『再び、日本を考える』
徐京植著、ハン・スンドン訳
ナムヨンピル出版社(2017)
南北の緊張が高まると、大韓海峡を越えて日本の朝鮮人生徒が被害を受ける。民族、民族意識とは、自ずと強化されるのではなく、差別とそれによる被害がある限り、消えない。1987年大韓航空機(KAL)爆破事件、1994年第1次北朝鮮核危機、2002年北朝鮮の日本人拉致事件などが発生する度に、在日朝鮮人学校には時に生徒たちに危害を加えるという脅迫電話がかかってくる。時には生徒たちの通学バスに嫌韓メッセージを書き込んだビラが貼られていることもある。しかし、これよりも大きな問題は、これを黙認したり助長したりする日本政府の法的・制度的な差別だ。朝鮮学校には寄付をしても税金減免の恩恵がなく、生徒の安全な通学のためのスクールゾーンの設置もない。
8月29日、韓国の大法院に当たる日本の最高裁判所が、政府の高校無償化政策から朝鮮学校を除外したことを適法とした判決を確定した。2010年から始まった日本の高校無償化政策では、公立高校は無償教育、私立高校の生徒には一人当たり年間12万~24万円の学資金補助が行われている。外国人学校の生徒も支援対象だが、延坪島砲撃事件後、朝鮮学校への適用が中止された。第2次安倍政権が発足し、朝鮮学校が、北朝鮮政府および総連と密接な関係にあるため、教育支援金が他の用途に転用される可能性があるとして、援助対象から外されたのだ。
ニュースに接した後、私が知っている何人かの顔が浮かんだ。その中の一人である徐京植(ソ・ギョンシク)氏は日本で生まれ、60年以上を日本で暮らした。 彼にとって日本という国は、「人権、平等、平和、民主主義」など普遍的価値を教えてくれた、侵略戦争に対する反省をもとに「平和主義」を実践すると叫んだ国だった。そんな日本、戦後日本はどうしてこんなに見る影もなく崩れてきているのだろうか。 彼は『再び、日本を考える』において、反省が不徹底だった日本だとか、リベラルの限界などと簡単に断定していない。もちろん、戦後日本が過去と断絶し、新しい近代国家として出発できたはずの数回の好機を逃したとか、新しい普遍の文化を作り出すのに失敗したという指摘も忘れてはいない。
「日本」は近代の始まりから我々にとって難しい問いであり、現在もなおそうである。 1919年3・1運動は日本によって残酷に弾圧された。「日本は近代以後、『文明化(ヨーロッパ的普遍主義)』を口実に、自己中心的な国家主義に基づいた侵略」を繰り返してきた。彼らはこのような「日本的普遍主義」を「八紘一宇」と称したが、「これは天皇を中心とした国家神道思想によって日本を頂点とした国際秩序を正当化するイデオロギーであり、中国・朝鮮などアジア民族はこうした普遍主義に従わなければならないということだ。独立を要求する被支配民族の願いは『民族主義的偏見』として弾圧」した。
韓国で生まれ育った者には韓国の普遍が常識であるはずで、日本で生まれ育った人々は日本の普遍を当然のこととして学ぶだろう。しかし、私たちは国民、民族の一員である以前に人間として責任と義務を負っている。民族主義的偏見を普遍的に設定した社会で、教育とは「民族主義的偏見」を再確認する過程だ。他人がボタンを押したエレベーターの階を自分が降りる階と勘違いして思わずついて降りてしまうように、自ら考え判断し選択しなければ、私たちは誰でもアウシュビッツのアイヒマンになりうる。私たちが追求すべき倫理的主体としての個人は、自分の責任を忘却したり放棄したりせず、集団の文化・社会・国家に抵抗し、これに対する責任を問う者になることだ。それが今日の日本を見つめ、また私たち自身を振り返らなければならない理由である。