韓国の財閥3・4世たちは自分のビジョンを語らない。創業1世代の「産業報国」や2世代の「グローバル拡張」のような豪放な声はもはや聞くことができない。洗練された言葉と計算された沈黙の中で、彼らの行動から本音を読み取らざるを得ない。
最近、彼らの意中を表わす意味深長な二つの動きが捉えられた。一つは「AI投資活性化」を名目にした企業型ベンチャーキャピタル(CVC)規制緩和の要求であり、もう一つはオーナー一家の私的投資系列会社を作り活用することだ。二つの動きが表向きに掲げる名目は革新投資活性化と金産分離(金融資本と産業資本の分離)の緩和だが、その本質を見抜くには常に「オーナー一家の私的利益」というプリズムを通じて見なければならない。財閥3・4世の個人的欲望は、先代が起こした「産業家」(Industrialist)の座を越え、莫大な資本とネットワークを武器に「投資家」(Investor)に生まれ変わるということだ。果たして彼らの変身は正当な進化なのだろうか。彼らの変身をうかつに進化と呼べない理由がまさにここにある。
彼らの「投資家」への変身は果たして独創的なビジョンの産物だろうか。そうではない。これは海外、特に米国の創業者の家門の後継ぎたちが歩んだ道を中途半端になぞる姿に近い。韓国の財閥3・4世たちは、底辺から新しいことを成し遂げる創意力よりも、成功が検証された海外モデルを素早く模倣することに慣れているように見える。米国ではすでに数世代にわたって創業者の後継たちが家門の莫大な富を基盤にベンチャーキャピタルや私募ファンドを運用し、新しい道を開拓してきた。
最も象徴的な事例は石油王ロックフェラー家の「ベンロック」(Venrock)だ。 ベンチャーキャピタルという概念さえ聞き慣れなかった1969年、ベンロックは家門の資産を運用していたファミリーオフィスから出発し、アップルやインテルのような新生技術企業に果敢に投資し、ベンチャー投資の歴史を書いた。重要な点は、ベンロックが家門の垣根を越えて外部資金を誘致する独立した専門投資会社に進化し、ベンチャーキャピタルという一つの産業自体を開拓した事実だ。最近ではスティーブ・ジョブズの息子リード・ジョブズが設立した「ヨセミテ」(Yosemite)が注目される。彼は母親のローレン・パウエル・ジョブズの組織「エマーソン・コレクティブ」から初期資金の支援を受け、がんで死去した父親を称え、専らがんの治療技術だけに投資する「ミッション主導」(mission-driven)のベンチャーキャピタルを作った。これは資本を特定の社会問題解決のための道具として使う、一段階進化した投資の様相を示している。
米国の創業者の後継ぎたちがこのような行動を見せるのにはいくつかの理由が複合的に作用する。その背景には、創業者精神を重視し世襲経営を否定的に見る米国文化が相当な役割をする。彼らが受け継いだのは、会社を自ら運営する「能力」ではなく「富」であるためだ。専門経営人体制が普遍化した環境で、検証されていない後継ぎが経営を受け継ぐことは市場の信頼を得ることが難しいため、彼らは自然に経営者ではなく資本家の道を歩むことになる。このような背景の上に、高度に専門化された資産運用組織である「ファミリーオフィス」があり、革新のための挑戦を尊重する社会的雰囲気が加わる。これらのすべての要素が結合し、創業者の後継ぎにとってベンチャー投資は富を増殖する手段を越えて、家門の命脈をつなぐ最も合理的で名誉な道になっているのだ。
最近、韓国の財閥3・4世が投資家となっているが、その本質には明白な限界がある。これは先代の経営権を世襲せずに「寛容資本」(Patient Capital)の役割を自任して新しい価値をつくる米国財界の後継ぎの道とは全く異なる、韓国社会だけにある奇形的進化だ。米国の後継ぎは経営を専門経営人に任せ、資本の領域で新しい道を探すが、韓国の財閥3・4世たちは先代が譲った経営権を堅固に守りながら金融と投資領域まで狙う。これは1997年のアジア通貨危機の原因として指摘された「タコ足式拡張」のもう一つの再現に過ぎない。産業家と投資家、どちらもあきらめないという危険な傲慢だ。
