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「殺せ」と叫ぶヘイトスピーチデモ隊に“オール川崎”で対抗

登録:2020-02-01 22:50 修正:2020-02-05 11:21
差別と闘い勝った人々 

「差別発言には最高50万円の罰金」 
罰則盛り込んだ条例は日本初 

165団体、市民ネットワークが参加 
表現の自由を憂慮し罰則に躊躇する 
市当局と市議会の説得に成功 

在日コリアン3世の崔江以子さんが率先 
ヘイトデモ隊の町内進入を阻み 
日本の国会で被害を証言 
「初めは怖くて避けて通っていたが 
支援してくれる日本市民に力をもらう」
ヘイトスピーチ反対運動の主役である崔江以子氏(左)と三浦和人氏が9日午後、ハンギョレのインタビュー後に「ふれあい館」の前でポーズを取った。多文化総合施設ふれあい館は条例制定運動の先頭に立った「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」が生まれた所だ//ハンギョレ新聞社

「何人も、人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的指向、性自認、出身、障害その他の事由を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならない」「この規定(差別的言動解消)による市長の命令に違反した者は、50万円以下の罰金に処する」

 日本の川崎市の「差別のない人権尊重のまちづくり条例」の核心内容だ。あらゆる種類の差別禁止を明示しているだけでなく、特にヘイトスピーチ(嫌悪発言)に対しては罰金刑を規定している。日本では最初であり、在日コリアンに対するヘイトスピーチを抑止する効果が期待される。条例を作った力は川崎市民だった。韓国では差別禁止法が2007年から毎度発議されているものの、いまだ国会を通過できずにいる。人権条例も障害者差別禁止条例など特定懸案に限定されていたり、保守的宗教団体などの反対で性的マイノリティに対する差別禁止の部分が抜け落ちていたりする。

 川崎条例を作る先頭に立ってきた4人に会った。崔江以子(チェ・カンイジャ)ふれあい館職員と三浦和人「市民ネットワーク」事務局長とは9日にふれあい館で、神原元弁護士とソン・ヘヨン弁護士とは8日に川崎市の自分たちの法律事務所でインタビューした。

 「本当は私もすごく怖かったんです。怖くて公開的にヘイトスピーチに対抗することは苦しかった。でも日本の市民たちが先に立ち上がってくれて、力強く支援してくれたので、私の小さな声を大きく出せる勇気をもらいました」

 差別発言を処罰する内容の川崎市条例(「差別のない人権尊重のまちづくり条例」、以下「川崎条例」)を作った主役のひとりである崔江以子(46・敬称略)ふれあい館職員は、市民の力だと強調した。差別的な言動をする人に最高50万円の罰金を賦課できるよう定めた川崎条例は、日本で最初であるだけでなく、世界の人権運動史にも記録される内容だ。日本ではこれまで「ヘイトスピーチ解消法」(2016)や、大阪市条例(2016年)など差別禁止と関連した法律や条例が幾つもあったが、宣言的な内容であったり、処罰規定がなく実効性が弱かった。処罰規定は表現の自由を侵害しかねないという懸念のために乗り越えるのが難しい障害物と考えられていた。川崎市は、多くの討論と審議の末にヘイトスピーチを制御できる処罰条項を条例に入れた。躊躇し苦悩する市当局と市議会を動かした力は市民だった。

 「2013年にヘイトスピーチ集会が川崎駅前で初めて開かれました。その時、そこを偶然通り過ぎて集会に遭遇したのですが、とても怖かった。200人近く集まった人々が『韓国人を殺せ』と叫ぶのを現場で直に見聞きしたので本当に怖かったんです。東京でそのような嫌韓集会が開かれるというニュースを報道で接した時とは次元が違いました。それで、その後は集会が開かれる場所を避けて通りました」

スクラムで町内への進入を阻む

 しかし、そのような見ぬふりは決して正解ではないということをほどなくして知ることになった。嫌韓デモを主導した右翼団体は、2015年11月8日にヘイトスピーチ集会を静かな住宅街の桜本で開くことにした。川崎市南部の海側に位置した桜本は、在日コリアンが多く暮らすコリアタウンだ。仕事を探して川崎工業地帯に集まった朝鮮半島出身労働者が、日帝強制占領期(日本の植民地時代)から住み、代々暮らしてきた地域だ。在日コリアン3世の崔江以子もここで生まれ育った。「日本浄化デモ第1弾」と銘打った集会の名称が示すように、この地域に暮らす在日コリアンが彼ら右翼の攻撃目標であることが明確に示された。

