登録 : 2016.03.21 23:58 修正 : 2016.03.22 06:31

代表的な伝統蒸留式焼酎の安東焼酎//ハンギョレ新聞社

醸造場の数を減らした「日帝酒税令」 
伝統麹を追放した「日本式黒麹」 
米から造れないようにした「朴正煕糧穀法」 
アルコール度数による差別課税の検討必要

 農村振興庁は21日、「韓国の伝統焼酎とその友だち」という報告書を出し、蒸留式の伝統焼酎が市場から消えた原因が、日本統治時代の酒税令と日本式黒麹使用、アルコール生産などにあると明らかにした。

 報告書によれば、1909年に伝統焼酎製造場は2万8千カ所余りに達したが、当時の日本が1909~1934年の間に5回にわたり酒税令を発表し、民間で自由に造っていた焼酎などの伝統酒を一定規模以上の工場のみで製造できるようにした。当時、酒税令が制定された理由は、酒の製造場を政府が管理し、酒に税金を容易に賦課するためだった。

 日本は酒税令の他にも日本式黒麹を植民地朝鮮に導入することにより、伝統焼酎を市場から追い出した。 美味だが高価で不安定な伝統麹の代わりに、安価で安定した日本式黒麹を焼酎製造に使わせた。 1923年には99%を占めていた焼酎の伝統麹使用率は1932年には5%に急減し、焼酎の味も変わり始めた。 日本が伝統焼酎に加えた別の打撃は1919年から導入された現代式エタノール工場だった。 容易で安価に95度程度のアルコールを得られるようになり、多くの焼酎製造場はアルコールに水と甘味料を加える希釈式焼酎を作り始めた。

 解放後も日本統治時代の焼酎製造方式はそのまま残った。 特に戦争と貧困で穀物が不足すると、米と麹を使った伝統焼酎の製造は復活できなかった。 伝統焼酎の命脈を完全に断ち切ってしまったのは、米から酒を作ることができないようにした1965年の朴正煕(パクチョンヒ)政権による「糧穀管理法」だった。 これに伴い、蒸留式焼酎メーカーは1976年に完全に痕跡を消した。 1988年のオリンピックを契機に蒸留式伝統焼酎が再び許可され、2013年には製造場が54カ所に達した。 しかしまだ希薄式焼酎とウイスキー、ブランデーに慣れた韓国人の嗜好を呼び戻せずにいる。

 農業科学院のチェ・ハンソク博士は「酒の輸入が増え続けているが、伝統焼酎でそれに対応しようということだ。 良い焼酎を作るには良い原料と伝統製造法を用いなければならず、現在出庫価格に対して賦課している酒税を、アルコール度数に応じて賦課することを検討しなければならない」と話した。

キム・キュウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-03-21 20:55
http://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/736118.html 訳J.S(1127字)

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