「この決定は変わりませんよね?」(植村記者)
「そうです」(田村学長)
16日午後10時。札幌市のある事務室でじっと待っていた植村隆元朝日新聞記者(56)の携帯電話が鳴った。 彼が非常勤講師として勤めている北星学園大学の田村信一学長(総長)からの電話だった。この日午後3時頃から夜遅くまで学内の最高決定機構である評議会会議を開いた田村学長は、植村元記者に「来年度の契約を更新する」という決定を伝えた。
北海道のある大学の時間講師再契約問題が、なぜ日本列島全体の耳目を集中させる争点になったのだろうか。 今回の事態の主人公である植村元記者は朝日新聞大阪本社社会部に勤めていた1991年8月、自身が日本軍慰安婦だったことを初めて公開したキム・ハクスン ハルモニ(おばあさん、1924~1997)の歴史的証言を最初に報道した。 日本の右翼は慰安婦動員過程の強制性を認めた河野談話(1993年)などを事実上否定しようとしている安倍政権の歴史修正主義を背景に最近1年間、植村元記者に対し口にするのもおぞましい残忍な攻撃を続けてきた。そのため植村元記者は3月に当初就職が決まっていた神戸のある女子大学との雇用契約が取り消された。右翼は植村元記者の長女の実名と写真をインターネットに公開して、自殺を誘導する威嚇的な悪口を浴びせ続けた。北星学園大学も植村元記者を雇用しているという理由で「学校を爆破する」という脅迫を受けた。
日本の市民社会は、北星学園大学までが植村元記者の教壇に立つ機会を奪うならば、右翼の暴力に押されて学問と言論の自由が大きく萎縮すると憂慮してきた。 このような危機意識の中で、日本の学者、法律家、ジャーナリストなど約400人は、10月6日「負けるな北星!の会(マケルナ会)」を作って、植村記者と大学を応援する活動を展開した。
17日の記者会見で田村学長は「大学内外の状況を勘案してみる時、暴力と脅迫を容認しない認識が広範に広がり、それに対する社会的合意が形成され、卑劣な行為を阻む抑止力になりつつあると考える」と話した。 田村学長は続けて「一介の大学が前面に立って(右翼の攻撃に対抗して)戦うには限界があると考える。皆さんが注目して支えたことがこういう決定を下す上で大きな力になった」と話した。 植村元記者と北星学園大学に対する威嚇が知らされた後、日本全国でこの学校を支援する集いが結成され、380人の弁護士が集まり脅迫状を送った相手を刑事告発するなど、北星学園大学を守る運動が活発に展開された。 今回の決定が右傾化に駆け上がる日本社会の流れの中で小さな灯のように見える理由だ。
北星学園大学は1887年、アメリカ人女性宣教師であるサラ・クララ・スミスが開校した学校で、第2次大戦終戦50周年の1995年には「不充分な戦後の歩みを反省し、新しい時代の平和を作る学園として進むことを宣言する」という平和宣言も発表した。