在日同胞3世の崔江以子氏は、川崎市だけでなく日本全域でヘイトスピーチ反対運動の象徴的人物だ。彼女は2015年から自身が暮らす桜本に押しかける右翼の集会を先頭に立って阻み、日本の国会でヘイトスピーチによる被害状況を証言し、2016年ヘイトスピーチ解消法の制定に重要な役割を果たした。崔さんが2016年6月5日、川崎市で開かれたヘイトデモを阻んだ後、仲間の市民たちに涙を流しながら話している/聯合ニュース

 桜本を守ろうと立ち上がった人は、当時ふれあい館の館長だった三浦和人(65)だった。彼は、1978年から桜本の社会福祉法人「青丘社」(理事長 ペ・ジュンド)で働いている。1970年代初め、日本国籍でないという理由で就職を拒否された在日韓国人2世の朴鐘碩(パク・ジョンソク)氏の「日立闘争」裁判を支援し、青丘社を作った故李仁夏(イ・インハ)牧師と縁を結んだのがきっかけだった。1973年に設立された青丘社は保育園を運営し、在日コリアンだけでなく日本人労働者など地域住民の子供を一緒に世話するなど、初めから共生を実践した。川崎市が1988年に多文化総合教育施設であるふれあい館を作り、青丘社に委託し運営を任せたのは、こうした経歴のためだった。ふれあい館もスタート時から在日コリアンと日本人、中国人、フィリピン人など地域に居住する多様な市民が共に使う、日本でも珍しい多文化共生空間だ。「だれもがちからいっぱいいきるために」がふれあい館のスローガンだ。「ヘイトスピーチのデモ隊が桜本をターゲットにしたきっかけは、2015年9月にあった在日コリアンのハルモニ(おばあさん)たちの戦争反対集会でした。そのデモがインターネットで広く知れ渡り、すばらしいという反応が多かったが、お前らの国に帰れという攻撃もありました。右翼たちは、ハルモニが暮らす町内を攻撃対象にしたのでしょう。私は彼らが桜本に攻めてくるという話を集会の3日前に聞きました。子供たちとハルモニを守るために、まずデモ隊が町内に入ってくるを阻まなければならないと考えました。ハルモニのデモの応援に出てきた市民200人余りに連絡して、人を集めました。ハルモニを応援してきたので町内を守るのは自然なことでした」(三浦)

 第2次世界大戦を経験した在日コリアンのハルモニ40人余りは、2015年9月に川崎で、安倍政権が当時推進していた集団的自衛権関連法案に対して「戦争は絶対に嫌だ」「平和が一番。子供たちを守れ」などのスローガンを叫び反対デモを行った。日本全域で平和デモが真っ最中の時期だったが、戦争を経験したハルモニが行ったこのデモは話題になった。三浦は20年前からハルモニたちと様々な活動を共にしてきた。

 その日、極右デモ隊15人程が桜本の入口に来た時、三浦の呼びかけに呼応して街頭に出てきた市民は150人を超えた。彼らのカウンターデモによりヘイトデモ隊は進路を変えざるをえなかった。1次対決で敗北した極右デモ隊は、2カ月後の2016年1月末に戦列を整えて「日本浄化デモ第2弾」と銘打ち、再び桜本に攻め込んだ。今回は極右デモ隊が60人余りに増えていたが、三浦と崔江以子たちが先導するカウンターデモに参加した市民は1千人に達した。カウンターデモ隊は互いに肩を組み、道路の真ん中に横たわり、彼らの町内進入を再び阻んだ。

2016年6月5日、川崎市中原区の平和公園に集まった日本市民数百人が道路の向かい側にいる右翼に向かって「ヘイト集会をもうやめろ」と叫んでいる。「共に生きよう」と書かれた横断幕と「ヘイトスピーチを許さない」と書かれたプラカードが見える=キル・ユンヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 「デモ隊が初めて桜本に来た時、すぐ目の前で『殺せ』『殺すぞ』という声を直に聞きましたが、それ自体が大きなショックでした。2回目のデモが予告された時は、これを前もって阻まなければという思いで、市に集会の許可をしないよう要求しました。すると、法がないので助けてあげられないと言われました。当日現場では警察が『このデモは許可を受けているので認めるしかない、これを阻もうとするあなたたちが違法だ』と言って私たちを叱責しました。その時が一番つらかった。私たちを守るべき相手から守ってはもらえないんだと思い、本当にショックでした」(三浦)

