本文に移動

樹齢500年の木が地面をはう…人間が息絶えても、伸びる=韓国

登録:2023-07-31 08:57 修正:2023-08-01 07:16
[ハンギョレ21]木へ 
宜寧のケヤキ(1) 人に例えればあごの下まで埋められて100年を生きてきた
2023年7月13日、慶尚南道宜寧郡七谷面新浦村のケヤキの老木の前でポーズを取るキム・ヤンジン記者。2メートル以上もある太い幹が地面をはっている=パク・チョンギ提供//ハンギョレ新聞社

 ケヤキは夏になると、春からためていたエネルギーでふたたび新たな枝(夏枝)を力強く伸ばす。放物線を描きながら東西南北に伸びた新枝がゆらゆら揺れる。両脇に淡い色の若葉が生え、うっそうとした樹冠がとりわけ明るい。

 春に一度だけ新たな枝を伸ばす「普通の木」より早く育つのは当然のこと。健康体質なので数百年から千年以上の長寿だ。だからわずか30~40年前までは、ケヤキの古木は韓国各地で本当にありふれたものだった。村の入り口には必ず人々の集まるケヤキがあった。隙間なく茂る葉で豊かな陰を作るおかげで誰もが集まり、おしゃべりに花が咲いた。その頃はセミの声も力強かった。

■まるで天の如く、地をはって伸びる

 「ここにはもともと60世帯あまりの村があったんですが、日帝強占期の1910年代に米を増やすため堤が作られ、水に沈んだそうです。南に咸安郡代山面(ハマングン・テサンミョン)、北に宜寧郡新反里(ウィリョングン・シンバンニ)、東に昌寧郡南旨邑(チャンニョングン・ナンジウプ)に至る分かれ道だということでサムゴル(三叉路)村、3つの山に囲まれているということで三山村(サムサンマウル)と呼ばれました。この堤の内側を上サムゴル村(ウィサムゴルマウル)、外を下サムゴル村(アレサムゴルマウル)と呼んでいました。

 両村の境界に堂山木(タンサンナム・村の守護神の木)が4本ありました。村だけが犠牲になったのではなく、樹齢数百年の2本の木も伐採され、堤が作られたことで根元は水に浸かりました。もともと10人が手を伸ばしてやっと届く太さなので『千年の木』と呼ばれていました。私が子どもだった頃もこの根元を『丸い木』と呼んでいました。根元がどれほど広かったかというと、貯水池の上に根元が現れた日には村の人たちが集まってその上で沐浴したり、洗濯したり、釣りをしたりしたんです」

宜寧の杜谷貯水池前のケヤキの周囲2メートルほどの枝。100年前に堤を築造した際に5メートル以上の土が積み上げられたため、幹が見えない=キム・ヤンジン記者//ハンギョレ新聞社

 2023年7月13日午前、慶尚南道宜寧郡芝正面(チジョンミョン)の杜谷(トゥゴク)貯水池前のケヤキの下で会ったトンゴク法師(64、金海華厳仏教会館テリム院元院長)が振り返って語った。父親や祖父から聞いた話だ。サムゴルマウルは現在、杜谷川の下流の杜谷里に編入され、その名も忘れ去られつつある。トンゴク法師は寒山堂華厳(ハンサンダン・ファオム)僧侶(1925~2001)を師とした。

 残った2本のうちの大きい方を見てみた。まっすぐ育った後に四方に枝を伸ばす一般的なケヤキとは異なっていた。太さ1.5~2メートルの枝が地面と接して6本伸びていた。堤築造の際に残された幹も2階ほどの高さまで土で覆われたためだ。人に例えれば、あごの下まで埋もれて100年ほど生きてきたということだ。

2023年7月13日、慶尚南道宜寧郡芝正面の杜谷貯水池前のケヤキの2本の巨木。木陰が真っ暗だ=キム・ヤンジン記者//ハンギョレ新聞社
2023年7月13日、慶尚南道宜寧郡七谷面新浦村のケヤキの巨木。2メートルを超える太い幹が地面をはって伸びている=キム・ヤンジン記者//ハンギョレ新聞社

 現場を訪れた「老巨樹を探す人々」代表のパク・チョンギさんは、葉が小さく▽樹皮がまともにはがれず▽枯れた枝が多く▽夏枝が生えていないことを確認し、「生育状態が非常に悪い」と診断した。このようなことから、村の住民たちは2本の木の保護樹への指定を郡庁に提案しようとしている。

 パクさんは「かつて、この4本は『ウッサングリ村』の前に森を形成し、入り口すなわち洞口木(トングナム・村の入り口の木)役を果たしていたことだろう」と推定した。木は支根を地表面から30センチ以内に伸ばして呼吸する。幹を土で高く覆えば木を病ませ、死に至らしめる。忠清北道報恩郡(ポウングン)の「正二品松」と呼ばれる松の木、京畿道楊平郡(ヤンピョングン)の龍門寺のイチョウの木などが代表的な覆土被害の例だ。

 にもかかわらず、この日見たこのたくましい2本の古木のうっそうとした樹冠(木の葉と枝)は、斜面に沿って20メートル以上伸び、木陰は暗かった。かつての威勢が察せられた。2本とも高さは約18メートルだった。地中に埋もれた胸の高さの周囲は8.5~9メートルほどで、樹齢は300~500年ほどと推定される。

新浦村のケヤキ。太さ2メートルを超える幹が地面をはいながら伸びている=キム・ヤンジン記者//ハンギョレ新聞社
グラフィック=チャン・ハンナ//ハンギョレ新聞社

■「田は減ったのに堤は逆に高くなったというのがまったく…」

 「全部が一級品の田んぼだったのに…」。一緒に村を一周していたトンゴク法師が雑草畑となってしまっている田を指差しながら言った。空き家が半分ほど、雑草が生い茂っている休耕田も多くみられた。

 今や釜山(プサン)などの都会からUターンしてきた世帯を合わせても、村には10世帯あまりがあるだけだ。トンゴク法師が2016年にこの村に帰って来た時には8人だった90歳以上の高齢者も、今や父親のイ・ジョンユンさん(100)を含めて2人だけだ。訪ねてくる人がいないため村の敬老堂が戸を閉めてからすでに3年。イ・ジョンユンさんを訪ねて「千年の木」について聞いた。耳が遠いイさんは「何の木? …歳月にうんざりしている」と話した。

 このように村も農業も衰退していっているが、2011~2012年に韓国農漁村公社は安全が懸念されることから杜谷貯水池の堤の高さを1.5メートルほど上積みした。トンゴク法師はため息をついた。「こんなに田んぼは減ったのに、堤は逆に高くなったというのがまったく…」

宜寧/キム・ヤンジン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1102185.html韓国語原文入力:2023-07-28 20:45
訳D.K
慶尚南道宜寧郡芝正面の仏舎の観音観音。数百年ものあいだ堂山木だったものの100年ほど水没していたケヤキで作られた。木彫刻匠ウ・ベッキョンさんの作品=キム・ヤンジン記者//ハンギョレ新聞社

関連記事