(1から続く)
米国の小説家ウィリアム・フォークナーの研究で1981年に米国ニューヨーク州立大学で博士号を取得したキム教授が、自ら翻訳に飛び込んだのは、「本(既存の翻訳書)を読むたびに意味が通じずもどかしかったため」だということだ。「私が翻訳を始めた頃は日本語の翻訳に依存した翻訳書が多かったのです。誤訳が非常に多く、私が直接取り組もうと考えました」
キム教授も重訳した本が1冊ある。ギリシャ作家ニコス・カザンザキスの『その男ゾルバ』(2018)だ。「この小説を韓国語に初めて訳したイ・ユンギ先生(1947~2010)は三重翻訳をしました。ギリシャ語からフランス語、英語を経て翻訳された本だったので、フランス語を経ずに直接英語の翻訳本から訳せばいいと考え、挑戦しました。ちょうど私の翻訳書が出た頃、韓国でもギリシャ語の原著からの翻訳書が出てきました」
キム教授は、日帝強占期の金億(キム・オク)がそうだったように、実際の翻訳はもちろん、翻訳理論の勉強にも地道に関心を深めている。理論は翻訳の役に立つのだろうか。「翻訳理論を知ってこそ、翻訳ミスも減らせます。理論は翻訳と相互補完的でしょう」。キム教授は例を一つ挙げた。「翻訳理論には、自国化と異国化という概念があります。前者はオリジナルのテキストを私たちの文化圏に合うよう訳すことで、後者は聞き慣れなくても外国文学作品をそのまま訳すことです。『ひっくり返った牛乳を見て泣いても無駄だ』という原文をそのまま訳せば異国化、牛乳の代わりに水(覆水盆に返らず)に変えれば自国化です。私は、世界文学の言説を勉強した後、自国化から異国化の翻訳に考えが変わりました。オリジナルのテキストに含まれた文化を生かすのが良い翻訳だと考えたのです。翻訳理論を勉強することで、そのような意識が可能になりました」
キム教授は「翻訳も批判が行き交う時に発展が進む」と考える。キム教授が『菜食主義者』の翻訳ミスを一つひとつ明らかにしたのもそのためだ。キム教授は、韓国の現在の翻訳水準を問う質問に次のように答えた。「韓国文学翻訳院の設立後、この機関から昔より確かに良い作品が翻訳されています。それでも、時々誤訳や稚拙な訳があります。良質の翻訳家の育成に政府や民間機関がいっそう努力する必要があります。翻訳は文化を訳すことなので、内国人と外国人が一緒に作業することが最も理想的でしょう」
翻訳における外国語と母国語の能力をあえてどちらか一つ選べと言われるならば母国語を選ぶというキム教授は、最も好きな翻訳家として、作家の故イ・ユンギを挙げた。「たとえば、『薔薇の名前』のような作品はイタリア語から重訳されましたが、母国語の駆使力が優れており、翻訳に力があります」
キム教授は「最良の翻訳は、原作の内容を傷つけず、その作品のスタイルや香りも共に訳すこと」だとしたうえで、「翻訳にも流通期限がある」と主張した。「言語は時間の流れにより変わります。新しい言葉が生まれ続けるでしょう。若い世代の言葉は前世代とは違います。私の考えでは、翻訳の流通期限は10年くらいです。翻訳の言葉が古くなったら新たに訳さなければなりません。もちろん、出版社は簡単には受けいれないでしょうが」
40年近く翻訳活動を行ってきたキム教授は、翻訳の困難を次のように話した。「ある言語と別の言語の語彙には等価が存在しません。その単語を秤で計ってみると、必ず傾きます。たとえば、韓国語の「ヌンチ(センス、直観、他人の考えや感情を把握することなどの意味がある)」は、ぴったりと合う他言語の単語を見つけることはできません、英語のセンス(sense)に訳しますが、全く同じではありません。そのため、ドイツの哲学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは「翻訳不可」を語りました。翻訳家は、それでも次善に向かい着実に努力することで、誤訳を減らすことができます」
インタビューを終え、まもなく出版される著書についても尋ねた。「鄭芝溶(チョン・ジヨン)、金素月(キム・ソウォル)、李泰俊(イ・テジュン)、崔仁浩(チェ・インホ)、金来成(キム・ネソン)など英文学の影響を受けた韓国の作家を調べた本と、日帝時代の文学批評家の崔載瑞(チェ・ジェソ)を扱った本を今年出せそうです。崔載瑞については親日の言動も十分に扱いました。また、米国の作家リチャード・ライトの小説『アメリカの息子』を今翻訳しています」。最も記憶に残る翻訳を尋ねた質問には『アラバマ物語』を挙げた。「翻訳に惜しまず力を注ぎました。とても感動的だったという読者の手紙も多く受け取りました」