロシア人であれユダヤ人であれ、ほとんどすべての種族的な他者たちへの市民権付与を拒否し、極めて厳格な「帰化試験」に通ることを要求した独立国ラトビアの初めての立法(1991年10月15日)に驚愕してしまいましたが。にもかかわらず、このような光景を目の当たりにしながらも、「スターリン主義の暴力に対するどうしようもない過剰な反発、理解してやらなければならない」と自慰(?)しながら、引き続きラトビアの独立を熱裂に支持しました。ところが、今日のラトビアを見て、自分の「民族自決権絶対化」は極めて愚かなものだったのではないか、と思います。

 先ず依然としてラトビア住民たちの14%は「非国民」として残されています(http://en.wikipedia.org/wiki/Non-citizens_(Latvia))。そのほとんどは白ロシア、ロシア、ユダヤ系労働者や下級事務員たちです。しかし、「国民」であれ「非国民」であれ、ラトビアの人口は急激に減っています。独立した当時は約270万人だったのが、今は190万人になるかどうかです。多数の貧民たちが養育費を負担しきれず、出産を避け(大韓民国と似た形です)、働けるなら誰しも速やかに希望のないラトビアを離れようとしています。オスロの工事現場などでも、最も困難な「土方」の仕事をする人たちには「独立した」ラトビア人たちをしばしば見かけることができます。大卒たちも大量に移民していますが、労働者たちが最も多く離れています。国内には仕事がないから。独立するやいなや、「貿易の自由」「自由な輸出入」を闡明した民族主義者たちの自由放任主義政策のおかげでソ連時代の企業などはほとんどつぶれてしまい、工業労働者たちの数は「独立」の20年間に40万人から10万人に、すなわち4分の1(!)に減りました。一時はラジオ、バス、ピアノ、そして半導体を生産した国が今は主に食糧品と児童ポルノ、そして西側の観光客たちのための様々な「エロティック・サービス」などを生産しています。特にヨーロッパ連合(EU)加入後は、企業への補助金支給や輸入制限などが基本的に不可能になり、労働者たちの失業や移民は慢性化しました。西側の観光客たちは売春街だらけのリガという都市をとても愛護(?)していますが、「ラトビアのような貧困」は今やヨーロッパの多くの言語で慣用句になりました。ラトビアの平均月給は650ユーロ、最低賃金は280ヨーロです。パンと牛乳の価格はベルリン並みなのにですね。言い換えれば、年金生活者と低賃金労働者たちの地獄になってしまったようなものです。

 もちろんラトビアが労働者と貧民たちの地獄になったことは「独立」そのもののせいではありませんでした。まあ、独立しなくてもロシアとともに資本化への道を歩んだなら、結果は確実に同じだったと思います。今のロシアを見ても、状況は大同小異であり、ただしヨーロッパ連合に入らなかったためにラトビアのようにたくさんは移民できないだけです。問題は、「独立 vs 非独立」ではなく、周辺部の貧しい国には資本主義が殺人的に有害だということです。中心部や大韓民国のような準中心部の民衆たちにも当然ながら有害ですが、ラトビアやロシアではその惨状の深さはかなり違うということです。独立しようがするまいが、資本主義を導入してはならなかったし、おそらく理想的には、ロシアなどの旧ソ連の多くの共和国たちの民衆たちと一緒に資本主義でない「より良い社会主義」、スターリン主義の余毒から自由な民主的な社会主義のために闘わなければならなかったはずです。真の問題は、「民族独立」ではなく、「資本主義 vs 現実社会主義の改善可能性」だったのです。ところが、私にしてからが20余年前はこの問題をこのように階級的な立場で正しく捉えることができなかったので、今はこのことに関してとても後悔しています。マルクス主義の第一原則は、いかなる問題であれ何より先に階級的な立場、「資本主義と反資本革命の可能性」という立場で見なければならないということです。「民族自決権」がいかに民主的な基本権であってもです。

 チベットが独立した場合には、チベットの漢族系住民などは果してラトビアのロシア人やユダヤ人より平等な扱いを受けられるでしょうか。ナトーとヨーロッパ連合に加入したラトビアとは違い、果して帝国主義勢力からどの程度距離を維持することができるでしょうか。現在中国の中央政府が実施している農民たちへの無償医療支援などの福祉プログラムを維持することはできるでしょうか。国際資本たちの要求にまともに立ち向かうことができるでしょうか。チベットの独立にどんなに歴史的な理由が充分にあっても、毛沢東と鄧小平などのチベット関連政策にどんなに誤謬があっても、たとえ今の状況が「福祉制度が稼動する内部植民地」と規定できても、チベットの独立を望む人々なら先ずはこの質問に答えなければならないでしょう。むしろ中国の各民族の勤労大衆たちと共に、より良い生活、「改革開放」の限界を超えて持続的に非資本主義的方向に進むことのできる生活を目指して一緒に闘ったほうがいいのではないでしょうか。中国全体がより親民衆的な方向に進み、草の根民主主義が先ず安着すれば、チベット人たちの不満も自然に次第に解けていきはしないでしょうか。当然ながら原則上チベット人たちは独立を要求する権利はあります。しかし、マルクス主義者の立場では、その独立が果してチベットのあらゆる勤労者たちの利害関係、さらには地域全体の階級闘争状況にどんな影響を及ぼすのかは同時に考えてみなければならないでしょう。

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/52675 韓国語原文入力:2012/10/18 19:41
訳J.S(3861字)

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