「ルールがなければ作らなきゃ」子供たちの要求

 崔江以子と共に長男(当時中1)も右翼の1次および2次桜本攻撃の時にカウンターデモに合流した。両親の引き止めにもかかわらず現場に出てきた息子は、在日コリアンの母親と日本人の父親の隣に立って「差別はやめて共に生きよう、桜本には絶対に入ってこないでください、お願いです」と泣いて叫んだ。崔江以子母子が涙で訴えたヘイトスピーチ反対闘争は、日本全域で大きな反響を呼び起こした。ヘイトスピーチ解消法を審議した参議院法務委員会は、2016年3月22日に崔江以子を東京に呼び、川崎のヘイトスピーチ被害状況を聴取した。崔江以子の陳述は「ヘイトスピーチ解消法」(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)の通過(2016年5月24日)に大きな力になった。

 「ヘイトデモをする人々の良心を信じて、差別を止めて共に生きようとラブコールを送りました。しかし、彼らは多くの警察官の保護を受けながら、『一人残らず日本から出て行くまでじわじわと真綿で首を締めてやる』と、デモを先導する人について桜本に向かってきました。『韓国、北朝鮮は敵国だ、その敵国人に対して死ね、殺せというのは当たり前だ、皆さん堂々と言いましょう、朝鮮人は出て行け、ゴキブリ朝鮮人は出て行け、空気が汚れるから朝鮮人は空気を吸うな』と叫ぶ人々が、私たちの町で警察の保護を受けながら押し寄せてきました。その時の私の心は殺されたも同然でした」(崔江以子、2016年3月22日参議院証言)

 ヘイトデモとインターネットでのヘイトスピーチがいくら激しくとも、市や警察の保護を受けられないということを知った崔江以子と三浦は、市民の力に期待する方に方向を定めた。彼らの要求に165団体が呼応して「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」(2016年1月、以下「市民ネットワーク」)が結成された。著名な識者である関田寛雄(91・青山学院大学名誉教授)が快く会長を引き受け、三浦和人と山田貴夫が事務局長を引き受けた。山田貴夫は「日立闘争」の時から在日コリアンの人権改善に力を注いできた。

 「2回目のヘイトスピーチ攻撃を受けて対応する中で、結局市民の力ではじき返さなければならないと考えました。外からの攻撃に対して、この町に住む人皆が一つになって対応しなければならない、そのためには皆がまとまれる会が必要だと考えました。この運動の成功のためには、政治的にならず『オール川崎』(All Kawasaki)精神が重要だと思いました。(三浦)

 市民ネットワークは、2016年6月5日の3回目の桜本攻撃など何回も川崎で開かれたヘイトスピーチデモと極右の講演会などをほとんど阻んだ。こうした実力行使だけでなく、市民ネットワークは完全に差別発言を阻む条例制定というさらに大きな目標を立てた。

 「ヘイトデモ隊が桜本に攻め込む時『ここに暮らす人々がヘイトデモは来ないで欲しいと言っているのに、彼らはなぜ来るのか』と私たちの地域の若者と子供たちが利くので、『それを阻むルールがないからだ』と言うと、『それなら大人たちがルールを作れば良いんじゃないか』と問い返すんです。その言葉を聞いて『そうだね、私たちがルールを必ず作るから』と約束しました」(崔江以子)

差別発言を処罰する内容の川崎条例を作った主役のひとりである三浦和人氏(左)と崔江以子氏が9日午後、川崎市桜本のふれあい館でハンギョレのインタビューに応じている=キム・ジョンチョル先任記者//ハンギョレ新聞社

市民の64%が「処罰条例」に賛成

 条例を作るために市民ネットワークは、2016年の発足時から市民学習会を組織した。学習会には一度に200人ほどの市民が参加し、国際人権法や表現の自由と関連した勉強をした。これを支援するために専門家である数人の弁護士も市民ネットワークに参加した。人権弁護士として有名な神原元(53)とソン・ヘヨン(47)が代表的だ。神原元は2013年2月に東京の新大久保で開かれた嫌韓デモを目撃した後、カウンター活動に積極的に参加してきており、韓国でも翻訳された『NOヘイト!出版の製造者責任を考える』を書いた。ソン・ヘヨンも神原とともに2013年6月からヘイトスピーチデモの不法を監視する現場活動を行った。2人は、日本軍慰安婦被害者訴訟も応援している。神原は故金学順(キム・ハクスン)さんの慰安婦証言を日本で初めて報道した植村隆・元朝日新聞記者が右翼論客を相手に起こした訴訟の弁護も受け持っている。

