2017年半ばのある日、「尹錫悦検事長」が個人チャットで写真数枚を送ってきた。一行目に「『チャーチ委員会』の活動背景」と書かれた、ある本の一部を自分で撮ったものだという。先月「キャンプデービッド」で明るく笑っている尹大統領を見て、その日のチャットを思い出した。
「後で(記事を)企画する時に参考になればと思って送ります。国家機関が民主主義をどのように破壊したのか、私たちも(国情院の)コメント事件に取り組んでいますからね、このようなことが繰り返されないためにはどうすればいいのか、そのような記事を書いてほしいと思いまして」
米上院のチャーチ委員会(Church Committee)は「ウォーターゲート事件」(1972年)でリチャード・ニクソン大統領が辞任した後に作られた。国家機関の違法な政治への関与、「反共」を名目とした連邦捜査局の「コインテルプロ」工作など権力乱用の実体を暴いた。尹検事長のおかげで初めて知った。
だからこそ、アクセル全開で「右」へとハンドルを切っている尹大統領の姿がまるで別人のように思える。尹大統領は半世紀前にチャーチ委員会の調査対象になったことを改めてリバイバルすると公言している。「共産全体主義勢力とその盲従勢力、日和見主義的追従勢力は虚偽の捏造、宣伝・扇動で自由社会を撹乱させようとする心理戦に明け暮れている」。これには驚愕する人がかなり多い。「毎日驚かされている。70~80年代の公安部の先輩たちの話を再び聞いているようだ」。「公安畑」だった尹大統領の検察の先輩の話だ。
もともと「振り切った保守」だったのではと疑う人もいる。しかし「尹検事」の同僚、先輩、後輩の記憶は違う。「保守的なスタンスを持ってはいたが、そこまで振り切ってはいなかった。そうでなければ、(味方の)朴槿恵大統領初期、あえて『逆鱗』(コメント事件)に触れて自ら不利益を招くこともなかっただろう。適当に覆い隠したはずだ」(元検察総長)。チャーチ委員会のようなことに関心を持つとも思えない。
政権初期にも今とは違っていた。「(2人で会った時)尹次期大統領がそう言っていた。『野党と積極的に意思疎通を図り、お酒でも酌み交わしながら虚心坦懐にやってみるつもりだ』と。それが嘘だったとは思わない」。蘭の鉢を持って当選祝賀使節として(尹次期大統領のもとを)訪れたイ・チョルヒ前政務首席も、そう振り返った。与党「国民の力」のある尹錫悦派の重鎮議員は「就任当初から『高い壁』のようなものを感じたようだ」と語った。「野党が自分を前政権の裏切り者扱いし、大統領として認めず、ことあるごとに足を引っ張っていると思っているようだ」
尹大統領は「筋書きを立てるのが好き」なことで知られる。「話をするときは、陰謀論のような、小説みたいな話を好んで語っていた」(元特捜検事の弁護士)という。政権を失った左翼が依然として「勢力」を維持し、精巧に組み立てられた「脚本」のもと、自分に反対していると思い込んでいる。尹大統領の知人の中には、検察総長の時から熱心に観てきたユーチューブ・チャンネルがこのような「意識化」の教材となったと語る人が少なくない。尹大統領の発言の過激さは、韓米日首脳会談前後に急激に増した。「政治の素人にもかかわらず大統領になったという自信があるうえ、キャンプデービッドで期待以上の外交成果を上げたという考えで大いに鼓舞されたようだ」(元大統領府首席秘書官)
尹大統領は執拗で断固たる性格の持ち主だ。方向を決めれば、「リスクと補償のバランス」は気にしない。検事の時はもちろん、ソウル中央地検検事長になってからも棄却された令状を2回、3回と再請求した。裁判所にたてつけば不利になることが多いのに、まったく気にする様子がなかった。イ・ジュンソク(前「国民の力」代表)を追い出した時もそうだし、竹馬の友の父親であり「穏健保守」のアイコンであるイ・ジョンチャンに背を向け、洪範図(ホン・ボムド)将軍胸像の撤去を推し進めるのも同じだ。むしろ「来年の選挙を控えて政務的に荒すぎるということを認める」としながらも、「誤ったことを放置していいのか」と問い返した。支持率と総選挙は二の次ということだ。国政哲学がないと常に批判されてきたが、それがようやく宣言された。
しかし尹大統領の行動は、銃砲時代に騎士鎧を着て虚像に向かって突進するドン・キホーテに似ている。検察総長時代は止める人がいたが、今は大統領を恐れる参謀に囲まれている。力のない老いぼれの騎士ドン・キホーテとは違い、大統領が理念戦士として乗り出すと、国論が二分される。
キャンプデービッドは1959年、米ソ首脳会談が開かれた歴史的な場所だ。殺伐とした冷戦時代に「共産主義の首魁」であるフルショフを招待したアイゼンハワーは、寝食を共にしながら平和の突破口を模索した。政治の要諦は対話と妥協であることを象徴する場所に行ったにもかかわらず、尹大統領は教訓を得ることができなかった。「我々は自分が知っているものしか目に入らない(Tantum videmus quantum scimus)」という先人たちの言葉通りかもしれない。