ショートトラック競技が行われた16日、中国・北京の首都体育館。周辺に中国の記者たちが集まり始めた。少し心配になった。中国記者たちの熱い応援の熱気のためだ。中国選手の試合のたびに机を叩きながら「加油(頑張れ)!」を叫ぶ彼らの応援は、残りの周回数が減るほど熱を帯びていく。選手らの疾走が速くなればなるほど、締め切りのプレッシャーが増していく立場としては、あまり歓迎したくないお客さんだ。
記者以前に一国の国民であるわけだから、気持ちは分からなくもない。しかし、ノート型パソコンまで放り投げて応援に没頭するのはどうしても見慣れない風景だ。メディア席に座っている我々は、韓国人や中国人としてではなく、記者としてその場にいるからだ。観客席の応援団よりも情熱的な彼らの記事の客観性に疑問が生じるのは言うまでもない。同じ職種の労働者として、「果たして記事の締め切りは誰が守るのか」という素朴な疑問が湧いてくる。
実際、東京でも似たような印象を受けた。2020東京夏季五輪の開会式が行われた去年7月、偶然にも日本と中国の記者たちに挟まれた。天皇の登場にも立ち上がる気配がなかった日本の記者たちよりも驚くべきだったのは、中国選手団の登場に熱烈な歓声を送った中国の記者たちだった。一部の人は五星紅旗を持ち出して駆け出し、選手団を熱烈に歓迎した。台湾と香港の選手団登場の時も同じ風景が繰り広げられたのは言うまでもない。
海外のメディアも中国メディアに疑問を呈している。13日付のニューヨーク・タイムズの報道によると、同日午前の大会組織委の定例会見では主にカミラ・ワリエワ(15、ロシアオリンピック委員会)に関する質問が殺到した。英語の質問12件のうち11件がドーピング問題に関する質問だった。しかし中国の記者団は「選手村で北京ダックはどれだけ売れたか」、「今回の五輪で多くの新記録が出たのは施設と選手村のおかげなのか」などの質問ばかり投げかけた。大会と関連した否定的な話題は一切避けようとする姿勢が現れていた、ニューヨーク・タイムズは「中国の記者は自分たちに関連するもの以外は話さない」と皮肉った。
今月15日、中国最大のポータルサイト「百度」で「冬季五輪」を検索してみた。五輪新記録に関する記事で溢れていた。ほとんどが中国の先端技術を自画自賛する内容だ。一方、張高麗元国務院副首相の性的暴行疑惑を暴露したテニススターの「彭帥」を検索したところ、この1年間のすべての記事がすべて削除された状態だった。
中国政府は、メディア統制を強化している。中国の記者たちは習近平思想が含まれたテストに通過しない限り、記者資格を認められない。批判的なジャーナリストがある日突然行方不明になったりもする。昨年、国境のない記者団が発表した中国の言論自由指数は177位だった。夏季五輪が開かれた2008年(167位)より10ランクも下がったわけだ。
「中国はもともとそういう国だ」と冷笑することはできない。中国でも真実を渇望する人がいるはずだ。激しい弾圧にも関わらず、錐のように現われて真実を知らせようとした人たちを覚えている。いつか出会う彼らのために、彼らが記録できない中国の現実を少しでも書き残しておきたいと思う。