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「尹錫悦大統領罷免」憲法裁の決定文が名判決である理由【コラム】

登録:2025-04-08 07:53 修正:2025-04-08 09:37
Jaewoogy_ma@naver.com//ハンギョレ新聞社

 憲法裁判所が4日におこなった尹錫悦(ユン・ソクヨル)弾劾審判での認容決定後、ネット上では憲法裁判所の決定文を書き写す「筆写(書き写し)チャレンジ」が流行しているという。詩や小説に登場する名文を書き写すように、決定文から気に入った文章を選んで書いたり、最初から全部筆写したりするというものだ。

 「(判決文を書く際に)本当に難しいのは、裁判それ自体、すなわち三段論法の論理的常識に従い、実体法が定める構成要件である法律事実を確定し、これを小前提にしたうえで、これに大前提である法令を適用させ、結論としてその法令が定める法律効果の存否と内容を判断する作業だ」。司法研修院の教材『民事実務2』(2004)に出てくる判決文作成の要領だ。うまく書かれた判決文の条件として、論理的思考と法律的知識を強調する。しかし、「論理」と「法律」だけで構成された判決文は、一般市民の心を動かすことができない。無味乾燥な法理だけを突き詰めた判決は、より重要な点を見逃してしまう可能性がある。

 「法理論先進国」である米国は、法律家に早くから人文学的素養を強調した。「米国の証拠法の父」と呼ばれる法学者のジョン・ウィグモアは1908年、法律家に推薦する本として、文学作品だけで100冊を推薦した。ウィグモアはその理由として「法律家は、自身が担当する事案が一般的な思想と文学作品のなかにどのように反映されるのかを熟知しなければならないという、特別な職業的義務がある」と書いた。このような基調は、1970年代の米国の法曹界で活発だった「法と文学」運動につながった。法哲学者のロナルド・ドウォーキンは「法も文学も、先の作家(裁判官)たちの累積した創作に付加された歴史的な成果物」だと語った。判決文は既に下された無数の判例だけでなく、思想、制度、伝統、慣習などが集積した成果物だ。法も文学と同じように、同時代を生きている人々がどのような共同体を持つのかについて悩んだ痕跡を加えなければならない(アン・ギョンファン『米国での法と文学運動』1998)。したがって、うまく書かれた判決文には、その時代の共同体が指向する価値観が含まれている。

 今回の憲法裁の決定文に称賛が相次ぐ理由も、ここにあるのではないだろうか。憲法裁は、市民の抵抗で守られた民主主義の価値をわかりやすく説明した。114ページに及ぶ決定文は、それ自体が立派な「憲法の教科書」だ。尹錫悦の内乱の意図(独裁体制樹立)が抜けているなど一部残念な点を指摘する人もいるが、韓国憲法の価値を通常の人の言葉で説明したことだけでも、十分に「名判決文」だ。

イ・チュンジェ|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1191090.html韓国語原文入力:2025-04-07 18:44
訳M.S

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