新古里5・6号機公論化委員会が24日に公式に発足する。公論化委の設計によって構成される市民陪審員団は、工事を永久中止にするかどうかを10月末までに決定する予定だ。文在寅(ムン・ジェイン)政権の「脱原発」政策が浮き彫りになり、「脱原発」をめぐる真実攻防も熱い。しかし、誤解をもとにした情報から意図的な「偽ニュース」も目立つ。ハンギョレは誤解を招く恐れのある代表的な主張と報道に対する「ファクトチェック」に取り組む。
■“脱原発”すれば原発がすぐになくなる?
「2025年から電力需給の安定性の懸念」、「加速する脱原発『そうして事故が起こる』」、「脱原発スピード違反、誰のためなのか」…。
政府が新古里原発5・6号機の工事を永久中止するかどうかに対する公論化手続きを開始した後、一部メディアにあふれた記事・社説などの見出しだ。「老朽化した原発を閉鎖して、新規原発の建設を中断する」と掲げた文在寅政府の政策推進が早すぎるという指摘だ。また、「速度戦」政策で電力需給が懸念されるという心配も混ざっている。
もっともな指摘だろうか。まずエネルギー政策の執行過程を少しだけ見ても、このような主張は「脱原発」に対する誤った理解をもとにしている点がわかる。正確に言えば、現在韓国社会で行われている脱原発議論は「原発を一時的に減らす」ではなく「段階的に減らしていく」という主張をめぐる論争だ。「段階的削減」の出発点も、早くても5年後だ。
原発は短い期間内に建てたりなくしたりするのが難しい。まず土地を決めた後、完工までは天然ガス(LNG)複合発電所(2~3年)や石炭火力発電所(5~6年)よりはるかに長い10年がかかる。原発の設計寿命は30~40年だ。最近建設している新古里3号機は60年にもなる。設計寿命を満たさなければ経済的損害が大きい。結局、「原発推進」であれ「脱原発」であれ、エネルギー政策の方向を決定しても、迅速に反映することはできない構造だ。政府が打ち出した新古里5・6号機の工事の永久中止など「公約」は受け入れられても、原発がすべてなくなるといういわば「原発ゼロ(zero)」の時期は、現在運営許可手続きを踏んでいる新ハンウル2号機の寿命が終わる62年後に可能となる。政府が「設計寿命を減らしてでも原発の永久中止を繰り上げる」と明らかにしたことはない。朴槿恵(パク・クネ)政権で立てた「第7次国家エネルギー基本計画」でチョンジ1・2号機に続き、新規原発がさらに必要だとして反映した原発2基(2026~2027年に着工予定)を実際に作るなら、脱原発の時点は80年後に可能となる。「速度戦」と言うにはあまりにも長い時間だ。
段階的廃止のスピードが速いという指摘もありうる。しかし、原子力界が憂慮するように一時的な「電力大乱」が起こる可能性は少ない。エネルギー政策構造上、電力取引所が集計した2015年基準の全体発電量のうち、31.5%を占める原発の割合が突然落ちることはないからだ。現在の商業運転中の原発24基の全体設備容量(約23ギガワット)のうち、半分が減るときまでにかかる期間は20年だ。減る分は他のエネルギー源を適切に充てんしなければならない。実現が可能かどうかを離れ、政府が2030年までに再生エネルギーの発電の割合を20%にまで引き上げるとした理由もここにある。こうした計画は、産業通商資源部が2年ごとに専門家を集めて電力使用量を予測して新規の発電所がどれくらいさらに必要なのかを判断する15年分の「電力需給基本計画」に反映される。その結果をもとに、5年ごとに20年分の「国家エネルギー基本計画」を出す。混乱が起こるのを期待するには、エネルギー政策の議論構造があまりにも細かい。
先立って脱原発した国家に比べても、韓国社会のスピードが速いとは言い難い。「非核化中立国」を宣言したオーストリアは1972年の完成を目前に控えたツヴェンテンドルフ原発の閉鎖を「国民投票」を通じて6年目に決定した。最初の原発が門を閉じることで、建設を計画していた残りの5基も取り消された。1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を経験したドイツは社民党(SPD)-緑の党の連立政権の発足で、脱原発政策の下絵を描いたのが2000年だ。当初「原発ゼロ」の時点を2033年に設定していたドイツは、2011年の福島原発事故を経験してその時点を2022年に11年繰り上げた。台湾は国民党と民進党の頻繁な政権交代で、15年間龍門原発4号機の運営についてまともな公論化過程を経ないまま、2015年に民進党が脱原発を宣言した。脱原発政策を批判する声に対して文在寅大統領は21日、「現在建設中の新古里4号機、新ハンウル1・2号機だけでも原発は2079年まで稼動される。これから60年あまりで徐々に減らしていくことを耐えなければ話にならない」と反論していた。公論化に乗り出すには、まず脱原発に対するちゃんとしたスピード感から身につけるのが必要なのはそのためだ。