東アジアは19世紀末から20世紀まで激動期だった。特に、1854年に米国と和親条約を結び、西洋と本格的に交流を開始した日本は、西欧式の近代化を追求しつつ急激な変化を遂げる。この時期、日本は明治維新を通じて西欧化を追求するが、単に西欧の文物と制度を導入するだけでなく、天皇制を復活させるなど、日本独自の特殊なかたちで近代化を構築していった。日本はまた、この時期に「日本は韓国、満州、東南アジアなどを占領すべきだ」という軍国主義論理で武装し、他国を絶えず侵略して領土拡張を図った。
『帝国日本のプロパガンダ』(原書は『帝国日本のプロパガンダー「戦争熱」を煽った宣伝と報道』中央公論新社)は、1894年の日清戦争で始まり、1945年の太平洋戦争の敗北で終わった「帝国日本」に注目する。この時期、日本は1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第1次世界大戦、1931年の満州事変、1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争と、ほぼ10年に1度の割合で戦争を繰り広げた。本書の監修を務めたチョ・ミョンチョル元日本史学会会長(高麗大学名誉教授)は、「日本が絶えず戦争を繰り返せた背景には戦争好きの指導層がいたが、それに劣らず過度な軍事費予算を快く容認し、戦争を熱烈に支持した世論も欠くことができなかった」と指摘する。では、当時の日本国民はなぜそのように戦争を熱烈に支持したのだろうか。
本書の著者である京都大学東南アジア地域研究研究所の貴志俊彦教授は、戦争とプロパガンダの相関関係にその答えを見出す。20年間、東アジアの図画像を研究してきた著者は、帝国日本が強烈な視覚イメージを利用して国民の「戦争熱」をあおり、戦争に対する肯定的イメージを植え付けたとする。情報メディアを通じたイメージと情報の伝達は、単なる情報伝達にとどまらず、自国の世論を統制する手段であるプロパガンダの機能を持ったということだ。著者は、1890年代以降に帝国日本がどのようなメディアをプロパガンダに用いたのかを時代を追って検討しつつ、メディアとジャーナリズムが当時の日本国民の時代認識にどのような影響を及ぼしたのかを探る。
1890年代の日清戦争期には版画報道が流行した。石版画やコロタイプなどの版画技術のせいで衰退の道を歩んでいた多色刷りの木版画(錦絵)は、「戦争錦絵」で生き残りの道を模索する。日清戦争の開始とともに日本は「新聞検閲緊急勅令」を公布し、外交や軍事に関する事件を新聞や出版物に掲載しようとする時は行政庁または内務大臣の検閲許可を得ることを義務付けた。しかし、錦絵は検閲に時間がかかると販売に支障をきたす恐れがあるため、検閲結果がすぐに得られた。速報性を帯びた錦絵は大衆の人気を集めた。錦絵は戦争物の芝居の上演ポスターとして用いられたことで大衆文化として浸透し、プロパガンダとして作用する。当時の日本国民がどれほど戦争に酔っていたかというと、おもちゃ屋でも銃、軍帽などのおもちゃを売っており、酒場では「皇国」、「大勝利」、「百戦百勝」のような商標を付けた酒を販売していたという。
1904~1905年の日露戦争では、印刷技術の目覚ましい発展に伴い、「写真」を載せた新聞や「日露戦争写真集」のような画報雑誌が人気を集めた。絵葉書も人気で、戦場の将兵たちに41種の「慰問絵葉書」が無料で配布されたり、逓信省から「戦争記念絵葉書」などが登場したりした。官と民で絵葉書が作られたため、戦争絵葉書を収集する人々も現れた。それだけではない。19世紀末には白黒の無声映画(活動写真)が登場し、日露戦争を扱ったショートフィルムは公開前にチケットが売り切れるほど人気を博した。
1910年代に第1次世界大戦が起きた時、戦争のための総動員体制が整えられたが、読売新聞のような報道機関はプロパガンダの役割を自ら買って出た。同紙は「戦時の婦人の心構え」などの報道もおこなった。また、進歩系といわれる朝日新聞でさえ「青島(チンタオ)陥落」を祝う企業広告を掲載したり、戦況を報道したりした。このように帝国日本期には、報道機関もやはり戦争の「火付け役」を果たした。
国家プロパガンダは1930年代に頂点に達した。中国との戦争を遂行するために軍官民産が密接に結びついた。この時代、すべての戦争報道は軍部の許可を受けなければならなかった。当時の内閣情報部は「写真週報」も作ったが、それには「愛国行進曲」を歌う少年少女の姿が掲載されるという具合だった。さらに朝日新聞社に至っては、陸軍省と海軍省の後援で「支那事変聖戦博覧会」を主催した。大衆に日中戦争が「聖戦」であることを刻印するための宣伝活動の一環だった。1943年、帝国日本は連合国に対抗するための国防強化策として「大東亜共栄圏」を構想し流布するが、「ダイトウアキョウドウセンゲン」という児童向けの絵本まで出版されている。
著者は各時期ごとに事実にもとづいてドライに叙述しているが、その事実に従っていくと国民全体がこのように異常なまでに戦争に没入しうるのかという衝撃が押し寄せてくる。特に当時の大人たちが、幼い子どもたちに対してさえ平和ではなく戦争を刻印するために、戦争に関する漫画やゲーム、芝居を作って流布したという事実には、ぞっとするばかりだ。そして、改めてイメージの持つ強い力を認識する。イメージをなぜプロパガンダとして利用するのかも理解できる。
今もロシアとウクライナの戦争は終わっておらず、イスラエルのガザ地区侵攻も続いている。戦争写真と戦況を伝える速報は、かつてないほど急速に全世界に伝えられている。本書を読んでからは、戦争に関するイメージに接する時、そのイメージはどのような主体によって、どのような目的で作られたのかをみなければならないという思いがする。著者もやはり「帝国日本期の姿が現代を考える契機になればとの思いで本書を執筆した」と述べている。