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[寄稿]朴裕河氏の「帝国の慰安婦」めぐり擁護と批判で初の討論会

登録:2016-04-22 23:31 修正:2016-04-23 06:59
日本の記者が見た「帝国の慰安婦」論争
先月28日、東京目黒区の東京大学駒場キャンパスで開かれた朴裕河教授の著書「帝国の慰安婦」に関する討論会で、参加者たちが多様な意見を交わしている=東京/3・28集会実行委員会提供//ハンギョレ新聞社

日本軍「慰安婦」被害者と日本軍人を「同志的関係」とした朴裕河(パクユハ)世宗大教授の著書「帝国の慰安婦」をめぐる論争が日本の学界にも大きな波紋を投げかけている。「韓日和解の新しい可能性を提示した名著」と肯定的な評価がされる一方で、「論争する価値もないつまらない本」とする批判の声も上がる。3月28日、日本の東京大学駒場キャンパスで「帝国の慰安婦」の賛否論者が参加した討論会が開かれた。東京新聞の土田修記者が、日本国内での論争を考察する記事を送ってきた。

「日韓和解の道を開く名著」
「恣意的解釈多く学術書の価値ない」

 「朝鮮人慰安婦」を大日本帝国「臣民」と捉え直し、日本軍兵士と「同志的関係」を結んだとして、「加害・被害」の二項対立を乗り越え、日韓「和解」の道を開こうとする、韓国世宗大学校教授・朴裕河氏の著作「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」(2014年、朝日新聞出版)の評価をめぐって討論する「研究集会・『慰安婦』問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」が3月28日、東京都目黒区の東京大学駒場キャンパスで開かれた。集会では同書を「擁護する側」と「批判する側」の研究者や市民活動家ら10数人が、日本軍「慰安婦」制度と植民地主義の理解について意見交換した。同書については、元「慰安婦」被害者9人が「『慰安婦』たちが日本軍の『協力者』であり『同志』であったという虚偽の事実を流布された」などとして名誉毀損による損害賠償と出版禁止などを求めて民事提訴する一方、名誉毀損罪で刑事告訴している。日本国内では多くの研究者やマスメディアが同書を高く評価し、第27回アジア・太平洋賞特別賞(2015年10月)、第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞文化貢献部門大賞(同年12月)を受賞している。

■新しい認識の可能性視野に

 討論会では、まず、同書の「擁護側」の西成彦・立命館大学教授と岩崎稔・東京外国語大学教授、「批判側」の鄭栄桓・明治学院大学准教授が登壇した。

 西氏は「『帝国の慰安婦』の「善用」に向けて」と題して報告。「(同書は)国家間・民族間の政治的対立の構図が双方に『民族主義的な暴言』をかきたてる状況を生み出し、結果的に『問題の解決』を遅らせてしまうという現実に対する打開策」を示しただけでなく、「学術的なレベルにおいてもきわめて重要な問題提起を含み、…国境を越えて運動をさらに広げるための知恵を含んだ書物だ」と同書を高く評価した。

 西氏は、同書の「朝鮮人慰安婦と日本人兵士との関係が構造的には『同じ日本人』としての〈同志的関係〉だったからである。そのような外見を裏切る差別を内包しながらも」という一文を引用し、「『帝国日本』の『植民地支配』は、それ自体のうちに『内包』されていた『差別』を解消することがないまま、『朝鮮人慰安婦』を『日本兵士』と『同じ日本人』としての位置に置いたと書かれている。『被害者』であったはずの慰安婦をあたかも『協力者』であったかのように見せかけてしまう『構造』を生み出したのが『帝国日本』の暴力性の本質だったという論旨だ」と主張した。

