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[マガジンesc] 慶州、新羅でなくとも見どころ多いね

原文入力:2010-09-09午後01:41:31(4578字)
escウォーキングマップ29. 慶州邑城と旧都心 慶州文化院から慶州邑城を経て城東市場まで 7km

イ・ビョンハク記者

←慶州警察署前、旧教育庁の後にある慶州客舎。三軒の大型建物が続く客舎建物の内、正面から見て左端の建物だけが残った。写真 ハンギョレ イ・ビョンハク記者

新羅の千年古都 慶州。市内外に盛り沢山な新羅遺跡のために慶州はすぐに新羅に通じる。だが、慶州にあるのは‘新羅’だけではない。最近、世界文化遺産目録に名をあげた慶州の伝統村 良洞村がそうだ。高麗時代に嶺南地域の行政中心だった安東都護府が、朝鮮時代には慶尚左道監営が設置された都市だ。新羅遺跡のまぶしい光彩の後から、また別の先人たちが残した大小の遺跡が輝いている。必死のあがきをつくして輝いても、訪ねる人は殆どいない‘暇な’遺跡たちだ。慶州文化院から始まり慶州邑城跡をざっと見て、旧都心をひとまわりし城東市場まで歩く。

慶州文化院周辺は高麗・朝鮮にかけて慶州官衙が位置していた所だ。文化院の境内で郷土資料館①(旧博物館・内衙の場所)と邑城北門側から移してきた養武堂(旧 兵営管理所),郷土文化研究所図書室建物、慶州博物館に移された国宝第29号聖徳大王神鐘(奉德寺鐘・エミレの鐘)を懸けた鐘閣②など4つの昔の建物に出会う。色々な建物木材を混ぜて新しく建てたものなので文化財には指定されなかった。建物の説明立て札もない。鐘閣建物は鐘閣内で最も古く(1700年代末と推定)規模が大きいものだ。

邑城東側城郭 90m 残り、古の情緒 ぷ~ん

郷土資料館前にはスウェーデン皇太子であり考古学者のグスタフ アドルフ6世が1926年に瑞鳳塚発掘に参加した後、当時の博物館前に記念植樹した大きな樅がある。その前には慶州に春の便りを最初に伝えるというサンシュユ(樹齢 推定300年)もある。さらに古い木は資料館の裏庭に立つ500年を越えた2株のイチョウだ。10月末にイチョウの葉が散えいカーペットのように敷かれる頃、木の下では告由祭とともにウネンナム(イチョウの木)音楽会が開かれる。郷土資料館で慶州邑城の古地図と模型などの資料を見ることができる。文化院を出てすぐそばのKT&G内に入る。慶州官衙の執務室である東軒があった場所だ。東軒の建物は路東洞法蔵寺に移され、大雄殿として使われている。慶州官衙跡の裏路地で生まれ育った前職教師キム・キジョ(82)氏は「慶州警察署嘆願室と登記所の間の道にとても大きな楼閣があった」として「それが官衙に入る門で月城衙門」と話した。この門は1930年代に取り壊された。

四つ角の向い側の、日帝強制占領期の慶州初の洋式医院だった旧山口病院建物③(写真・花郞修練院)を見て警察署前へ行く。塀の中につぶれた石塔・塔身・屋蓋石などが広げて並んでいる。崩れゆく塔と石物を近くで覗いて見なければならない。浮き彫りされた穏やかに微笑を浮かべる仏像が目を惹きつけてやまない。道の向かい側の社会教育院(旧教育庁)に入る。こちらの庭にも無数の石造物が転がっている。教育庁の建物裏に回れば昔の建物一軒が憔悴した姿で待つ。東京館④。三軒の建物がつながっていた慶州官衙客舎の左側の建物(正面から見て)だ。屋根の片方は合掌屋根、他方は切妻屋根形式であるところから他の客舎の建物とつながり接していたことが分かる。

