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東京大空襲 69周年…朝鮮人死亡者 1万人 慰霊祭

登録:2014-03-02 21:57 修正:2014-03-02 22:22
9年目 毎年東京で追慕行事
北韓出身 遺骨参拝 未解決状態
"私の暮した故郷は花の咲く山、桃の花 あんずの花…"
1日、日本東京 江東区‘東京大空襲・戦災資料センター’で開かれた東京大空襲朝鮮人犠牲者追悼会でキム・チョルス朝鮮大学校教授が当時の被害状況について説明している。 今回の追悼会に南北韓政府はそれぞれ追悼辞を送った。

 1945年3月10日‘東京大空襲’時に亡くなった1万人余の朝鮮人を追慕するために100人余の韓国・日本・在日朝鮮人たちが1日、日本東京 江東区にある‘東京大空襲・戦災資料センター’に集まった。 東京朝鮮第2小学校の生徒キム・ヨンス(12)君ら4人が悲しい声で<故郷の春>を歌い、亡くなった方々の霊を慰めた。 春が近づいた東京にはこの日細かい雨が降った。

 東京大空襲があった3月初めが近づけば、日本各地で大小の追悼行事が開かれる。 空襲当日である10日、墨田区にある‘東京都慰霊堂’では追慕法会が行われ、様々な団体が当時のことを忘れまいという意で生存者を招請し証言大会も開催する。 先月28日には<NHK>が空襲69周年を迎えて‘いのちの被災地図~東京大空襲 69年の真実~’という特集放送も放映した。

 しかし東京大空襲で亡くなった多くの朝鮮人がいたということは永く忘れられた主題であった。 彼らの事情が歴史の前面に再登場したのは去る2005年末からだ。総連系列であるイ・イルマン‘東京朝鮮人強制連行真相調査団’(以下 調査団)事務局長を中心に朝鮮人被害者に関する真相調査がその頃に初めて始まった。

 調査団は調査の過程で1974年3月美濃部亮吉(1904~1984)が東京都知事だった時期に作成した<戦後30年-東京都慰霊堂に眠る戦災死者>名簿を捜し出した。 調査団はこの名簿の中から創氏改名されてはいたが朝鮮人の名前だとしか見られない名前50人分を捜し出した。 また、1991年日本政府が韓国に渡した‘被徴用死亡者名簿’から大空襲の当日である3月10日の空襲が集中した深川で同じ日時に亡くなった123人の名簿を選び出した。 調査団はこのような資料と1945年9月現在の東京の朝鮮人戦災者数(4万1300人)等を総合的に検討して、大空襲時に亡くなった朝鮮人が1万人に達するという推定値を提示している。 以後、調査団は2006年から毎年朝鮮人犠牲者のための慰霊祭を行ってきた。

 調査団が現在注目しているのは、北韓にある日本人遺骨問題を巡って3日に中国瀋陽で開かれる北韓と日本の赤十字社会談だ。 この日の慰霊祭に参加した芦沢一明 渋谷区議会議員(民主党)は 「北韓にある日本人遺骨に対する遺族たちの参拝は許されているが、日本にある北韓出身者の遺骨に対する参拝は行われていない」として、この問題を解決したいという意向を明らかにした。 北韓出身者の遺骨(431柱)が保管されているところは東京にある寺刹 祐天寺だ。 こちらには一時、朝鮮人の軍人・軍属の遺骨2328柱が祀られていたが、韓国出身者たちの遺骨は政府が日本と交渉を行い、2010年までに全て引き渡され、現在は北韓出身者たちの遺骨だけが残っている。

東京/文・写真キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/626490.html 韓国語原文入力:2014/03/02 21:02
訳J.S(1475字)

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