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セウォル号遺族に出会ったヒルズボロの遺族 韓国でも真相究明を

登録:2016-05-13 01:33 修正:2016-05-13 07:25
ヒルズボロサッカー場で96人圧死 
警察の過失認定に27年
11日(現地時間)、セウォル号とヒルズボロの悲劇の遺族の(左から)ユン・ギョンヒさん、バリー・デボンサイドさん、ジェニー・ヒックスさん、ユ・ギョングンさんが、韓国のセウォル号遺族の寄せ書きを見せている=キム・ギテ通信員//ハンギョレ新聞社

 「手がとても冷たいですね」

 11日(現地時間)午前9時、イギリスのヒルズボロの悲劇で2人の娘を失ったジェニー・ヒックスさん(67)は、セウォル号遺族のユン・ギョンヒさん(44)に会ってすぐ、(彼女の手に自分の)両手を重ねた。この日、ユンさんを含むセウォル号遺族2人は、リバプールのヒルズボロの悲劇遺族会の弁護士事務所を訪れた。ヒルズボロ遺族たちは1989年4月15日、96人の命を奪った事故以来、27年間事件を隠蔽して歪曲する英国の警察と保守メディアとの戦いを続けてきた。長すぎる法廷闘争を経て、今年4月26日、ついにイギリスのウォリントン裁判所で開かれた裁判で、陪審員団は「警察の過失により、罪のない観客が死亡に至った」と評決した。

11日(現地時間)セウォル号遺族の「シヨンさんの母親」ユン・ギョンヒさん(右)とヒルズボロの悲劇で2人の娘を失ったジェニー・ヒックスさんが、英国リバプールにあるヒルズボロ遺族協会の弁護士事務所で会って抱き合っている=キム・ギテ通信員//ハンギョレ新聞社

 この日のセウォル号遺族との出会いは、真実究明に至った過程を知りたいセウォル号遺族の要請に、ヒルズボロ遺族が応えたことで実現した。2人の母親の話は、この世を去った子供たちの話で始まった。

 「子供が、...何歳でしたか?」

 「17歳、シヨンと言います」

 「うちの子たちは19歳のサラと15歳のビッキーでした」

 もう一人のヒルズボロ遺族のバリー・デボンサイドさん(69)も、事故で10代の息子を失った。息子のクリストファー君(当時18歳)は、友人の9人と競技場に行って事故に遭った。現場で市民たちが競技場の看板を取ってクリストファーの遺体を移した。警察と救助隊が現場で適切に対応できず、右往左往しているのを見かねた市民たちが、自発的に救助に乗り出したのだ。当時40代前半だった父親は、60代後半になって「イェウンさんの父親」ユ・ギョングンさん(48)と向き合った。

 「お辛いでしょう」

 「はい、お父さんがお辛いように、私たちも辛いです」

 「私たちも事故が起きるまでは分りませんでした。事故が起きて、子供を失ってから、それがこんなに苦しいことなのかを」

 デボンサイドさんはこの日、予定の時間よりもずっと前に事務所に来て、セウォル号に関連する資料に線を引きながら目を通した。そのように知ったセウォル号の話が、自分たちの経験と酷似していると、彼は何度も語った。「子供たちにセウォル号も安全ではなかったし、ヒルズボロ競技場も安全ではありませんでした。サッカー場のフェンスは、人々が避難できないように設置されました。警察は、圧死から逃れようとする人たちが中から出られないように、立ちはだかりました。韓国でも似たようなことが起きましたね」

2人の娘を失ったヒックスさん、ユン・ギョンヒさんと抱擁 
子供たちを思い出しながら痛みを分かち合う 

「セウォル保もヒルズボロも安全に無防備 
警察は慌てて脱出する人たちを遮断した 
韓国大統領が遺族助けないように 
イギリス警察も真実を隠蔽し、非難した」 

当時中年の母親と父親がいつのまに60代後半に 
多くの親たちが裁判中にこの世を去り 
「公権力との戦い、長く孤独だが 
その道が正義を守る治癒の過程」

 彼は事件が発生した後に両国の権力が示した態度も似ていると語った。 「韓国の大統領が遺族を助けなかったように、ここの警察も私たちの犠牲者と遺族たちに後ろ指を指しました。彼らは真実を隠蔽し、責任をリバプールFCのサッカーファンに転嫁するために、あらゆる策略を講じました」。デボンサイドさんは公権力に対抗した戦いは、非常に長く、孤独だったと、何度も繰り返した。そして、彼はセウォル号遺族を誰が助けているのか、その支援が十分なのかを、何回も尋ねた。

 この日、現場を訪れたBBC放送のアンディ・ギル記者は、個人的な意見であることを前提に、こう話した。「27年間、遺族は非常に孤独な戦いを続けました。その過程で最も残念だったのが、(事故)当時中年だった親たちが、時間が立って高齢になり、この世を去ったことです。多くの人々が、真実が究明されていくのを見ることもできないまま、去っていきました」。27年前のヒルズボロの悲劇当時も、現場で報道したという彼は、ヒルズボロ遺族と長年の友人のように会話を交わしていた。

 長い闇のトンネルを通ってきたヒルズボロの遺族は、今、事件の実体に少し近づいたと話した。ヒックスさんははっきり言った。「死が子供たちのせいではないという証拠が出てきました。私たちは、当時決定権を持っている人たちの過失に関する証拠を握っています。ようやく彼らの責任を問う番です」

 デボンサイドさんは、自分の胸に手を当ててはっきりとした口調で話し続けた。「心の奥底から愛を込めて願っています。真実を突き止めるように、正義を実現するように。その過程は、愛する人を送らざるをえなかった人たちには治癒の過程でもあります。韓国の他の遺族たちにもこの言葉を必ず伝えてください」

リバプール/キム・ギテ通信員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-05-12 19:23

https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/743607.html 訳H.J

■ヒルズボロの悲劇

 1989年4月15日、英国中部地域にあるシェフィールドのヒルズボロ競技場で行われたリバプールとノッティンガムフォレスト間のサッカー試合に、観客が大勢集まったことで96人が圧死した事件。当時、警察は事故原因を被害者の過失によるものとし、イギリス最大の日刊紙「ザ・サン」をはじめとする一部の保守新聞はフーリガンを批判した。過去27年間にわたる遺族らの粘り強い真相究明により、警察が組織的に証拠をねつ造し、隠ぺいした情況が少しずつ明らかになり始めた。2009年に構成されヒルズボロ独立調査団は、現場で警察が群衆の流れを統制するのに失敗しており、初期の救急処置の失敗が少なくとも41人の死亡をもたらしたと報告した。実際に事故が発生した初期の現場に到着した44台の救急車のうち、2台だけがスタジアムの中に入って救急患者を移送した。警察の不必要な統制のためだった。今年4月26日に開かれた裁判で、陪審員は観客の死亡が警察の過失によるものだと評決した。この事件は、まだ進行中である。事故の責任を取って刑事処罰を受けた人はまだ一人もいない。

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