中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(19期6中全会)が8日に始まり、今回の会議を通じて導き出される中国共産党の3回目の「歴史決議」に対する関心が高まっている。激しく展開されている米中戦略の対立の中で、習近平国家主席の3期目の連任を決定づける来年秋の第20回全国代表大会(党大会)も控えており、今回の歴史決議は今後の中国の航路を決める道しるべの役割を果たす見通しだ。
今回の会議の最大の関心事は、党中央政治局が先月18日に会議で議論した「中国共産党の100年奮闘の重大な成果と歴史的経験に関する決議(案)」だ。今回の会議で審議・議決される「決議」には、今年で結党100年を迎えた中国共産党が自評する過去1世紀に対する評価と、今後の中国社会が進むべき方向性が盛り込まれることになる。
1億人近い党員を抱える共産党が、結党後に中全会を通じて「歴史決議」を審議・議決したのは、これまでたったの2回だけだ。1945年に毛沢東が主導した6期7中全会と、改革・開放初期の1981年に鄧小平小平が率いた11期6中全会の時だ。19期6中全会で3回目の「歴史決議」が採択されれば、習近平主席は自分が毛沢東、鄧小平小平と同じ列に加わったことをアピールすることができる。共産党は2018年1月の19期2中全会で、「毛沢東思想」、「鄧小平理論」とともに「習近平新時代中国特色社会主義思想」を指導理念として憲法前文に入れる改憲案を通過させた。
第1回決議(いくつかの歴史問題に関する決議)を採択した6期7中全会は、1944年5月から翌年4月まで陝西省延安で開かれた。抗日戦争が終盤に入り、第2次国共内戦の影が濃くなった頃だ。7つの部分で構成された第1回決議は、1921年の共産党結成後の歴史に対する総論的評価と、党内の左傾化・右傾化の誤謬に対する克服案を提示した。さらに、毛沢東の指導地位確立の過程を振り返り、未来に対する展望の中で「毛沢東思想」の正確性を強調する内容となった。この決議は党内の反対派を一掃し、毛沢東唯一の指導体制を確固たるものにする契機となった。
1981年6月の11期6中全会で採択された第2回決議(建国以来の党のいくつかの歴史問題に関する決議)は、第1回よりも複雑な状況で作成された。「文化大革命10年動乱」(1966~1976年)に対する責任を問い、毛沢東の誤りを指摘せざるを得なかったからだ。8つの部分で構成された第2回決議は、党創立から建国(1949年)までの28年間の歴史を振り返り、社会主義的改造基本完成期(1949~1956年)▽社会主義全面建設期(1957~1966年)▽文化大革命期(1966年5月~1976年10月)などに分けて党の功罪を明らかにした。特に文化大革命期については、「新中国成立以来、最も大きな挫折と被害を受けた」と規定し、「マルクス・レーニン主義の普遍原理と中国革命の具体的実践が結合した毛沢東思想の軌道から著しく外れたもの」と批判した。さらに、毛沢東死亡直後の1976年10月のいわゆる「四人組」の粛清後から、11期3中全会までの時期を「偉大な歴史的転換期」と規定した。また、毛沢東の党内地位については「業績の方が過誤よりも大きい。功績が先で、誤りはその次だ」と強調した。「毛沢東思想」を指導理念として残し、党内の混乱を鎮めた後、「社会主義強国建設のための団結闘争」を強調し、共産党政権の正当性を確保したわけだ。
今回採択される第3回決議は、創党100周年の歴史を振り返り、共産党が成し遂げた成果を誇示し、習主席の3期目の連任の正当性を支える内容になる可能性が高い。ここのところ習主席が強調している「共同富裕」と米中対立がどのような形で反映されるかも主要な関心事だ。
共産党中央委員会の主席職が復活するかどうかも注目される。建国以来、党中央委の主席の肩書きを持った人物は、毛沢東、その後継者である華国鋒、改革・開放初期に鄧小平小平の代理をした胡耀邦の3人だけだ。「最後の主席」である胡耀邦は、第2回決議を通過させた11期6中全会で党中央委主席に選出された。しかし、翌年の1982年9月に開かれた12期1中全会で主席職が廃止され、総書記職が新設された。主席は全権を振るうことができるが、総書記は名目上、政治局の召集などに権限が制限されている。習主席も、党の地位から見れば、主席ではなく総書記にすぎない。