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韓国国防部の公文書、悲惨なレベル…「洪範図胸像撤去」の主張、3つの間違い

登録:2023-09-06 08:37 修正:2023-09-08 10:33
[ハンギョレ21]特別寄稿 
(1)自由市惨事に関する疑惑は事実無根 
(2)「パルチザン」の意味は1919~1922年の「独立軍」と指摘 
(3)日帝時代、ソ連は米国と同じく独立運動の友軍 
 
イム・ギョンソク|成均館大史学科教授
78年ぶりに故国の地に戻った独立活動家の洪範図将軍の遺体が2021年8月15日午後、国立大田顕忠院に臨時安置された/聯合ニュース

 2023年8月25日、陸軍士官学校は報道機関に声明文を配布した。それには信じ難い内容が含まれていた。校内に設置された「独立軍・光復軍英雄胸像」をすべて撤去し、別の場所に移すという内容だった。

 一度読んでみよう。「学生が学習する建物の中央玄関の前に、2018年に設置された独立軍・光復軍英雄胸像は、場所の適切性、国難克服の歴史が特定の時期に限定される問題などについての論議が続いていた」とする。そこで、これらの胸像を撤去し、学校外のどこかに移転するという話だった。

■独立活動家に向けられた突然の攻撃

 胸像の主人公は、抗日武装闘争の指導者だった。大韓独立軍総司令官の洪範図(ホン・ボムド)、北路軍政署の総司令官の金佐鎮(キム・ジャジン)、新興武官学校の設立者の李会栄(イ・フェヨン)、光復軍総司令官の池青天(チ・チョンチョン)、光復軍参謀長の李範奭(イ・ボムソク)の5人だ。武装独立運動を代表するのに充分な人物たちだ。解放された祖国の軍事将校を養成する士官学校で目標にすべき人物たちだ。

 その胸像をなくす代わりに、どうするというのか。声明文によれば「陸軍士官学校の校内には、学校のアイデンティティと設立の趣旨を実現し、自由民主主義の守護および韓米同盟の価値と意義を体感できる最適な環境を作ることに重点を置き、記念物の再整備事業を推進」するという。「自由民主主義」と「韓米同盟」が陸軍士官学校のアイデンティティを表象する言葉とみなされているようだ。それにふさわしい人物に置き換えるという意味だった。

 マスコミ報道によれば、新たに胸像の設置が検討されている人物は、ペク・ソンヨプ将軍だ。ペク・ソンヨプとは誰か。2009年、大統領直属の親日反民族行為真相糾明委員会が、親日の反民族行為者と規定した人物ではないか。彼は「1942年に満州国軍の少尉に任官してから1945年の日帝の敗戦に至るまで、満州国軍将校として日本の侵略戦争に積極協力」した人物だ。

8月29日午後、大田儒城区の国立大田顕忠院の独立有功者の第3墓地を訪れた大田市民が、洪範図将軍の墓地を見つめている/聯合ニュース

 「1943年2月から満州地域の抗日武装独立勢力を武力で弾圧した間島特設隊で、これらに対する弾圧活動を展開し、また、1944年から1945年にかけて、間島特設隊員として、日本軍の作戦の一環で中国軍の八路軍を討伐する作戦に従事し、1945年春から日帝の敗戦時まで、延吉(ヨンギル)地域の国境守備任務に従事」したとされた。

 要するに、陸軍士官学校の声明文は、独立軍の胸像をなくし、その代わりに親日反民族行為者の胸像を建てるという話にほかならない。この方針は、単に陸軍士官学校のレべルで決定されたものではなかった。同日、イ・ジョンソプ国防部長官は、国会の国防委員会で行った発言を通じて、陸軍士官学校の校内の記念物整備計画があることを認めた。独立軍・光復軍の胸像を陸軍士官学校の校内から撤去して外部に移すという方針が、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の次元で推進されていることを確認したものだった。

 世論が騒ぎ始めた。まず社会団体が動いた。独立活動家記念事業団体が連合して反対声明を発表し、記者会見を行った。独立有功者とその遺族を構成員とする光復会も乗り出した。光復会のイ・ジョンチャン会長は、胸像の主人公である李会栄の孫であり、陸軍士官学校16期(1956年入学)出身で、民主正義党の国会議員、国家情報院長を務めた保守派の政治家だ。イ会長は激しく反発した。イ・ジョンソプ国防部長官に辞任を要求する公開書簡を発表した。

 野党も立ち上がった。野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表は、国立大田顕忠院に安置されている洪範図の墓地を参拝し、「独立戦争の英雄を斬殺することは、決して容認できない」と発言した。パク・クァンオン院内代表も、党内最高委員会の会議の席上で、独立運動の誇らしい歴史を消そうとする反歴史的・反民族的な暴挙を取り消すよう要求した。

