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米国初の黒人国務長官コリン・パウエル氏、コロナ合併症で死去

登録:2021-10-19 08:40 修正:2021-10-19 09:20
レーガン~ブッシュ共和党政権で高位職 
イラク戦争指揮…後に「汚点」と後悔 
対北朝鮮では外交的解決策を強調した交渉派 
退任後はオバマ、バイデンら民主党支持
2000年12月16日、米大統領に当選したジョージ・W・ブッシュ氏が国務長官候補としてコリン・パウエル氏(左)を紹介し、共に笑顔を見せている/AP・聯合ニュース

 米国で初めて黒人として国務長官を務め、イラク侵攻に深く関与したコリン・パウエル氏が、84歳で生涯を終えた。

 パウエル元長官の家族は18日(現地時間)、フェイスブックを通じて「元国務長官で統合参謀本部議長のコリン・パウエル将軍が、新型コロナウイルスによる合併症で今朝死去した」と明らかにした。パウエル氏の家族は「私たちは驚くべき愛しい夫、父、祖父、そして偉大なアメリカ人を失った」と語った。家族は、パウエル元長官はコロナワクチン接種を完全に終えていたと付け加えた。

 ジャマイカ移民2世のパウエル元長官は、1937年にニューヨーク・ハーレムで生まれた。ニューヨーク市立大学在学時、予備役将校訓練課程(ROTC)に参加した。大学卒業後、1960年代にベトナム戦争に参戦し、ヘリコプターの墜落などで2度も負傷した。そのほか1989年のパナマ侵攻などの様々な軍事作戦で活動した。

 パウエル元長官は1987年、ロナルド・レーガン政権で国家安全保障担当の大統領補佐官を務め、ジョージ・H・W・ブッシュ政権では1989年に黒人として初めて米統合参謀本部議長に就任した。彼は1990年、イラクのクウェート侵攻に対応して始まった湾岸戦争で、サダム・フセインのクウェートからの放逐に成功したことで、大統領候補として名前があがるほど米国人の間で高い人気を博した。そして1992年、1996年、2000年と大統領選挙のたびに候補として取りざたされたが、出馬は固辞した。2001年にはジョージ・W・ブッシュ政権で米国の歴史上初の黒人国務長官となった。

 パウエル元長官は、2001年9月11日の米同時多発テロ事件以降に始まったアフガニスタン戦争と、2003年に始まったイラク戦争を外交の最高司令塔として指揮した。特にイラク戦争をめぐっては、同氏は2003年の国連演説で「イラクが大量破壊兵器を隠している」として戦争を正当化したが、後に米政府はイラクに大量破壊兵器は見つからなかったと発表した。パウエル元長官は国務長官を2005年に退任。2003年の国連演説を自分の人生から消し去ることのできない「汚点」と述べた。

 パウエル元長官は、北朝鮮に対しては外交的解決策を強調する交渉派だった。彼は2001年に国務長官に起用されるやいなや「前任のビル・クリントン政権の対北朝鮮政策を受け継ぐべき」と述べ、ブッシュ政権内で厳しい視線を浴びた。ディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官などのネオコンが権勢を誇っていた時期だった。

 パウエル元長官は共和党政権で要職を務めたが、その後は大統領選挙のたびにバラク・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョー・バイデンら民主党候補を支持した。

ワシントン/ファン・ジュンボム特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1015673.html韓国語原文入力:2021-10-18 22:29
訳D.K

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