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新羅、金冠塚の主人は男?女?…性別論議は迷宮に

登録:2016-10-25 00:11 修正:2016-10-30 07:49
国立中央博物館、21日慶州で金冠塚シンポジウム結論出せず 
ユン・サンドク学芸士、墓の副葬品を統計分析し「貴族男性」主張 
太い耳飾り、遺骨に帯剣なし「王妃あるいは王族女性」反論も
金冠塚遺跡発掘現場の全景。墓の中心部に整然と積み上げられた石だらけの地面が見える=国立中央博物館提供//ハンギョレ新聞社
昨年行われた金冠塚の再発掘過程で出土した刀端装飾。「イ斯智王刀」(イサジワンド、イはひとやねに小)と銘文が刻まれている=国立中央博物館提供//ハンギョレ新聞社
1921年、金冠塚の最初の発掘当時、棺の中から出てきたと伝えられる細環耳飾。墓の主人が男であると主張する根拠の一つだ=国立中央博物館提供//ハンギョレ新聞社

 95年前、初めて新羅金冠が出てきた慶州古墳の主人は男か、女か? 王か、貴族か?

 慶州(キョンジュ)路東洞(ノドンドン)にある金冠塚(クムグァンチョン)墓の主人は誰かをめぐる長年の論議が最近一層熱くなった。こうした流れは予想外だ。1921年に日本人学者による最初の発掘当時に出てきた環頭大刀を、2013年に国立中央博物館が再調査し、本体に「イ斯智王」という銘を確認し、昨年の再発掘でも同じ銘が彫られた刀端装飾を発掘し、墓の主人はイ斯智王という説が固まるかに見えたためだ。しかし、学界ではその後、こうした説自体を否定する主張が相次いでいる。耳飾など副葬品の様相から見れば女性と見るべきだという見解が少なくなく、最近は男性やイ斯智王というよりは貴族だろうという説が有力に提起されている。

 21日、国立慶州博物館で開かれた学術シンポジウム「麻立干(マリブカン、新羅の王の称号)の記念物、積石木槨墳」は、金冠塚の主人の性別をめぐる考古学者らの激しい討論で熱くなった。争点は、国立中央博物館のユン・サンドク研究士が発表した「金冠塚被葬者の性格再考」という発表内容についてだった。彼は、新羅前期の主要古墳71基から出た副葬品出土データを最新統計プログラムにかけて比率表で分析した結果、金冠塚は最高位級の男性貴族が埋められた墓であると現れたと明らかにした。

 これは学界の通説とは大きく異なるもので激論を惹き起こした。相当数の研究者は、金冠塚から女性が身につけたと推定される太い輪のイヤリングが出てきており、大刀を差した跡は見られないという点などを根拠に、主人が女性である可能性が高いと推定してきたし、イ斯智王も「麻立干」という称号で王を呼んだ5世紀の奈勿(ネムル)~智證王(チジュンワン)時期の王の一人と解釈してきたためだ。

 ユン研究士が提起した根拠は二つある。第一に、慶州の典型的古墳である積石木槨墳をその大きさにより6つの群に分けると、金冠塚は黄南大塚や鳳凰台のように直径60メートルを超える大型王陵級(1群)よりはるかに小さい直径45メートル程度と推定される3群に入り、王陵とは見られないということだ。第二は、新羅古墳の主人を女性と判別する根拠になった太環耳飾が金冠塚からも出てきたが、女性という証拠としては活用できないという論旨だ。日帝強制占領期間の発掘報告書によれば、この耳飾が遺骨の耳の部分ではなく金冠の上側で見つかったと記録されている。報告書自体も不十分に作られており、正確な出土位置の確認ができないということだ。そのために耳飾で性別を決められないと見て、金冠装飾、毛冠(三角帽)、甲冑、大刀など、他の副葬品を中心に70個の古墳の副葬品と統計値で比較分析したところ、主人は男性という結果が出たという説明だ。墓の主人が男性ならば、出土した刀に彫られたイ斯智王になり、墓の大きさから見て彼は麻立干ではなく当時国政を王と議論した慶州の6つの地域勢力、すなわち六部の最高位級貴族という結論だった。

 これに対して、積石木槨墳の権威者であるイ・ヒジュン慶北大教授は「科学的統計を活用したのは良いが、女性と判別できる太環耳飾のような副葬品が厳然として存在するという事実を無視することはできない」と主張した。イ斯智王がソ知王(ソジワン、ソは火偏に召)や慈悲王(チャビワン)だろうという説を提起してきたキム・ジェホン国民大教授も「男性ならすなわちイ斯智王という見解にはうなずき難い。王妃、側近の墓祭礼の時にイ斯智王が自分の刀を入れた可能性がある」と指摘した。キム教授は祭礼巫女の性格を持った花郎道(ファランド)の例を挙げ、主人が男性であっても実際には女性の役割をした人物である可能性も開けておかなければならないという見解を出した。結局、この日のシンポジウムは多様な副葬品資料を広く検討し、議論の地平を広げてみようという線でまとめられた。

 金冠塚墓の主人論議は、刀の銘文発見直後にイ斯智王説が台頭したが、今は静まった。2014年にキム・ジェホン教授が銘入りの刀が棺の中ではなく、周囲を護衛するように置かれた副葬品としての性格が強いとし、イ斯智王ではないとの論考を出して以来、この主張が通説として受容される雰囲気だ。代わりに男女の性別と銘文のイ斯智王が、新羅の君主なのか、六部の首長級なのかをめぐる論議に移りつつある。金冠塚を積んだ5世紀の麻立干統治時期の新羅の政治社会像が未だに霧に包まれていて、金冠塚の実体は今後も論議の的として残る公算が高いと思われる。

慶州/ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/767027.html 韓国語原文入力:2016-10-24 17:49
訳J.S(2335字)

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