 さらに与党からも批判の声が出てきた。与党「国民の力」内の非主流の人たちがそれぞれ発言した。大統領選で党内選挙候補者だったユ・スンミン元議員、ホン・ジュンピョ大邱(テグ)市長、イ・ジュンソク前代表らが、フェイスブックなどを通して胸像撤去計画を非難した。

 普段は政権側の論調を維持している一部のメディアも背を向けた。朝鮮日報は8月28日付の社説で「北朝鮮と何の関連もなく、反国家的活動をしたわけでもない洪将軍の共産党加入の経歴だけを問題にするのは、理念的かつ偏狭だとする指摘が出ている」と批判した。中央日報も、ソ連共産党に入党したという理由で銅像を移すことは納得しがたいとして、独立活動家5人の胸像移転に反対の立場を明らかにした。文化日報に続き毎日経済も、洪範図の胸像移転は常識外のことであり、逆風が吹くだろうと懸念した。

 結局、胸像撤去計画は反対の世論に包囲されたわけだ。この計画を推進した政権内のニューライト原理主義者らが孤立した局面だとも言える。彼らは窮地に陥った。

8月28日、ソウル龍山区の国防部で定例会見を行うチョン・ハギュ国防部報道官/聯合ニュース

 8月28日、国防部はふたたび声明文を出した。「陸軍士官学校の洪範図将軍の胸像に関する国防部の立場」と題する文章だった。前回の声明文からわずか3日後のことだった。沸き立つ世論に負担を感じたのだろうか。国防部はすみやかに局面転換を試みた。独立活動家5人全員ではなく、そのうちの1人をつまみ出した。それが、洪範図将軍だ。

 声明文を読んでみよう。「ソ連共産党への加入や活動履歴などの論議がある洪範図将軍の胸像が陸軍士官学校に、しかも、士官候補生の教育の象徴的な建物である忠武館の中央玄関にあることは適切ではない」と判断した。

 国防部はその判断の根拠を具体的に指摘した。(1)1921年6月、ロシア共産党極東共和国の軍隊がスヴォボードヌイ(自由市)にいた独立軍を抹殺した自由市惨事に関係したという疑惑、(2)パルチザンの活動期間が1919~1922年と記載された洪範図の身分証明書から推定し、鳳梧洞・青山里(ポンオドン・チョンサンリ)戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑、(3)1927年にソ連共産党に入党した事実などがそれだ。要するに「1921年にロシアのヴォボードヌイに移動してから示した行跡」は、独立運動の業績ではないとみなしたのだ。

■これが政府機関の公的文書だと言えるのか

 目を疑わずにはいられない。はたしてこれが政府機関の公的文書なのか。虚偽と無知、そして、歴史に対する無理解が判断の前提にあることがわかる。一つ目の疑惑は、全面的に虚偽の所産だ。自由市惨事に関する歴史学界の研究は、ロシア語資料と日本側の情報資料、独立軍当事者の資料を縦横に比較分析したパン・ビョンリュル教授、イム・ギョンソク教授、ユン・サンウォン教授らの著書や博士学位論文などが代表的だ。

 それによると、自由市惨事の基本的な性格は、独立軍部隊の大統合の方法をめぐる内紛だった。死亡者が生じた武装解除の決定の責任は、高麗革命軍の指揮部(カランダリシュヴィリ、崔高麗(チェ・コリョ)、金夏錫(キム・ハソク)、呉夏黙(オ・ハムク))にあった。洪範図は流血の内紛が生じることを懸念し、武装解除の決定に反対する立場だったことが資料上では明確に示されている。国防部が提起した一つ目の疑惑は、全く事実の根拠がない。

 二つ目の疑惑は、全面的に無知の所産だ。パルチザンという単語は、ロシア語のパルチザン(Партизан)から来た外来語で、非正規戦に従事する武装部隊を示す。非正規軍という意味だ。1919~1922年にはこの用語は、「独立軍」や「義兵」を指し示す意味で用いられた。「パルチザン」という単語を「共産主義武装部隊」として用いる用例は、解放(日本敗戦後)後に初めて現れたことに留意しなければならない。

 三つ目の疑惑は、歴史に対する無理解のために生じた誤解だ。日帝植民地時代には、ソ連共産党は韓国独立運動の友軍だった。レーニン政権は、朝鮮独立運動を支援するために、金貨200万ルーブルを提供することを約束したし、そのうち金貨60万ルーブルが実際に支払われた。独立活動家の多くが、ソ連との提携を多角的に模索した。大韓民国臨時政府は、全権大使の韓馨権(ハン・ヒョングォン)をモスクワに派遣した。李承晩(イ・スンマン)でさえ、ソ連の独立運動支援を得るために李喜儆(イ・ヒギョン)を密使としてモスクワに派遣した。