 「桜本に右翼が来てデモを行った時、私たちはそれを直接阻みに行ったのではなく参観しに行きました。弁護士はそうした現場には腕章をはめて行きます。もちろん私たちが腕章をはめているので、人々はここには弁護士もいるんだと注意するようになります。右翼を牽制する役割になるということです」(ソン・ヘヨン)

日本人の三浦和人も主役
市民ネットワークの結成と運営を主導
「警察のヘイトデモ保護にショック
町は自ら守ろうと条例運動」
神原元、ソン・ヘヨンの二人の弁護士
「差別発言の処罰事例が増えれば
不法の認識が広がり抑止効果を生むだろう」
草案公開後、ヘイトデモはなく
別の条例でツイッター脅迫犯に
昨年末30万円の罰金賦課も

ヘイトスピーチ反対運動の先頭に立ってきた日本の人権弁護士、神原元氏が8日午後、川崎市にある自身の事務室でハンギョレのインタビューに応じている=キム・ジョンチョル先任記者//ハンギョレ新聞社

 神原とソン・ヘヨンは、右翼の3回目の桜本集会(2016年6月)を控えて、他の弁護士3人と共に桜本の半径500メートル以内でのヘイトスピーチデモを禁止せよという内容の接近禁止仮処分申立てを出した。横浜地裁川崎支部は、その年の6月2日「ヘイトスピーチデモは『ヘイトスピーチ解消法』に違反する行為であり、表現の自由を越えた違法行為」として市民の手をあげた。市民ネットワークの活動に力づけられ、川崎市の福田紀彦市長も3回目の集会を控えてヘイトスピーチデモ隊の公園使用を許可しなかった。デモ隊は、集会場所を桜本から離れた中原区の平和公園前路上に変えざるをえなかったが、それも市民の力で遮断された。「2016年5月にヘイトスピーチ解消法が作られ、差別発言をしてはならないということを人々が理解し始めたが、その法はこれを禁するための強制条項や処罰がない理念法でした。大阪市条例にも処罰規定はありませんでした。私たちは川崎条例に罰則規定を必ず入れるべきだと考えました。それでこそ人々が差別やヘイトスピーチは不法だということを認識し、それに対する恐れができて、実質的な抑止効果を生むことができます」(神原)。市民ネットワークは、条例の内容に処罰規定を入れなければならないという内容で4万人の署名を集め、2018年11月に市議会に提出した。しかし市は、条例の概要を発表(2019年3月)する時も「実効性を確保する措置を工夫」すると言及しただけで、罰則規定を含ませるか否かについては今後検討を進めるとし、曖昧な態度を取った。これに対して市民ネットワークは、差別発言に対する処罰規定を入れ、インターネットでのヘイトスピーチ対策を強化することを要求する意見書を市に提出した。数日後、神奈川県弁護士会も同じ内容の声明を発表した。これにより昨年6月24日に発表された条例草案には処罰規定が入った。条例発表後、川崎市に提出された市民の意見1万8千件余りのうち64%がこの草案に賛成した。ついに昨年12月12日、川崎市議会は自民党議員まで含めた全員賛成で条例を通過させた。罰則条項は今年7月から施行される。

「脅迫のために外出時は子供と離れて歩く」

 「オール川崎」を前面に出した市民ネットワークが市民の呼応を得た分、右翼の妨害も熾烈だった。彼らは「川崎に穴があけば日本全体に穴があく」として、ヘイトスピーチ反対運動の核心人物に対する攻撃に焦点を合わせた。第一のターゲットは、川崎の求心点であり全国的な象徴に浮上した崔江以子だった。右翼らは、桜本を守りに出た彼女の息子も容赦なく攻撃した。彼らは匿名の陰に隠れられるインターネットを主に活用した。ツイッターとインターネットのコメントなどを通して「ゴキブリ」「ウジ虫」などのヘイト発言をするかと思えば、「庭で使うナタを買う」「川崎のレイシストが刃物を買うから通報しろよ」という内容で露骨な脅迫もした。彼らの執拗な脅迫に、崔江以子はめまいや難聴、不眠症に苦しめられた。彼女は家の前の表札を外し、家にかかってくる電話は受けなかった。また、買い物など外出をする時は、子供から遠く離れて歩いた。他人のように振る舞って、差別主義者の攻撃があっても子供を守るためだった。