←慶州邑城東側城郭の一部。その前には周辺から発掘された石材を集めておいてある。写真 ハンギョレ イ・ビョンハク記者

クムボク食堂を過ぎて慶州邑城城壁⑤を見に行く。切られた欅の枯れ木の横にかろうじて生き残っている邑城の東側城郭の一部が広がっている。雉城の姿が明確な約90mの長さの城壁が残ったが、北側の部分は新しく復元したものだ。城壁前の芝生には周辺から発掘された色とりどりの石材を集めて置いてある。東門(向日門)の後を推し量り、占い所3,4ヶ所とワンチャンマッコリ酒場を経て、門が閉ざされた華僑小学校前の慶州女子中跡に入る。右側の講堂建物の場所が朝鮮太祖の御真を祀った集賢殿のあった所だ。本館前には集賢殿前にあった下馬碑と、御真を祀った石室前面に集賢殿旧跡であることを知らせるためにたてた‘集賢殿旧基’碑石⑥(政調親筆)がある。学校の場所は統一新羅時に文武王が即位式を行った新羅離宮跡だという。学校の運動場は日帝強制占領期間に牛市場が立った所。牛市場のそばには‘ハンタン’と呼ばれる大きな池があり、その周りには一抱えもある木々があったという。その内の一つである樹齢500年になるエンジュの木をテニス場の横で見ることができる。
回って出てきて集賢殿跡⑦路地へ行く。太祖御真を祀った石室に出会う。郷土資料館で見た集賢殿旧基図(18世紀末)の石室の絵そのままだ。住民たちは葉銭窟と呼んだりもする。山口病院から患者を輸送する時、人力車を呼んだりしたが、この石室が一時は人力車の保管所だった。再び学校の塀に沿って歩き、北門側路地(鳳凰路110番キル22-2)に入る。酒商人として大金を儲けた金持ちも出たり、長官を務めた政治家も輩出した路地だ。北門から官衙へ向かう大通りで、日帝強制占領期間には周辺に桑の木畑が多かったという。中部洞第5通 民防衛隊長の家を過ぎ教会裏の路地のワンリム沐浴湯を経て北門の場所に出る。 豚OK食堂と西部精米所の間が北門(拱辰門)跡だ。

←朝鮮太祖御真を祀った集慶殿 石室。写真 ハンギョレ イ・ビョンハク記者

大通りを歩き漢陽マートを過ぎ、新羅考試院の前で名士村 友邦アパートに入る。102棟・103棟の間を過ぎれば道の向かい側に松林の茂った丸い小公園が見える。この一帯が慶州監営の獄舎跡⑧だ。キム・キジョ氏は「私が幼かった時、崩れ落ちた監獄の垣に横になれば、厚さが私の背丈を越えた」と回想した。アパート正門を出て千年韓牛横道に入る。マッサージ治療院をすぎ遠くの手打ち麺店看板に向かって歩く。右側に突拍子もないかなり高い木造建物一戸が現れる。日帝強制占領期間に建てられた日本式寺院 西慶寺⑨建物だ。中からは素朴な大声が流れ出る。「そうじゃない。もう一度やってみろ。」慶北道無形文化財第28号歌曲芸能保有者のパク・ドクファ(パク・キジャ・70)氏が弟子に声を教えている。建物を伝授観として活用している。

邑城西側城郭跡(東大路)を渡り、三郞寺址幢竿支柱を訪ねて進む。途中で路地の中に韓服屋キム・ドンリ生家跡⑩を覗いて見る。昔の姿はなく案内板だけが立っている。ジナスーパーとゴルフ練習場をすぎ、左側の路地に入れば広い草むらが広がっている。現代彫刻作品のように見える素敵な幢竿支柱が近づく。三郞寺は新羅真平王の時の寺で、歴代の王たちがしばしば訪れた大きな寺だった。ホンシ食堂の裏口看板を見て路地を歩き中央市場の四つ角に出る。中央市場は下市場(上市場は城東市場)と呼ばれる慶州の二大在来市場(2・7市)だ。

