「プーチンに近い人たちが来年春の大統領選に出馬しないよう説得できるようになった」
エブゲニー・プリゴジン氏が率いるワグネルの武装反乱はわずか1日で終わったが、今回の事態が、23年間続く「プーチン体制」を支えてきたロシアのエリートに与えた衝撃は想像を超える。ロシア大統領府に近いモスクワの新聞編集者のコンスタンティン・レムチュコフ氏は25日(現地時間)、 ニューヨーク・タイムズのインタビューで、今回の事態でロシアのエリートが受けた驚きを「来年春に出馬するなと説得できるようになった」という短い一文で紹介した。今回の事態によって、ロシアのエリート集団の財産と安全を守ってきた「保証人」だったウラジーミル・プーチン大統領の地位が大きく揺らぐことになったということだ。
ボリス・エリツィン大統領(1931~2007)の跡を継ぎ、2000年にロシア大統領に就任したプーチン大統領は、これまで3回の改憲によって、国家権力を自身に集めてきた。特に、2020年の3回目の改憲では、2期12年と定められた大統領の任期は現職の大統領には適用されないという条項を加えた。現在の任期が終わる2024年から新たに2期12年後となる2036年まで任期を保障したのだ。その過程でプーチン大統領が強調したことは、ロシアの安定だった。だが、今回の反乱によって、ソ連崩壊後の国家的な混乱を克服し安定を保ってきたとするプーチン大統領の神話に、大きな傷がつくことになった。プリゴジン氏の過激な発言が続いたにもかかわらず、混乱を事前に調整できず、それによって反乱を事前に阻止することにも失敗し、最終的には自身がロシアの「背後に刃物を刺した反逆者」と呼んだ者たちと「政治的妥協」をしたためだ。
今後のプーチン大統領の運命を決める変数は、3つあるものとみられる。
1つ目は、武装反乱を起こしたワグネル部隊に対する処理だ。今回の反乱に参加した隊員は、免罪符を受ける条件で自主的に軍の撤収に同意した。現地メディアは、25日時点では、隊員たちはロシア南部の都市ミレロボの軍飛行場に留まっていると報じた。大統領府のドミトリー・ペスコフ報道官は24日、「反乱に参加しなかったワグネルの隊員は、引き続き国防省と契約を結ぶ資格がある」と述べたが、参加した隊員らについては言及を避けた。ワグネルの傭兵たちは今回の戦争で、士気が落ち訓練も足りない正規軍より優れた戦闘力を示した。
2つ目の変数は、プリゴジン氏と対立していたセルゲイ・ショイグ国防相とワレリー・ゲラシモフ参謀総長ら軍指導部の改編だ。ロシア国防省は26日、ショイグ国防相が「特別軍事作戦(ウクライナ戦争)地域の西部戦闘集団内のある部隊の前方警戒所を視察した」と明らかにした。軍指導部の交替はないという前日のペスコフ報道官の言葉通り、ひとまず健在を誇示したかっこうだ。だが、すでに無能力を露呈した軍指導部が、武装反乱軍が首都に向かい進軍する「国難」後も引き続き統率力を発揮するのかどうかは明らかでない。ショイグ国防相らを糾弾してきたロシアの軍事ブロガーは、アレクセイ・デュミン氏の国防相再起用や、昨年下半期にウクライナ戦争を指揮した「アルマゲドン将軍」ことセルゲイ・スロビキン将軍の参謀総長への起用説などを流している。
この2つの変数は結局のところ、3つ目の変数である「ウクライナ戦争をどのようにして終わらせるのか」という本質的な質問につながる。プリゴジン氏は、今回の反乱を起こしたことで、プーチン大統領が持ちだした「特別軍事作戦」に対する大義名分に傷をつけた。北大西洋条約機構(NATO)の東進がロシアの安全の脅威となり軍事行動に出ざるをえなかったという主張を正面から否定し、この戦争はショイグ国防相らロシア軍内の特権層の利害のために始まったと主張したのだ。
一方、米国などは、遅々として進まないウクライナの反転攻勢に対する疲労感を乗り越え、ふたたび積極的な軍事支援に乗りだす名目を得ることになった。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は25日、米国のジョー・バイデン大統領との電話会談で、西側が引き続き武器を支援する必要性を強調した。バイデン大統領も「確固たるアメリカの支援」を約束した。
プーチン大統領の前任者であるエリツィン元大統領は、ロシアのエリートの富と安全を保障できない無能さをみせ、権力の座から押し出された。その後、ロシアの権力層の安全保障を条件に、プーチン大統領に権力を渡した。ミハイル・カシヤノフ元首相(在任期間2000~2004)は英国BBCのインタビューで、今回の事態はプーチン大統領の「終末の開始」だとする見解を明らかにした。23年前にエリツィン元大統領が直面した現実が、いまやプーチン大統領の前にちらついている。