 同書が「慰安婦の動員や移送や搾取に関与した可能性の高い『中間業者』の中には韓国・朝鮮人も含まれていたことを繰り返し強調」していることについて、西氏は「『韓国・朝鮮人』はあくまで『被害者』『抵抗者』のカテゴリーに属さねばならないとする考え方を『宙吊り』にする」とし、「朴氏が日本兵士と『朝鮮人慰安婦』の<同志的関係>(という『幻想・錯覚』)を敢えて強調するのは、『日韓・日朝対立のパラダイム』を超え、日本軍の戦争遂行の『協力者』としての役割を強いられた男女が、それぞれ『被害者』であったかもしれないという新しい認識の可能性を視野に入れるためだった」と述べた。

 最後に、西氏は「そうした二項対立思考では補足できない部分こそが、『帝国日本』の植民地支配を、その内部にまで分け入って究明するためには避けては通れない要素だ」と付け加えた。

■朝鮮人「慰安婦」は「愛国」的存在?

 続いて鄭氏は、「『帝国の慰安婦』事態と日本の知識人」と題し、「(朴氏は)朝鮮人『慰安婦』は日本人『慰安婦』と同じように大日本帝国の臣民たる『帝国の慰安婦』であった、朝鮮人『慰安婦』も『愛国』的存在としてかつ日本軍兵士に『同志意識』を持ち、『同志的関係』を結んだ、として『帝国の慰安婦』を論じている。だが『愛国』的存在や『同志意識』『同志的関係』を論じる際の証言や史料の読解はあまりにも恣意的だ。『女性たちの声』ではなく『兵士たちの声』と大日本帝国の論理によって証言を再解釈しただけだ」と話した。

 鄭氏は今年3月、「忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任」(世織書房)を出版。「朝鮮人慰安婦」を日本軍の戦争遂行を助ける「愛国」的存在と規定した「帝国の慰安婦」を、「『性奴隷制』についての無理解や『国民動員』『自発的な売春婦』など誤った解釈に基づく記述が目立つ」と指摘していた。

 研究集会で鄭氏はこの本が「業者主犯説」に立ち、日本軍の責任を極小化している点を疑問視する。「日本軍に問えるのは、兵士の性的欲望という『需要』をつくりだし、制度を『発想』し、業者の人身売買を『黙認』した責任のみだ、法的責任は業者の人身売買や誘拐などの犯罪行為にしか問えないとして、明らかに『業者主犯説』に立っている。『国家』の責任は極めて限定的にしか問われていない。しかも根拠となる書物にはない記述を挙げるなど史料の読解が極めて恣意的だ。この本は論証の第一歩で破綻している」と言い切った。

 一方、西氏が報告の中で「(批判側の考えは)『帝国の慰安婦』刊行前に時計の針を巻き戻し、歴史研究を後退させるものだ」と批判した点について、鄭氏は「1991年に金学順さんが初めて元『慰安婦』として名乗り出たことで、『慰安婦』問題が歴史研究の対象になり、それまで日本兵士の視点や大日本帝国の論理でしか語られてこなかった『慰安婦』像についての根本的な批判が行われた。『帝国の慰安婦』はもう一度、金さんがカミングアウトした以前の80年代に時計の針を巻き戻そうとしている。『慰安婦』被害者たちが怒るのも当然だ」と反論した。さらに「(日本で同書が受け入れられたのは)80年代の『慰安婦』イメージを求めている社会や言論界の側の欲望に問題があるからだ。こうした声を聞きたがっている日本の知識人の問題として考えなくてはいけない。この本が受容される日本の思想風土全体を自己点検する必要がある」と締めくくった。

■慰安所の「幸せ」が示す性奴隷被害

 この後、「擁護側」の浅野豊美・早稲田大学教授、「批判側」の小野沢あかね・立教大学教授と梁澄子・日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表がコメントした。浅野氏は「同書は日韓和解の可能性を示した。運動家の論理に学問の論理を従属させてはいけない」と「慰安婦」問題に取り組む市民運動を批判。小野沢氏は「被害者の証言を恣意的に切り取り『自発性』『愛国』『日本軍兵士との同志的関係』を作り出している点が問題」と同書の具体的な記述を引用して発言した。

