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順法をもとにニューサムスンの完成目指す「イ・ジェヨンの時代」

登録:2020-10-29 06:29 修正:2020-10-29 09:09
国政壟断と粉飾会計の“司法リスク” 
脱法・違法継承作業に足を引っ張られる 
グローバル先導グループのイメージ作りが課題 
今月28日午後、京畿道水原市のサムスン家所有の山でサムスン福祉財団のイ・ソヒョン理事長(左から)、ホテル新羅のイ・ブジン代表、サムスン電子のイ・ジェヨン副会長、リウム美術館のホン・ラヒ前館長が故イ・ゴンヒ会長の埋葬地に移動している/聯合ニュース

 サムスン電子のイ・ゴンヒ会長の葬儀が28日に終了したことを受け、「イ・ジェヨンの時代」が始まった。特に、2014年5月にイ会長が倒れてから、実質的にグループ経営を陣頭指揮してきた6年間をどうやって発展的に乗り越えるかが、イ・ジェヨン副会長の前に置かれた最も急務の課題といえる。

イ・ゴンヒの6年、イ・ジェヨンの6年

 奇しくも父と息子の運命は同じ45歳という年齢を迎えたときに劇的に変わった。1987年、先代のイ・ビョンチョル会長の後を継いで、45歳でグループのトップの座に就いたイ・ゴンヒ会長は、しばらく前面に出ることを控えた。先代会長の突然の死で会長職を受け継いだため、親政体制の構築など経営権を安定させるのが課題だったからだ。特に先代会長の代理として長い間ナンバーツーの役割を果たしてきたソ・ビョンヘ前秘書室長ら父親の家臣グループとの“内部抗争”は避けられなかった。6年後の1993年に発表されたフランクフルト「新経営宣言」は人的清算と“独り立ち”の準備が終わったことを公に知らせるものだった。イ会長はこれを機にグループの主要な経営陣約200人と共に、68日間欧州と日本の産業現場を視察し、「グローバルサムスン」の胎動期を準備した。

 「イ・ジェヨンの6年」は父親とはかなり違っていた。イ・ゴンヒ会長が心筋梗塞で突然倒れた後、イ・ジェヨン副会長は45歳以後、実質的にグループを率いて主要な意思決定の前面に出た。公正取引委員会は2018年5月、大手企業集団サムスンの同一人(トップ)を、イ・ゴンヒ会長からイ・ジェヨン副会長に変更し、グループの実質的リーダーという法的地位を認めた。イ・ゴンヒ時代を象徴したイ・ハクス元副会長とその人脈はすでに10年ほど前に整理されており、父親の代のような“内部抗争”が事実上不要だった点も大きな違いだ。2014年に石油化学や防衛産業など非主流系列会社を韓火とロッテグループに売却し、2016年に韓国の買収合併の歴史上最大規模の80億ドルで自動車電装会社ハーマンを買収したのも、この6年のあいだに行われた。「会長」の座に就いたわけではないものの、イ・ゴンヒ会長の就任初期の6年間より、はるかに積極的で攻撃的な活動を展開した。

イ・ジェヨンの時代には何をすべきか

 しかし「イ・ジェヨンの6年」が父親の時代と決定的に違う理由は別にある。イ・ジェヨン副会長は、国政壟断やサムスンバイオロジックスの粉飾会計事件の被告人として、4年間裁判を受けており、特に、2017年2月から約1年間、拘束収監されていた。違法・脱法継承作業に足を引っ張られたからだ。実質的にグループ経営を陣頭指揮したにもかかわらず、“追撃者”ではなく“先導者”としてのグループのイメージをグローバル舞台でまだ構築できていないことも痛い部分だ。1992年、サムスン創業者のイ・ビョンチョル氏が世界で初めて64MbDRAMの開発を導き、後の半導体神話を切り開いたこととも比べられる。

 イ副会長は今年5月、最高裁(大法院)で有罪の趣旨で破棄差し戻しとなったソウル高裁刑事裁判部(チョン・ジュニョン部長判事)の要求で設立された順法監視委員会の勧告を受け、国民に対する謝罪会見を行った。イ副会長は無労組経営方針の破棄や4世承継の放棄、市民社会とのコミュニケーションの拡大、順法経営を約束した。イ副会長のこの6年間は、明らかに変化した時代の目の高さに合わせようとせず、過去の慣行に縛られた時間がかなりの部分を占めていた。サムスン順法監視委員会は26日、「サムスンが超一流グローバル企業としてより高く飛翔していくことこそが、イ・ゴンヒ会長が残した意味」だとし、「このためにはサムスンに望ましい順法文化の定着が必ず必要であり、これはイ・ゴンヒ会長が残した課題だ」と論評した。過去の6年間とは異なる、新たな「イ・ジェヨンの時代」が、どのような内容で構成されるべきかを示している。

ク・ボングォン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/967639.html韓国語原文入力: 2020-10-29 02:42
訳H.J

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