国防部が陸軍士官学校の校内だけでなく、国防部庁舎前に設置された洪範図将軍の胸像についても、必要に応じて移転を検討していると明らかにした8月28日、ソウル龍山区の国防部庁舎の前に設置された洪範図将軍の胸像の様子/聯合ニュース

 国際共産党が招集した1921年の極東民族大会に、韓国独立運動系の団体多数が52人にのぼる最大規模の代表団を派遣したのもそのためだった。1927年にソ連に移住した洪範図がソ連共産党に入党したのは、韓国独立運動の発展のために極めて自然で望ましいことだった。第2次世界大戦時も、ソ連と米国は日本と相対して戦った連合国だった。1946年に冷戦が始まるまで、ソ連と共産党は、米国がそうであったように、韓国独立運動の友軍であったことを理解しなければならない。

 ソ連に対する敵対意識は冷戦が激化した後に生じた。歴史的な流れを考慮しなければならない。後代の評価基準を自分勝手に遡及し、過去の歴史的事案を判定する基準として乱用することは、歴史に対する無理解を示す行為だ。物心のつかない子どもの非常識と違いはない。

■反日感情を反共主義で防ぎたいのか

 国防部と陸軍士官学校は変則を企てている。陸軍士官学校は撤去予定だった5つの胸像のうち、洪範図将軍の胸像だけを学校外に持ちだすと発表した。金佐鎮将軍・池青天将軍・李範奭将軍と新興武官学校の設立者の李会栄氏の胸像はそのまま残すという話だ。当初は胸像5つをすべて撤去しようとしたが、批判の世論が激しいため、変則を企てているわけだ。独立運動を軽視しているという批判を薄め、事案を反共主義のイデオロギー問題に変化させ、局面の主導権を握ろうとする意図が隠れていると解釈される。

 いったいなぜ、こうしたことを行うのだろうか。尹錫悦政権は、何のために陸軍士官学校内からの独立活動家の胸像撤去問題を提起したのだろうか。視野をもう少し広げてみよう。胸像の撤去が問題化する前は、日本の核汚染水の排出と尹錫悦政権のほう助の態度に、国民的な公憤が醸成された。その直前には、世界スカウトジャンボリーの運営不備問題、忠清北道清州五松(チョンジュ・オソン)での地下車道浸水事故、ソウル~楊坪(ヤンピョン)高速道路の路線変更問題などが相次いで提起された。

 いずれもすべて、現政権の無能力と欲に関連した問題だった。そのため、政治工学的な解釈が提起される。胸像撤去問題を持ち出した理由は、核汚染水の放出によって触発された激しい反日感情を反共主義で防ごうとしたという解釈だ。新しい問題で古い問題を覆い隠す策略が隠れているという意味だ。

 視野を国際関係に移してみよう。洪範図胸像撤去問題は、韓米日同盟と内的関連性があることが推察できる。2023年8月18日、米国メリーランド州のキャンプデービッドで開かれた韓米日首脳会談は、韓国と日本が安全保障の危機の際、相互に軍事的に支援しなければならない根拠を作りだした。洪範図胸像撤去問題は、まさにキャンプデービッドの「3カ国協議に対する公約」の趣旨と関連している。有事の際には、日本軍が再び朝鮮半島に出没するだろう。それに対する韓国人の抵抗心理を、事前に弱めておく必要があるのではないだろうか。独立活動家の洪範図の胸像を持ち去り、そこに親日反民族行為者のペク・ソンヨプの胸像を建てる理由が、まさにそこにあるだろう。2つの解釈はいずれも一理があると判断される。もしかしたら、2つとも正しいともいえる。

■洪範図の独立運動は終わっていない

 尹錫悦大統領は8月29日、閣僚会議の席上で洪範図胸像撤去問題について発言した。「何が正しく、何が誤っているのか、一度考えてみよ」としたうえで、「誰かがしなければならないのであれば、私がする」と語ったと報じられた。国防部の措置は適切だとする意向を示したものと分析される。

 それだけではない。国家報勲部が洪範図の独立有功者叙勲を剥奪する案を検討しているという報道が出てきた。近い将来、叙勲功績審査委員会を開き、「重複叙勲」などの問題が発見された場合、叙勲剥奪を含むあらゆる可能な措置を念頭に置いているという。

 今後、波風はさらに激しくなりそうだ。洪範図は地中で永眠しているが、彼が一生献身した独立運動はまだ終わっていないようだ。洪範図将軍の独立運動は今も続いている。

参考文献 
パン・ビョンニュル『1920年代前半の満州・ロシア地域抗日武装闘争』独立記念館、2009年 
イム・ギョンソク『韓国社会主義の起源』歴史批評社、2003年 
ユン・サンウォン『ロシア地域の韓人の抗日武装闘争研究(1918-1922)』高麗大学博士学位論文、2010年 

イム・ギョンソク|成均館大史学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1107196.html韓国語原文入力:2023-09-05 22:20
訳M.S

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