キム・スム氏の小説『一人』は、日本軍「慰安婦」被害ハルモニ(おばあさん)の公式生存者がたった一人になった時点を想定する。小説が始まると、主人公の「彼女」は二人だった慰安婦被害者のうち一人が昨夜亡くなり、残った被害者が一人に減ったというニュースを聞きながら、こうつぶやく。「ここにもう一人、生きている…」
小説の結末は主人公のハルモニが人工呼吸器に頼っている最後の生存者を探しに出かける場面だ。ニュースを聴いて家を出るまでの数日間、80年間にわたる傷と怒り、羞恥と絶望の歳月がよみがえる。
13歳の時、川辺でカワニナを取っている最中、見知らぬ男たちに捕まって満州へ連れていかれた主人公のプンギル。慰安所を運営するおばさんから明日から軍人を相手にしなければならないと言われ、「軍人たちが来れば、ご飯を作り、軍服や靴下などの洗濯もしなければならない」のかと思っていたほど世間知らずだった少女は、それからおよそ7年間、地獄のような慰安所生活を耐えなければならなかった。作家は韓国と中国、インドネシアなど、慰安婦被害者の証言を記録したパンフレットや記事、映像ドキュメンタリーなどにすべて目を通し、慰安所の悲惨な実態をリアルに再現した。被害者ハルモニたちの経験と発言を小説の随所に盛り込むことで、この作品が慰安婦問題の客観的真実に最大限近づくように努めた。
「慰安婦」取り上げたキム・スム氏の小説「一人」
最後の生存者ともう一人
証言録を詳しく調べ、客観的な真実を確保
当事者たちの証言に基づいた慰安所生活の描写は、悲惨で無惨極まりない。「証言集から捉えた実状を可能な限り刺激的すぎないように、ドライに書こうと務めた」と作家は言っているが、そうして作家のフィルターでろ過された叙述と描写にもまた、耐え難いものがある。言うことを聞かないからとの理由で、ムチや付け木、金串で殴り、熱した鉄の棒を膣に入れてえぐる慰安所の管理者や、自分の性器がうまく入らないとして、幼い少女の性器を小刀で切り付ける将校、結核で死んだ仲間の遺体が焼かれる最中にも、軍人たちを相手しなければならなかった少女たち、耐え切れず逃げ出し、憲兵隊に捕まって足を切られる主人公…。獣以下の生活を耐え抜くために麻薬に溺れる人や、自ら命を絶つ人も少なくなった。そんなに地獄のような7年の歳月を送り、戦争が終わってから満州で千辛万苦の末に国境を越えて故郷に帰るまで再び5年。13歳で離れた故郷に25歳となって戻ってきたが、戸籍簿にはすでに死亡届が出されており、故郷の家にはもう居場所がなかった。
「日本軍慰安婦というと、よく知っている存在だと思われがちですが、実は私もちゃんと分かっていませんでした。証言集を読みながら新たに知った事実が多いです。この小説で読者に慰安婦被害者たちのことをきちんと知らせることができるなら、本望です」
今月3日、ハンギョレ記者と共に日本大使館前の少女像を訪れた作家は、最近発足した「和解・癒やし財団」について、「被害当事者たちが排除されたまま一方的に進められた点で、話にならない。ほかの誰よりも当事者たちが当惑しているだろう」と話した。
「すべてを、最初から最後まで全部憶えていたなら、今日まで生きられなかっただろう」
被害ハルモニの証言を借用した文章で主人公はこう思う。彼女はさらに「満州の慰安所でのことなら、何も記憶したくない」と憤りを隠せないながらも、「認知症になって自分が何も思い出せなかったら、どうしようと思う」。被害当事者の記憶闘争が真相究明や事態解決の鍵という事実を、ここでも確認できる。時間と争う記憶や証言の切迫さを強調した「一人」という題名も、同じ文脈で考えさせられる。
小説の前半と後半には「神様も代わりに言ってあげられない一言」という表現が相次いで出てくる。前半ではテレビに出て証言ながら「その一言を聞く前には絶対に死ねないと言っていた」同僚の慰安婦被害者ハルモニの話として登場し、後半では主人公の独り言として繰り返される。「自分に起きたことを許せない」と何度も言っていた主人公が「その一言を聞いたら許せるかな?」としながら、物思いに深ける場面だ。その一言とは何だろうか。小説では明らかにされないが、慰安婦被害者が加害者である日本政府から待ち望んでいる一言、「申し訳ない」だ。主人公が生涯隠してきた慰安婦被害事実を公開しようとする小説の結末部分でも、「いまだに怖い」としながら思いとどまろうとする場面は、加害者の謝罪を引き出し、他人に理解してもらうまで、彼女がそして人類共同体が目指すべきなのは依然として長い道のりであることを示している。
韓国語原文入力: 2016-08-04 19:18