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[寄稿]米国にはあって韓国にはない?腹黒い西洋のチップ文化

登録:2021-01-23 08:04 修正:2021-01-25 08:30
私が韓国を愛する理由の一つ 
レストランでチップのために悩む必要がないという点 
 
米国、レストランの従業員の給料にはあらかじめサービス費用が含まれている 
フランス、イタリア、英国のチップ文化は米国とまた違う 
韓国、中国、日本、シンガポール、ノルウェーにはチップ文化はない 
新型コロナで、場合によってはチップが切実になるかも
イラスト:イ・ミンヘ//ハンギョレ新聞社
マイケル・ブースの食べる人類//ハンギョレ新聞社

  私は韓国に行った時、本当に楽しかった。読者の皆さんがすぐに思い浮かべる理由だけではない(おいしくてたっぷりある食べ物の話だ)。そう、私は韓国人が本当に情に厚いということを知るようになり、韓国人のユーモア感覚を愛するようになった。韓国料理は興味深く、歴史は目を離せないほど魅力的で印象的だ。

 しかし、私が韓国を愛する本当の理由は、チップの計算をするために頭を痛める必要がないということだ。レストランでも、バーでも、タクシーでも、ドアマンにも、旅行ガイドにも、ホテルの職員にも、チップをいくらを払わなければならないか悩む必要はなかった。これは天国に違いない。

 チップを払う必要がないということがどれほど驚くべきことなのか、韓国人は分かるだろうか。米国やカナダで旅行に行くことがあれば、ようやくはじめて気づくだろう。韓国の“ノーチップ”文化がいかにありがたいことかを。

 レストランのチップの計算が一番頭が痛い。新型コロナ時代に、まだ幸いだと思えたことのひとつを挙げるとすれば、それは、本当に本当に高いニューヨークのレストランで食事を終え、ただでさえ高い飲食代に15%をさらに払わなければならないために悩む必要がないということだ。高い飲食代に加え15%を自発的にさらに与えなければならないとは。すでに給料から、食べ物をテーブルに持っていく労働と、食事が終わったテーブルを片付ける労働の対価をもらっているはずなのに。チップを受けとる理由はない。だから、明らかに私は勘定を終えたのに、チップをさらに欲しいというウェイターの前で、それだけでなく、私からさらにチップをもらおうとするバスボーイ(テーブルの片付けや皿洗いを担当する人)の前で、悩む必要がなくなったということだ。

 実は、米国人も自分たちのチップ文化を嫌っている。チップはどこまでも自発的で任意的なもの、与える人の心次第だとはいうが、しかし私たちは皆分かっている。米国のレストランでチップを払うのは、本当にお客さん、すなわちチップを与える人の選択事項ではないということを。仮にサービスに対する対価を支払わず、チップなしでレストランを出ようとすれば、ウェイターはそれっとばかりにドアの外や街頭まで追ってきて、私やあなたの浅ましさについてあちこちで騒ぐだろうという事実を知っている。私は、本当にチップの計算比率をどうすべきなのかよく分からないし、だからといって食事が終わるやいなや携帯電話の電卓アプリを開き、ちまちまと数学の問題を解くように計算したくない。チップは簡単に、嬉しく、何の考えもなしに与えなければならないのではないか。

 チップは几帳面に計算しなければならないものではない。これは、チップを払わないことと同じぐらい困惑するものだ。レストランの主人はウェイターに十分な給料を支払わないということなのか。このこっけいな脅迫パフォーマンスは、一体どこから始まったものなのか。

 世界の他の文化圏では、チップはどのように作動しているのだろうか。中国、日本、シンガポールは韓国と同様だ。これらの国に旅行に行っても自分の暮らした習慣どおりにチップを置いていく米国人を除き、これらの文化圏に事実上チップというものはない。しかし、東南アジアやインドでは、観光客が来れば当然チップがあると考える。チップはウイルスのようなものだが、幸いなことにチップの感染力は、無分別な西欧の人々が集まるサムイ島やホイアンではこれ以上は広がらないでいる。

 南米と欧州のチップ文化は国ごとに微妙に違う。生活水準が高い国ほどチップの額が高くなる傾向があるが、これはおかしなことだと言わざるをえない。

 フランスでは1955年から飲食代に加えサービス料を別に請求し始めた。そのようにずいぶん前にチップの電算化(?)がなされたにもかかわらず、フランスの人々はまだ食事の後に1ユーロのコインを一つ二つ程度テーブルに置いて立ちあがる。そのようにしなければ指が折れるとでもいうかのように。ドイツでも伝票にあらかじめ15%程度のサービスチャージが付いて出てくるが、お客さんはお釣りを活用し“巧みに”チップを払う。飲食代が8.5ユーロとなれば10ユーロを払い、1ユーロだけをお釣りとして受けとる方式だ。

 多くの欧州の国々もこれと同じだ(もちろんイタリアの一部地域のレストランでは、時々「コペルト」と呼ばれる一種の席料を受ける腹黒い追加費用を付けたりするが)。英国ではさらに複雑だ。今日ではチップはもらうのが当然だと考える。特に大都市ではそうだ。しかし、形式的に1ポンドを残すものから飲食代の20%をそのまま受けとるものまで様々だ。この場合も大抵はあらかじめ伝票に書かれている。

 外国人はこの事情をよく知らないため、チップを2回払うケースがたびたびある。あらかじめチップが含まれている伝票を決裁して1回、そしてテーブルを立つときにもう1回。

 スカンジナビアで暮らした時には誰も本当にチップを求めることはなかった。ウェイティングスタッフが高い給料をもらっているのもあるが、外食費自体が飛びぬけて高いので、それに加え自発的にチップをさらに払いたがる人はいなかったのだ。

 だから、私はここスカンジナビアに住んでいるのだ。

 私は、新型コロナのために、チップの重要性が今までにないほど高まっている所があるのではないかと考える。ロックダウンなどの余波でレストランが相次いで倒産している渦中、かろうじて生き残った所も、金銭的な問題で死闘していることは明らかだからだ。そのため、ホールの職員の賃金は削減できる最大限に、絞りに絞っただろうと考えられる。固定費となるもののうち、賃貸料や管理費などを見積もると、減らせる費用は人件費しかないからだ。自発的であろうとなかろうと給料を減らされたホールの職員にぽつりぽつりと訪問するお客さんが払うチップは、いつにもましてより重要になる。

 だから、このような状況を胸の中に必ず刻んでおいてほしい。いつか私たちがまた旅に出ることができる日が来れば、その時は、その時が来れば、私は喜んでチップを払うだろう。

文・マイケル・ブース|フードジャーナリスト (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/979927.html韓国語原文入力:2021-01-22 09:11
訳M.S

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