 続いて梁さんは、「慰安婦」たちが語る「楽しかった思い出」や日本軍兵士との「恋愛感情」に触れた同書の記述について、「被害者証言の解釈に大きな違和感がある」と指摘。一例として、元「慰安婦」の金福童さんの「あいつらの言うとおりにしていれば可愛がられる。…可哀想だと言って勘弁してくれる軍人もいるし、少し休めと言って、ただ座って出て行く軍人もいたよ」という証言を紹介した上、「『その軍人がくると嬉しかった?』との質問に金さんは『うん、待ってた』と華やかな笑みを浮かべた。その笑みから慰安所での地獄の生活が生々しく浮かんできて胸に突き刺さった。彼女が本当に待っていたのは、その地獄からの解放であったはずだが、『少し休め』と言ってくれる軍人を待つようになる。朴氏は慰安所には『誇りや愛や幸せ』があった、それを『性奴隷以外の記憶』と言うが、朴氏が『誇り』『愛』『幸せ』と読み取ったものこそが、性奴隷とされた女性たちが抱える最も深い被害だったのだ」と話した。

 3人のコメントの後、浅野氏が「学問は運動とは別のもの」と発言した点に触れ、鄭氏は「歴史的な事件については当事者の証言や史料に基づいて対話するしかない。しかし朴氏は証言や史料の読み方があまりにも恣意的で間違いが多い。1961年の日韓請求権協定の話し合いの中で韓国政府は朝鮮人慰安婦の」請求権を放棄したと朴氏は言っているが妥当なのか? こうした過ちは単純なものではなく、自らの政治的メッセージに即した慰安婦像を作り出すために無理に史料や証言を読むしかなかったからだ」と語った。

■「日本の思想状況に危惧」

 研究集会後半では、上野千鶴子氏(東大名誉教授)、北原みのり氏(作家)、中西新太郎氏(横浜市立大教授)、金富子氏(東京外大教授)、吉見義昭氏(中央大教授)らが討論者として登壇。吉見氏は同書が「業者に法的責任はあるが、日本軍・日本政府には法的責任がない」としている点について、「日本軍は軍の施設として慰安所を設置し、そこに略取・誘拐または人身売買された女性たちを入れて軍人・軍属の相手をさせた。業者は軍の手足として使われた。軍の責任の方が重い」と述べた。

 上野氏は「朴氏は脇が甘い。こんな書き方はしないというところがいっぱいあるが、植民地支配の罪を突きつけたことは評価できる」と述べた。金氏は朴氏が「資料や証言を見る限り、少女の数はむしろ少数で例外的だった」と未成年徴集を「例外的」とみなし、ソウル市の日本大使館前などに設置された「平和の少女像」によって「誤った『少女』イメージが流布した」と主張していることについて批判。「さまざまな記録や調査によると、朝鮮人『慰安婦』の大半は徴集時に未成年であり、朴氏の主張には根拠がない。ありもしない証拠を使って『少女』『性奴隷』を否定し、『日本軍無罪論』に加担する同書は学術的評価に値しない」と批判した。

 続いての総合討論で鄭さんは「さきほど上野氏が『植民地支配の罪を突きつけたことが評価されるべき点』と言ったが、この本にはそうは書かれていない」と指摘。「朴氏は『植民地支配が原因で朝鮮人女性たちが慰安婦になっていった』と書いているが、朝鮮人『慰安婦』の募集において『強制連行』は例外的で、『国民動員』だったと書いている。しかも朴氏のいう『動員』とは、経済的理由で『自発的』に売春を選択せざるをえなかったという趣旨であり、“植民地支配の罪”について書いた本とはいえない」と発言した。

