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北朝鮮、初めて日本の裁判所に文化財返還申請

登録:2015-02-27 02:26 修正:2015-02-27 07:02
日帝時代に搬出された平壌栗里寺址石塔
ホテルオークラに保管されたままの栗里寺址石塔。//ハンギョレ新聞社

 韓国文化財還収運動団体を通じて推進
 交渉終えた韓国とは異なり、権利まだ存在
 国交正常化されず、成功するかどうかの不透明

 北朝鮮が初めて日本の裁判所に過去の植民地支配の時に日本に搬出された文化財を返してほしいという調整申請を提出した。

 これまで韓国の海外搬出文化財返還運動を率いてきたへムン「文化財を本来の場所に戻す」代表は26日、北朝鮮の朝鮮仏教徒連盟(以下朝仏連)を代理して、平壌(ピョンヤン)栗里(ユルリ)寺址石塔(写真)の返送を求める調整申請書を25日、東京簡易裁判所に提出したと明らかにした。調整の日本側相手は、現在、この石塔を保管している日本の大倉文化財団だ。現在この石塔は東京港区に位置するホテルオークラに保管されている。

 今回の調整申請は、解放後70年ぶりに北朝鮮が初めて日本の裁判所に「文化財を返してほしい」という具体的な動きを見せたものとして、注目される。北朝鮮と日本は、2002年9月に平壌宣言で「文化財の問題について国交首脳会談で誠実に協議することにした」と明らかにした。

 韓国の場合、1965年韓日協定締結時に文化財返還交渉を終えたので、日本に追加文化財の返還を要求する法的根拠が弱い状態だ。そのため、これまで日本側が韓国に返還した朝鮮王朝儀軌などの文化財は「返還」ではなく、日本が善意で韓国に返すという「寄贈」の形で行われた。しかし、北朝鮮の場合、まだ返還を要求する権利が残っている。調停が成立しない場合は、日本の裁判所の判断を問わなければならないが、平壌栗里寺址石塔が国家ではなく民間の所有であるため、具体的な文化財の搬出は両国間の国交正常化会談を待たなければならないという立場を取る可能性高い。

 栗里寺址石塔は、日本の植民地時代にホテルオークラの創立者である大倉喜八郎(1837〜1928)が利川(イチョン)五層石塔とともに朝鮮総督府を通じて日本に搬出したものと推定されている。朝鮮総督府が発刊した『朝鮮古蹟図譜』によると、平壌栗里寺址に立っている石塔の写真を記載し、現在は大倉集古館に所蔵されているという説明をつけている。利川五層石塔の場合、2006年に韓国で返還委員会が結成されて返還運動が進行されたが、大倉文化財団側が1億5000万円(約14億ウォン)相当の文化財との交換を要求して交渉が決裂した状態だ。

 ヘムン僧侶は「光復70周年を迎える年に三・一節を控えて南北が心を合わせて『民族文化財返還』を目指し、平壌石塔の返還を日本の裁判所に要求したことを意義深く思っている。大倉文化財団が石塔の返還要求に応じてほしい」と述べた。

東京/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: : 2015.02.26 20:11

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/679946.html  訳H.J

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