日本市民社会、他民族蔑視を警戒
「92年前の過ちを繰り返してはならない」
「この碑文を一度読んでみてください。主語がないでしょ?」
1923年に発生した関東大震災92周年をむかえた1日午後1時、イ・イルマン東京朝鮮人強制連行真相調査団事務局長が東京墨田区の横網町公園に立っている朝鮮人犠牲者追悼碑の碑文を指さした。彼の説明に従い碑を見ると、「追悼」という大きな文字の下に「この歴史 永遠に忘れず 在日朝鮮人と固く 手を握り 日朝親善 アジア平和を打ちたてん」という碑文が目についた。 公園側では92年前の関東大震災が発生した時刻の午前11時58分44秒に合わせ、当時犠牲になった霊魂の冥福を祈る鐘を鳴らした。
イ事務局長は「この碑が作られたのは関東大震災から50年が過ぎた1973年だった。当時、日本人たちがこのような碑を作ったことはすごいことだったが、92年前の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺を起こした主体が誰だったのか分からないようになっている。 92年前の虐殺のように、他の民族を差別し排除する流れがヘイトスピーチ(嫌韓デモ)等に現れているように、現在の日本社会につながっている」と話した。 1日、この碑の前で開かれた「関東大震災92周年朝鮮人犠牲者追悼式」では「ウルミテソン鳳仙花」の悲しいBGMが流れる中で総連系の在日韓国朝鮮人と日本市民400人余が当時亡くなった人々のために黙祷と献花を行った。
最近日本社会でヘイトスピーチなど他民族を差別し蔑視する排外的な流れに対する警戒心が高まり、関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺に対する社会的関心も強まっている。 日本の若い世代の間では2014年3月にフリージャーナリスト加藤直樹氏が書いた『九月、東京の路上で』という本が話題になり、関東大震災の時に発生した朝鮮人虐殺に対する関心が高まった。 加藤氏はこの本を執筆した理由について「不逞鮮人という文字を嫌韓デモのプラカードで見た瞬間、関東大震災当時に発生した朝鮮人虐殺が思い出されて恐怖を感じた。人種主義者らの『(朝鮮人を)殺せ』という叫び声が90年前の東京の路上に鳴り響いた『殺せ』という叫びと共鳴している」と指摘した。 ヘイトスピーチを阻止するための“対抗行動”に参加している日本の若者たちは「日本社会がこのまま進めば92年前と同じ過ちを繰り返しかねない」と話す。
日本社会で“消えた主語”を探す作業は、その間に着実に進行していた。 日本弁護士連合会は2003年8月、「国家は当時起きた虐殺に対する真相究明を行い、虐殺被害者・遺族に対して責任を認め謝罪しなければならない」という勧告を出したことがある。 2009年には虐殺現場である墨田川周辺の八広駅付近に日本軍・警と市民の責任を明確にした最初の追悼碑も立てられた。
しかし、日本政府は市民社会のこのような努力に逆行する姿を見せている。 日本の文部科学省は今年4月、中学校教科書検定で「軍隊、警察、自警団によって殺害された朝鮮人の数は数千名に達した」という記述を、「自警団によって虐殺された朝鮮人に対して当時司法省は230人程度と発表した。殺害された人々が数千名に達するという話もあるが、犠牲者の数には定説がない」という内容に直させた。 少なくとも6000人が亡くなったことが分かった朝鮮人犠牲者の数を縮小しているわけだ。
この日の追悼行事に参加した芦沢一明・渋谷区議会議員(民主党)は、92年前に発生した朝鮮人虐殺事件は「日本人の差別意識と排外主義の根の深さを示すものだ。日本は長期にわたり事実を隠してきたが、新しい未来を作るためには過去を直視し正しく記憶すると共に、歴史と真剣に向き合わなければならない」と話した。