 集会最後の総括では、主催者を代表して本橋哲也氏(東京経済大教授)と中野敏男氏(東京外大教授)が発言した。本橋氏は「同書は実証研究のうえで多くの問題をはらんでいるにもかかわらず、日本では賞を取るなど公的に評価されすぎた。私は同書を民事・刑事裁判で裁くことが適切ではないと思い、日米の学者54人による『抗議声明』に加わった一人だが、今は署名したことを反省している。抗議声明に『この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず…』という一文があるからだ」と述べ、会場から拍手を浴びた。また中野氏は「朝鮮人慰安婦が日本軍兵士協力者であり『同志的関係』を結んだとする同書の認識は、1992年に金学順さんの登場で開かれた新しい地平の前の段階に後退する主張であり、驚愕した。日本軍の法的責任を否認する本を支持することによって私たちはナショナリズムに陥ってしまうのではないか。(多くの研究者やメディアが)そのような本を歓迎する現在の日本の思想状況に危惧を感じる」と述べた。

 最後に実行委員会は集会の記録集を刊行し、今後もさまざまな考えを持った人たちとの対話の場を継続してつくっていく考えを示した。

[解説的サイド]「運動嫌い」と「対話の可能性」

 研究集会を主催した実行委員会は、「帝国の慰安婦」をめぐる対話の場として今回の会を開催した。植民地支配の反省と被害者に対する補償・謝罪の実現を主張していても、同書について「日韓和解の可能性を開く名著」「学術的評価に値しない書」などと正反対の見解を持つ研究者や市民活動家が多いからだ。約5時間に及んだ集会では、同書が提示する「日本軍の法的責任」「慰安婦と日本軍兵士の『同志的関係』」「売春の『自発的選択』」など幾つかの課題をめぐって意見交換した。だが、同書の「擁護側」の中に、元「慰安婦」被害者を支援する市民運動に対する「嫌悪感」を示したり、論点を著者の在宅起訴へとすり替えることで、「対話の可能性」を封じる言動があったのは残念だ。

■元「慰安婦」の「主体性」否定する「擁護側」

 ソウル市の日本大使館前にはブロンズの「平和の少女像」が椅子に座っている。少女像は、元「慰安婦」被害者と支援団体の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が1992年から開催している日本大使館前での「水曜デモ」が2011年に1000回を迎えるのを記念して設置されたものだ。昨年12月の日韓外相による「最終合意」で、日本政府は被害者たちが求めてきた「国家としての反省と謝罪と法的賠償」を受け入れず、挺対協と被害者を説得して少女像を撤去するよう韓国政府に求めた。

 1990年に韓国37の女性団体の連合体として結成された挺対協は、「慰安婦」問題の解決だけでなく、戦時下の女性への性暴力の根絶を視野に活動の幅を世界に広げている。朴氏は同書の中で、挺対協が被害女性に「抑圧される民族の娘」として存在することを強制し、その運動は「平和ではなく不和のみを作り続けている」と非難している。日本の知識人の中にも挺対協の運動や少女像設置に「嫌悪感」を抱く者がいるのは確かだ。そうした嫌悪感と「帝国の慰安婦」が共鳴し合い、少女像の撤去を闇取引する安倍政権や日本の右翼の「戦前回帰」に手を貸しているだけではないか。

 今回の研究集会でも、「擁護側」の浅野氏は「批判側」に対し「運動の論理に学問を組み替えようとするものだ」と批判した。浅野氏には「批判側」の研究者たちが「運動の論理」に服従しているかのように思えたのだろう。だが市民社会から独立して存在する学問とは一体何だろう? そこに「対話の可能性」はないのか? その昔、アンガージュマン(社会参加)を唱え、労働組合運動や学生運動の先頭に立ったフランスの哲学者サルトルはもちろん、ニューヨークのオキュパイ運動に参加し、大衆抗議運動に大きな影響を与えた米国経済学者のスティグリッツ氏らが聞いたら一笑に付されそうな時代錯誤の考えだ。