また南側の城外の甕器廛道(オンギジョンキル)⑫に入る。オンギコル屋台・オンギジョン手打ち麺・インギコル韓定食などオンギの名前がついた店は多いが、本来の甕器廛は2軒だけが残っていた。慶州の古の写真を展示した文化の通りに出会う。浦項刺身食堂の前が南門(徴禮門)跡だ。慶州邑城の4大門は全て日帝強制占領期間に取り壊された。南門・釜廛(ソッチョン)・甕器廛・官衙など慶州の1930年代の写真を鑑賞し文化の街を歩く。日帝強制占領期間の本町通りだ。路地を曲がりあるみすぼらしい食堂の前を過ぎると、道を通り過ぎた年配の方が話した。「アイゴー、今でもあるよ。 アグチム(アンコウの煮つけ)が本当に味がいいんだ。」創業30年になるというジニョン食堂で、「慶州市民なら1度や2度は誰でも行ったことがあるというほど有名な食堂」(新羅文化院パク・ジュヨン氏)だ。

30年間 続いてきた城東市場 無限リフィル屋台ビュッフェ

新羅ショッピング旧城郭跡 南東側の隅に出る。右側に慶州駅が見える。銀行・生命保険会社が集まった建物前の路上には果物・野菜を売る露店が並んでいる。城東市場の入り口だ。‘南4門’路地に入るとすぐに丸い色とりどりの看板を掲げた粉食店路地だ。おもしろいのは、いわゆる市場ビュッフェだ。4千ウォンでご飯と汁、20種類内外のおかずを無制限に選ぶことができる(器にふたがない点は惜しい)。城東市場で30年余りの歴史を持つビュッフェ式屋台食堂街で、14軒が一ケ所に集まり盛業中だ。商売を始めて11年目というパク・ソンジャ(56)氏と30年を越えたというイ・グムソク(70)氏が異口同音に話した。「ここがまさに正統元祖家庭式無限リフィル韓国料理ビュッフェだよ。ご飯を食べたらヨーグルトももらえる。」

ビュッフェ食堂街の横の路地には83歳になる年配の方が40年間マッコリを売ってきたというおばあさんの店がある。マッコリといろいろなおかずをつまみとして出す。おばあさんがアイスボックスの氷塊の間から取り出して注いでくれるマッコリ一杯を飲みほして汗を冷ました。 7kmを歩いた。

←慶州文化院から慶州邑城を経てソンドン市場まで7km. 地図グラフィック(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)




ウォーキング メッセージ

韓定食食べ韓屋に泊まって

◎行く道|首都圏から京釜高速道に乗り大邱を過ぎて慶州出入り口で出る。ソウル駅から慶州駅まで一日6本のセマウル号列車が運行されている。7本目の終列車(夜10時35分)はムクゲ号だ。セマウル号4時間44分、ムクゲ5時間。ソウル 江南ターミナルから慶州行高速バスが40分間隔で運行されている。慶州高速バスターミナル(054)741-4000、慶州駅から慶州文化院まで歩いて10分。 文化院周辺駐車場 1時間1千ウォン。平日には文化院内側に車を駐めることができる。文化院は土・日曜日休業。

◎食べ所|皇南洞、トソル村(054-748-9232)の定食、西部洞路地食堂 釜スン豆腐・チュオタン(054-772-3137)の純豆腐、甕器廛キルオンギコル韓定食(054-773-9085)の栄養釜飯、ミル麺食堂(054-749-8768),テファギョーザ(054-772-9972).

◎泊まる所|慶州市外バスターミナル後方にモーテルが集まっている。塔洞ウォルアムジェ、排盤洞 スオジェなど韓屋で泊まるのも良い。3万~8万ウォン、予約 新羅文化院(054-774-1950)。

◎旅行問い合わせ|慶州文化院(054)743-7182,新羅文化体験場(054)777-1950,慶州市庁文化観光課(054)779-6395。

慶州=文・写真 イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr

◎記事全文は‘おいしい旅行’(foodntrip.hani.co.kr)

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/439023.html 訳J.S