優雅な品格の文化を誇った百済(ペクチェ、1~7世紀)と、鉄と素朴な土器で有名な伽耶(カヤ、3~6世紀)。韓国には古代朝鮮半島にあった両国を知らない人はいない。だが、百済と伽耶の先祖が作った多彩な文化遺産の実体にあまねく精通している人はまれだ。ソウルや地方での巡回展などを通して、百済と伽耶の文化遺産を一堂に紹介する機会は事実上一度もなかったせいだ。
今春は事情が違う。新羅(シンラ)の古都である慶州(キョンジュ)で百済を見て、初期百済の首都であるソウルで伽耶に出会う展示が初めて準備された。ソウル芳夷洞(バンイドン)の漢城(ハンソン)百済博物館の「伽耶、百済と出会う」展(5月28日まで)と国立慶州博物館の「世界遺産百済」展(5月7日まで)だ。敵国と友邦の歴史を繰り返した三国交流史まで見ることのできる意義深くうれしい企画展といえる。
「伽耶、百済と出会う」展の主人公は、多様な土器と武器、鎧、馬具などの鉄器だ。3世紀に慶尚道、全羅道の一部地域である旧弁韓の10余りの小国が結束して、562年新羅により滅亡するまで300余年間にわたり命脈を維持した連盟体国家「伽耶」の歴史を表象する遺産だ。観客は金官伽耶、小伽耶、大伽耶、阿羅伽耶の4つの主要小国の土器、鉄器、墓様式、副葬品を順に眺望した後、新羅、百済、倭、中国との交流像まで見てまわることになる。首の短い壷、透窓高坏のような多様な土器文化に代表される金官伽耶、花火形の透窓模様土器が強烈な興味を残す阿羅伽耶、素朴で首の長い壷と金銅冠、頑丈そうな鎧類が特徴の大伽耶文化の容貌を一堂にあまねく鑑賞できる。中国、倭、百済などの地が先を争って輸入した伽耶鉄器の特徴を反映して、平斧、鉄塊と各種の鎧、馬具も多数展示される。同時代の日本古墳出土品である「風車形盾飾り」(波形銅器),「円筒形青銅器」(筒型銅器)と、南方から日本を経由して伝来した夜光貝杓子など異色の遺物も展示され、活発な対外交流の様相も見ることができる。百済との交流史は、ソウルの風納土城(プンナプトソン)から出土した伽耶系土器の破片から察することができる。だが、展示のタイトルに相応しい程に多様な遺物が比較展示されてはおらず、やや物足りなさが残る。
慶州の「世界遺産百済」展は、年初に開かれたソウル国立中央博物館の巡回展示だ。ただし、展示の仕方が大きく変わった。企画を務めたイ・ヨンヒョン学芸士は、木幹などの古代文書の専門家らしく木幹、土器、碑石などに刻まれた文字資料を中心に、百済-新羅交流史を説明することに比重を置いた。日本の古代王室宝物倉庫である正倉院に所蔵された新羅村落文書の一部用語が全羅南道羅州(ナジュ)の福巖里(ポクアムニ)遺跡から出た百済戸籍文書木幹の用語と一致して、新羅の古刹である慶尚北道漆谷(チルゴク)の松林寺(ソンニムサ)のせん塔から出た木枝装飾物が百済高位官吏の帽子に付けた銀貨冠飾を基に製作されたという分析などが注目に値する。忠清南道扶余郡(プヨグン)の双北里(サンブンニ)官庁跡から出た巻物文書の索引用木挿し「題籤軸」と百済人が茶を飲んだ漆盞も詳細な説明と共に見ることができる。武寧(ムリョン)王陵から出た王と王妃の金製冠飾、全羅北道益山(イクサン)の弥勒寺塔から出た金製舎利器、昨年発見され大きな話題を集めた九九木幹など、百済の著名な代表遺物をソウル展示に続き見ることができる。