 その浅野氏は、市民運動家である梁氏が、「慰安婦」被害女性たちが朴氏を名誉毀損で訴えた民事訴訟について話している最中に、唐突に「ハルモニたち(「慰安婦」被害者)に自由に会えるようにしてくださいよ。運動の方々にお願いしたい」と発言し、会場の失笑を買った。浅野氏は挺対協が被害女性たちの言動や裁判を操っていると言いたかったのだ。だが、民事・刑事訴訟を起こしたのは京畿道広州市の「ナヌムの家」に住む元「慰安婦」被害女性9人だ。朴氏が「支援団体に訴えられた」と表現したことから、「挺対協が訴訟を起こした」と勘違いしている人も多いというが、自らカミングアウトし、名誉回復運動を続けてきた元「慰安婦」被害者たちの「主体性」を否定する根拠はどこにあるのか? 「帝国の慰安婦」を擁護する研究者や日本のマスメディアの間に広がる「挺対協バッシング」を看過することはできない。

■被害者の苦痛に気づき「抗議声明」の署名撤回

 研究集会でもう一つ問題となったのは、韓国検察が朴氏を名誉毀損で在宅起訴したことだ。日米の学者54人は「公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出た」として「抗議声明」を出した。この「擁護側」の動きに対し、「批判側」は法廷で刑事責任を取ることは「適切でない」としながらも、同書によって大きな心の傷を受けた「慰安婦」被害者たちが提訴・告訴していることから、「起訴についての評価」を控えている。

 今回の研究集会が同書の評価についての討論であったにもかかわらず、総合討論で上野氏は「刑事告訴は不適切であるということで合意できないのか」と「批判側」に迫った。梁氏は「論理のすり替えだ」とした上、「この問題が法廷に行くことは望ましいとは思っていない。ただ対質尋問を拒否したり、最終的に検察の調停案を拒否したのも朴氏だ。もっと真摯に被害女性に向き合っていれば和解の可能性はあった」と説明した。

 研究集会では、同書が「証言や史料の解釈が恣意的で間違いが多く、学術的評価の対象ではない」とする意見が大勢を占めた。「擁護側」の西氏も「(この本は)『慰安婦』問題について考える入り口として利用できる」としながら、「間違いは改訂版で修正すべきだ」とコメントした。一方、「学問や言論の自由」という価値観を根拠に被害女性による民事・刑事告訴や韓国検察による在宅起訴を批判する意見もあった。

 だが、本当の被害者は元「慰安婦」の女性たちにほかならない。彼女たちを「『自発的に行った売春婦』というイメージ」とか「日本軍と一緒に行動し、『戦争を遂行した』女性たち」とする、誤った印象を与える言論が正当性を持つはずがない。何の根拠もないまま他者を冒涜し傷つける点ではヘイトスピーチと変わりがない。この事態は、昨年1月にパリで起きた連続テロ事件の後、「言論の自由」を盾にフランス全土で湧き起こった大規模なデモンストレーションとも通底しているように思えてならない。フランスの人口・歴史学者エマニュエル・トッドはムハンマドを冒涜する風刺画を許容する「イスラム・フォビア(嫌悪)」による「集団ヒステリー」と評した。「帝国の慰安婦」を絶賛し、朴氏の在宅起訴を「学問や言論の自由」の観点で非難する日本の知識人やマスコミも同様の「集団ヒステリー」に陥っているのではないか。

 資料の恣意的解釈や間違いに依拠し元「慰安婦」を傷つける言論を容認することは、「言論の自由」を守ることではない。「学問や言論の自由」を盾に同書の持つ致命的な問題点に目を閉ざそうとする者は、自ら仕掛けた罠にはまったも同然だ。朴氏の在宅起訴に対する「抗議声明」に署名した「擁護側」の本橋氏は研究集会を踏まえて「慰安婦」被害者の苦しみに気がつき、署名を撤回した。本橋氏の真摯な態度と勇気に「対話の可能性」を強く感じた。

東京新聞・土田修記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-04-22 20:28

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/740933.html

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