真の投資家の道は、シリコンバレーの生きた歴史と呼ばれるセコイアキャピタルがよく示している。1972年に設立された同社は、数千年を生きる樹木「セコイア」のように、短期的利益ではなく長く偉大な企業を育てることを目標にした。創業家精神のない産業家である財閥3・4世たちは、果たして長期投資家としての使命感を抱いているだろうか? 彼らの目標は最初から別の所にある可能性が高い。結局、米国モデルが経営と資本の役割を分離して各自の領域を追求することならば、韓国モデルは経営を守る手段として資本を動員することにすぎない。CVCを通じた系列会社の拡張や私募ファンドを活用した私益追求がその代表的な方法だ。さらに大きな問題は、彼らが動員する資本の出所だ。オーナー一家の私財ではなく、系列会社の資金を利用し、ひいては外部資金まで引き入れようとする。このような資本が10年、20年後を見通す寛容資本になることは基本的に不可能だ。これは過去に批判を受けた仕事の集中的発注に代わり、経営権を継承し富を増やす、より巧妙になった私益追求資本に変質する危険が非常に大きい。投資家という洗練された仮面の裏に隠れた本当の顔は、先代より巧妙で効率的な富の増殖と継承戦略ではないのか、私たちは彼らの動きの一つ一つを綿密に監視しなければならない。
CVC規制緩和要求の本質から見ていこう。2020年、韓国政府は「大企業の内部資金」を国内ベンチャーのエコシステムに誘導するという名目で金産分離原則に例外を許容した。これは多くの批判にもかかわらず断行された一種の政策的妥協だった。したがって当時、法改正は一般持株会社がCVC持分を100%所有して責任を明確にし、外部資金は40%以内に制限して無分別な資金集中を防ぎ、海外投資は20%以内に縛って投資の果実が国内に残るようにする種々の安全装置を前提にした。ところが今になって、財界はまさにその安全装置を解除してほしいと要求する。これは「他人の金(外部資金)を引き出して海外に投資する」ということで、当初CVCを許容した社会的合意を正面から覆す行動だ。AI投資という華やかな外装を取り除けば、結局他人の金まで持ってきて海外であれこれやりたい投資を全部やってみるという欲だけが残る。韓国の財閥3・4世たちからは、先代が積み上げたものを果敢に捨て新しい目標に挑戦する哲学は見いだせない。むしろ他人の資金で自分がしたいことを全てやってみようとしているのではないかと深く憂慮される。
投資家を夢見る彼らの本当の本音は、彼らが作る私的投資会社でさらに露骨にあらわれるのではないかと疑ってみることができる。最近、泰光グループの愛敬産業買収戦に登場した私募ファンド「T2PE」が代表的な事例だ。ここでいくつかの疑問が生じる。泰光産業はなぜ単独で乗り出すのではなく、あえて新生私募ファンドとコンソーシアムを設けたのか?T2PEの持分構造を覗いてみれば、このような疑問はさらに深まる。 この会社は、イ・ホジン泰光前会長の子どもたちが持分18%を保有し、事実上「家族投資会社」と解釈される余地が多分にある。特に、オーナー一家の持分が公正取引法上の私益詐取規制基準である20%を巧妙に回避するように設計されたのではないか、結局オーナー一家の利益のための道具として活用しようとする意図が隠れているのではないか、合理的疑いを生む。
このような仕組みを通じて、市場で描いてみるシナリオは以下の通りである。今後、グループの大規模な買収合併をT2PEが遂行し、運用会社(GP)として莫大な運用および成果報酬を確保し、その資金がそのまま後継者の経営権継承の実弾として使われる可能性があるということだ。そうなれば、グループ全体の投資活動がオーナーの子どもたちの個人金庫を満たす現金パイプラインとして活用される恐れがあるという懸念は避けられない。これが会社の利益極大化ではなく、T2PE、すなわちオーナー一家に利益を集中させるための構造である可能性が高いという推論につながる部分だ。
財閥3・4世たちに真の革新は遠く見える。真摯さと哲学が抜けた模倣が新しい価値を作るはずがないからだ。 ベンチャーキャピタルというきらびやかな「形式」を掲げても、世襲経営に安住しようとする旧時代的な「実質」は隠されない。真の革新が先代の積み上げた城壁を崩す自己否定の勇気から出てくるとしたら、彼らはむしろ、既得権の城壁をさらに高く巧妙に積むことに没頭しているだけだ。結局、彼らが掲げた「投資家」という旗は、韓国経済の未来のための青写真ではなく、自分たちの王国を永続させようとする金融偽装術にすぎないかもしれない。