東京大空襲による死亡者10万人と推定
日本の市民社会が2005年末に朝鮮人調査
朝鮮人と推定される名前50人を確認
昨年末、調査団組織解体
「私たちの同胞の遺骨はこちらにあります」
12日、東京都墨田区横網町公園内に作られた東京都慰霊堂。慰霊堂の建物の最も奥にある納骨堂のドアを開けると、冷気が流れ出てきた。 在日同胞のユン・ビョガム僧侶(東京国平寺住職)が祭壇の前に進み読経を始めると、朝鮮総連系の在日同胞と東京朝鮮人強制連行真相調査団(以下、調査団)に所属する日本人が自然に一列に並んで焼香を始めた。
1945年3月10日、米軍が敢行した東京大空襲による犠牲者は10万人余と推定されているが、このうちどのくらいの朝鮮人が含まれていたのかは戦後数十年間は世間の関心外にあった。 当時、朝鮮人たちの死に関する調査を始めたのは、イ・イルマン調査団事務局長と調査団を後援する日本の市民社会だった。 彼らは2005年末、東京千代田区の日本教育会館図書館で1974年3月に美濃部亮吉氏(1904~1984)が東京都知事時期に作成した「戦後30年-東京都慰霊堂に安置された戦災死者」名簿を捜し出した。 調査団はこの名簿の中から創氏改名はされたが朝鮮人の名前としか考えられない50人の名前を確認した。
当時調査を主導したイ・イルマン局長が、祭壇の右下に整理されている骨壺を指さして説明を始めた。「ここを見てください。この方は姓がトバリ(戸張兼吉)と読めますね。 おそらく張(チャン)さんだったと思われます(この場合の名前はチャン・ギョムギルとなる)。同胞と推定されます。 当初日本人たちの遺骨の中に混ざっていたものを調査団が捜し出し、こちらに別に集めました。
東京都慰霊堂に朝鮮人の遺骨が含まれていることを確認した調査団は、2007年から毎年2~3月に東京大空襲で犠牲になった朝鮮人のための追悼会を行っている。 2008年には韓国の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会」の支援を得て、犠牲者遺族2人を招請する成果も上げた。 以後、委員会は毎年この行事に追悼辞を送ってきたが、昨年12月この組織が解体され、今年は韓国政府のメッセージがない初めての行事になってしまった。これに対して北朝鮮からは「朝鮮日本軍性的奴隷および強制連行被害者問題対策委員会」が追悼辞が寄せられ現場で朗読された。
調査団は1945年9月に日本政府が把握した東京の朝鮮人戦災死者数(4万1300人)などの関連資料を総合的に検討し、大空襲で亡くなった朝鮮人は1万人という推定値を出している。 日本の学界も概してこの見解に従っている。