 「インターネットのコメントなどは気にしない方が良いとアドバイスを受けたことがありますが、気にしないわけにはいきません。『死ね』というコメントがあれば夜も眠れませんでした。件数がいくら多くても慣れることはなく、一件一件にはっきりと傷つきます。そしてインターネットの被害は現実社会で他の形になって現れます。インターネットでプリントした私の顔にゴキブリのイラストを貼り付けて郵便で送ってきたりもします。また、ゴキブリの死骸が職場に届けられたりもします」。(崔江以子、2018年6月2日川崎自治体職員組合での講演)

 殺害脅迫をした「極東のこだま」という名のツイッターユーザーは、警察の捜査で藤沢市に住む50代の男性であることが分かった。彼は一時、検察の不起訴処分で法の網をすり抜けるかに見えたが、神奈川県の「迷惑行為防止条例」違反疑惑で昨年12月27日、ついに裁判所から30万円の罰金刑を宣告された。長男を攻撃した大分県居住の60代男性も、昨年1月に9千円の罰金を宣告された。

 「執拗なインターネット攻撃に、正直言って生きることを放棄したいと思った瞬間もありました。しかし、いくら多くの攻撃を受けても、止めることはできませんでした。なぜなら、私の被害はみんなの被害になるので、途中で倒れることも止めることもできませんでした。前だけ見て前へ進むしかなかったんです。必ず日本の良心が通じるはずだと、社会正義が通じるはずだと信じました」(崔江以子)

 神原元とソン・ヘヨンも右翼の集中攻撃を受けている。右翼らは、日本弁護士連合会に2人を懲戒してほしいという請求を3千通以上出し、このうちの720人は昨年初めに2人を相手取り7億2千万円の訴訟を提起した。2人は720人を相手に対抗訴訟を提起して戦っている。また、桜本のヘイトスピーチデモ(2016年1月)を主導した右翼の人物4人は、昨年11月に神原が自分たちの集会を妨害したと主張して、合計440万円の損害賠償請求訴訟を提起した。

2017年7月16日、川崎市の平和公園近隣の路上で市民が「共に幸せに」という横断幕を持って、道の向かい側のヘイトスピーチデモ隊を眺めている。この日、ヘイトスピーチデモ隊は市民に詰め寄られまもなく解散してしまった=チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社

149人の弁護団の弁護を受ける弁護士

川崎のヘイトスピーチ反対運動//ハンギョレ新聞社

 「神原を反ヘイトスピーチ運動の象徴と考えて、右翼らが彼を打ち砕こうとしています。しかし、こうした動きを放っておいてはならないとして、多くの弁護士が支援し共に対応しています。結局、私たちが勝つでしょう」(ソン・ヘヨン)

 同僚弁護士149人が神原を応援するために大規模弁護団を設けた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を描いた映画『弁護人』を彷彿させるもので、日本ではなかなか見られない現象だ。この訴訟の1次弁論が1月21日、横浜地裁川崎支部で開かれた。

 「最初はヘイトスピーチに反対する仕事をするため韓日の歴史を勉強するようになり、より多くのことを学ぶことになりました。強制徴用や慰安婦問題を知ったし、韓日関係を良くするためにも日本が植民地支配の歴史に対して反省しなければならないということも分かりました。在日コリアンが受けている差別をなくすことや、反ヘイト運動も今後ますます一生懸命やらなきゃなりませんね」(神原)

 川崎条例の草案が発表された以後、川崎ではヘイトスピーチデモが一度もない。ふれあい館にかかってくる非難の電話も、脅迫年賀状事件が起きるまでは一度もなかった。インターネット上のヘイトスピーチは今もあまりに多く、まだその効果を感じることはできないが、罰金事例が増えればこれも大きく減るだろうと反ヘイトスピーチで闘っている人たちは予想している。

 「川崎地域自体が特別です。在日コリアンが40年余りにかけて社会活動をしてきたし、そうした経験が蓄積されて共生と協力の雰囲気が作られています。反ヘイトスピーチ運動の過程を見ても、被害当事者が発信すれば、それに共感した人々が集まって結果を作り出しました。人と人をつなぐ連帯の力が川崎には確実にあります」(三浦)

 年賀状脅迫事件がニュースになり、「人種差別撤廃基本法を要求する議員連盟」所属の与野党議員7人が1月23日夕方、東京から駆け付けてふれあい館を訪問した。彼らは警察の迅速な捜査と適切な対策樹立を求めた。川崎市民の連帯した力が感じられる場面だ。

川崎/キム・ジョンチョル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/926481.html韓国語原文入力:2020-02-01 09:34
訳J.S

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