ビーガン米国務省北朝鮮政策特別代表が11日(現地時間)、「ゼロか100か」(all or nothing)の対北朝鮮アプローチを公開的に示したことで、米政府が強硬一色に染まった格好だ。強硬な基調への変化は、朝米首脳会談の合意が見送られた後に明確になったが、振り返ってみると、空転の兆しは首脳会談1週間前からあった。
交渉に対するバラ色の展望を生んだ主な契機は、ビーガン代表が1月31日にスタンフォード大学で行った講演だった。ジークフリード・ヘッカーやロバート・カーリンなど現実的な解決策を追求する専門家が集まっている場で、ビーガン代表は「北朝鮮と同時的かつ並行的に移行する準備ができている」と述べ、従来の「先に非核化が実行されたら、後で制裁を解除する」という方針を捨てたと評価された。2月14日、マイク・ポンペオ国務長官はマスコミとのインタビューで、「制裁緩和の見返りとして、良い結果を得るのが私たちの全的な意図」だと述べ、米国側が制裁の一部緩和を考慮しているのではないかという見通しを生んだ。
ハードルを上げるような米国の動きが表面化したのは、首脳会談を5日後に控えた2月21日に行われた“高官”によるメディアブリーフィングだった。同高官は当時、「ビーガン代表は『段階的措置』(step by step)について言及しなかった。我々は非常に素早く動く必要があり、非常に大きく動かなければならない」とし、「漸進的な措置がこのプロセスの主な推進力だとは考えていない」と述べた。また、北朝鮮との交渉のテーマに「すべての大量破壊兵器(WMD)とミサイル計画の凍結」を掲げ、これまで関心の対象だった「寧辺(ヨンビョン)の廃棄」よりも範疇を広げた。
これに先立ち、ドナルド・トランプ大統領が2月19~20日、「最終的には非核化を見ることになるだろうが、急ぐことはない」や「今回が最後の会談になるとは思わない」と述べたのも、今考えると「ノー・ディール」まで念頭に置いた発言だと言える。
1月末~2月下旬に変化が生じた要因としては、ビーガン代表の平壌訪問が挙げられる。ビーガン代表はスタンフォード大学での演説後、2月6~8日に平壌を訪問し、北朝鮮のキム・ヒョクチョル国務委員会対米特別代表と実務交渉を行い、首脳会談の直前にハノイで再び会うことを決めた。当時、ビーガン代表は「北朝鮮が実務交渉に積極的態度を示した」と述べたが、実際には成果が足りないと判断し、ハノイ実務会談に合わせて攻撃的にトーンを調整した可能性もある。
最大の要因は、寧辺の核施設の廃棄にとどまった場合、政治的後遺症を懸念したトランプ大統領の意中だった可能性が高い。トランプ大統領は首脳会談で合意が見送られた直後の記者会見で、「今日無理して署名したなら、『ひどすぎる』という反応が出ただろう」とし、「先を急ぐよりは正しく進めたかった」と述べた。
共和党の“次期大統領候補”に挙げられるマイク・ポンペオ国務長官が、党内の主流世論と議会の攻勢を意識し、強硬な基調を選んだという分析もある。これは、超強硬派のジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安保担当)が力をつけるのに良い構図だったようだ。“ビック・ディール”への回帰は、トランプ大統領とポンペオ長官、ボルトン補佐官の3人による合作と言える。