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全州で大韓帝国「皇室のルーツ」を確認しようか

登録:2017-04-29 16:04 修正:2017-04-30 07:17
御真博物館、8月まで「皇室のルーツ」特別展 
肇慶壇・梧木臺・梨木臺を新しい側面から観覧
「皇室のルーツ」特別展の展示パネル=御真博物館提供//ハンギョレ新聞社

 「1897年、高宗(コジョン)は園丘壇(ウォングダン・天に祭事を捧げる場所)で皇帝即位式を行い、大韓帝国を宣言した。朝鮮が自主独立の国家であることを明確にし、列強の侵奪を阻むためのもので、今年はそれから120年になる年だ。

 全羅北道全州(チョンジュ)の韓屋村(ハノクマウル)慶基殿(キョンギジョン)内の御真(オジン)博物館が、大韓帝国宣言二周甲をむかえて8月27日まで「皇室のルーツ、全州-肇慶壇(チョギョンダン)・梧木臺(オモクデ)・梨木臺(イモクデ)」展を開いている。特別展は、朝鮮皇室のルーツである全州の文化遺産を広く知らせ、大韓帝国の意味を再確認するために用意された。

梨木臺移築設計図面=御真博物館提供//ハンギョレ新聞社

 高宗は皇室の権威を高めるため皇室聖域化事業を展開した。全州の豊沛之郷(王の故郷)文化遺産のうち肇慶壇、梧木台、梨木臺は皇帝国になった後に作られたものだ。肇慶壇は1899年、朝鮮王室の始祖である李翰(イ・ハン)の墓地があると伝えられる徳津(トクチン)公園周辺の乾止山(コンチサン)に造成された。1900年には李成桂(イ・ソンゲ)が高麗末に南原(ナムォン)の荒山大捷(ファンサンテチョブ)をおさめ帰省の途中に全州に立ち寄り宴会を行ったという梧木臺に碑を立てた。梨木臺は李成桂の4代先祖である李安社(イ・アンサ)が生まれ育った所で、高宗が親筆で碑を立てた。

 展示遺物は、拓本、古い写真、祭具類、黄龍袍(ファンニョンポ)、大韓帝国で使用した暦である明時暦、大韓帝国の文書、皇室街の写真など約50点だ。中でも梨木臺移築図面は初めて披露された。全州~南原道路を拡張し、梨木臺の碑を道路脇に移転したが、この時の設計図面だ。梨木臺の碑と碑閣に関する情報、移築に関する全般的な内容が記録されていて研究上の価値が大きい。展示を準備する過程で博物館側が発見したものだ。

 学芸士のシム・サンヒ氏は「朝鮮王朝の発祥地としてのみ理解されていた肇慶壇・梧木臺・梨木臺を、大韓帝国史という新しい側面から眺める機会になるだろう」と話した。

肇慶壇を補修する時に寄付した人々を記録した「肇慶壇重修献誠金列名録」懸板=御真博物館提供//ハンギョレ新聞社
酒壷を置く肇慶壇阿架床=御真博物館提供//ハンギョレ新聞社

パク・イムグン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/792686.html 韓国語原文入力:2017-04-28 11:54
訳J.S(1179字)

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