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「私の記事にあれこれ言おうが『慰安婦女性』戦時凌辱の事実は不変」

登録:2018-01-18 22:56 修正:2018-01-19 16:27
金学順さんの証言を最初に報道 
植村隆・元朝日新聞記者 
「ねつ造記事だ」に対抗し法廷攻防4年目 
6日、東京で「裁判支援」トークコンサート 
指紋捺印拒否のピアニスト、崔善愛氏  
平和憲法を守るコメディアンなども出席
6日、東京でトークコンサートを開いた植村隆(左から)、崔善愛、松元ヒロの各氏=カン・ミョンソク提供//ハンギョレ新聞社

 「重要なことは、私の記事にあれこれ言おうが、戦場で多くの女性が凌辱されたという事実には変わりがないということです」

 6日、世田谷区の成城ホール。400人の観客が集まり盛況だったトークコンサート「忖度を笑う 自由を奏でる」の講演者として立った元朝日新聞記者で、現在はカトリック大の招へい教授である植村隆氏(59)の声には力が漲っていた。

 彼は1991年8月、日本軍「慰安婦」問題で最初の証言者である故金学順(キム・ハクスン)さんの記事を初めて報道したことで有名なジャーナリストだ。だが彼は、2014年以後日本の右翼と対抗して苦痛に満ちた闘いを続けている。4年前、日本のマスコミが植村氏の記事はねつ造だという報道をすると、右翼の脅迫電話や手紙が襲ってきた。当時高校生だった娘に対する殺害脅迫もあった。彼は当時、北星学園大学で講師として3年間仕事をしていた。この報道で神戸松蔭女子学院大学教授任用契約も取り消された。彼は現在、自身を「ねつ造記者」と主張する日本の右派知識人に対し名誉毀損訴訟を提起し、東京と札幌で法廷攻防を行っている。

 この日の公演には、指紋押捺拒否運動を行ったことで有名な在日同胞3世ピアニストの崔善愛(チェ・ソンエ)さん、「憲法くん」と自ら名乗る一人芝居を通じて、20年以上にわたり平和憲法の意義を日本社会に知らせてきたコメディアン、松元ヒロ氏らが加勢した。年初にこのように盛大に集まったのは、安倍政権の右傾化の流れに対する抵抗を確かめる一方で、今年で4年目になる「植村裁判」を支援するためだ。

 行事は「トークコンサート」と言いながら、多彩な形態で進行された。最初の舞台は松元氏の時事風刺劇だった。特有の滑稽な表情と共に安倍政権の私学スキャンダルをユーモアたっぷりに風刺して、観客の笑いを誘った。劇のハイライトは、20年の歴史がある「憲法くん」だった。自らを「姓は日本国、名は憲法」と紹介し憲法を擬人化して、観客とコミュニケーションする方式は松元スタイルの真骨頂だ。「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」するという日本憲法の前文を強調することで終わった。

 第2部は、崔善愛さんのピアノ演奏だった。ショパンの幻想即興曲ハ短調など4曲を演奏した。ショパンはロシア治下の祖国ポーランドから亡命して、結局フランスで生涯を終えた。「ショパンは最後までポーランドの魂を歌った。それが彼の抵抗の方式だった」。崔氏の手記『父とショパン』には、ショパンに対する著者の格別な気持ちが表われている。崔氏は在日同胞指紋押捺を拒否して、在日同胞の人権回復運動に生涯を捧げた故崔昌華(チォエ・チャンホァ、1929~1995)牧師の長女だ。崔氏もまた指紋押捺拒否を理由に10年以上粘り強い法廷闘争を行い、ついに法務省から永住権を認められた。演奏を終えて若い時期のことを回想しながら崔氏はこう話した。「裁判のある日には決まって脅迫電話がかかってきました。私も植村さんを応援したいと思います」

 最後に登場した植村氏は明るく元気そうだった。2014年以後「ねつ造記者」、「売国奴」の頚木をかけられ、右翼の標的だった彼は4年前と今日を比較して「感慨を新たにしている」と明らかにした。「大学任用が取り消されて目の前が真っ暗だった。だが、そのおかげで支持してくれる多くの人々と出会った」。彼は席をいっぱいに埋めた観客に謝意を表した。その後の宴席で彼は自身を支援してくれる支持者の前で自分で書いた四字熟語を取り出した。「一陽来福」。彼はこの四字熟語が「冬が過ぎて春が来るように、悪いことが続いた後には事が良い方向へ向かうことを意味する」として、右翼との困難な闘いにまきこまれた日々を後にして、近づく裁判での勝利を誓った。

 安倍政権以後の著しい右傾化の流れの中で、日本では歴史修正主義勢力が力を得て、「慰安婦」問題を知らせてきた大学教員や市民団体、学校に対する攻撃があった。広島大学の教員が、授業中に慰安婦ドキュメンタリーを上映したという理由で大学は激しい抗議に苦しんだ。兵庫県の灘中でも慰安婦に言及した歴史教科書を使うという理由で同様の状況に置かれた。東京の新宿にある慰安婦資料館(WAM、女たちの戦争と平和資料館)は匿名の爆破予告脅迫で大きな騒動を経験した。

 こうした状況の中で植村氏の裁判勝訴は、本人の名誉回復以上の意味を持つ。「慰安婦歴史」を消そうとする右翼のヘイトスピーチがもはや日本社会で容認され得ないということを知らせる判例になるだろう。植村氏の次の裁判は、31日に東京で開かれる。札幌で進行しているまた別の裁判は、今秋に判決が下されると見られる。

トークコンサートの聴衆=カン・ミョンソク提供//ハンギョレ新聞社
トークコンサートの演壇に立った植村隆・元朝日新聞記者=カン・ミョンソク提供//ハンギョレ新聞社

カン・ミョンソク/早稲田大学アジア太平洋研究科修士1年

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/828446.html韓国語原文入力:2018-01-18 19:17
訳J.S

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