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[マガジンesc]海水浴の合い間に奥ゆかしい散歩道

原文入力:2009-07-08午後09:38:29
escワーキングマップ9.三陟(サムチョク),五十川(オシプチョン)と汀羅港(チョンナハン)
江原三陟,五十川辺から竹西楼(チュクソル)を通り汀羅港まで6km

イ・ビョンハク記者

←三陟,五十川の絶壁の上に佇む竹西楼の前面の姿。2階に懸けられた竹西楼,関東第一楼の表札板は粛宗の時(1710)三渉府使 李聖肇の筆だ。

江原・慶北,東海岸は昔も今も最も好まれる避暑地だ。冷たくきれいな海水を抱いた大小の海水浴場らが列をなしている。海を楽しみついでに朝夕に都心路地を歩きまわり歴史・文化の香りを楽しむこともできる所に行く。関東八景中第1景に挙げられる竹西楼の故郷 三陟だ。都心と五十川辺を散歩した後、刺身料理屋が並ぶ汀羅港まで歩く。

関東八景 第1景 逃しては惜しいでしょ

駐車場が広い五十川辺の洞窟エキスポタウンから始める。三陟は世界的な洞窟都市だ。幻仙窟(ファンソングル)・大金窟(テグムグル)など国内最大・最高の石灰洞窟を従えている。エキスポタウンは2002年世界洞窟祭りが開かれたところだ。洞窟の形成過程,種類などを実感できるよう展示した洞窟神秘館①(入場料3000ウォン),世界各国の代表的な洞窟を体験できる洞窟探険館③(2000ウォン)がある。

三陟市立博物館②も近くにある。無料.特別企画展として開いている‘韓国の民話’展(8月末まで)が目を引く。

五十川の向かい側の崖上に立つ竹西楼④(宝物213号)が美しい。竹西橋を渡って眺めれば竹西楼景観をより引き立てるものがある。青い水と白い水鳥、水辺の釣り師たちだ。1990年代初めまで竹西楼までまっすぐに渡れる吊り橋があった。新しい橋が架けられ撤去された。

竹西楼は高麗時代初めに建設され、朝鮮太宗の時に再建された2層楼閣だ。朝鮮時代三陟府の客舍だった眞珠館の付属建物として使われ、書画詩人たちが訪れ詩を詠じ酒を飲まれた所でもある。2層楼閣ながらも柱の長さを調節し屈曲の激しい自然岩盤の上に自然に乗っている姿だ。内部には粛宗・正祖の御製詩をはじめ李栗谷・李承休などの詩を刻んだ表札板が並んでいる。竹西楼の左側の岩々に祈りながら通れば願いがかなうという‘龍門’と呼ばれる小さい岩門がある。

竹西楼を出て樹齢350年になるエンジュの木を見ながら石垣に沿って左側の坂道を上がる。三藏寺⑤をすぎれば城北三叉路だ。道の向かい側のゆるやかな坂道をしばらく上がり、悉直郡王陵⑥に行く。悉直郡王陵は新羅敬順王の孫であり三陟金氏の始祖である金渭翁の墓だ。高麗太祖が敬順王の服属を受け入れて悉直郡王という称号を与えた。ここから市内中心に聳える鳳凰山と五十川の水の流れの一部が見下ろせる。

近代文化遺産に登録された城内洞聖堂⑦に行く。アリラン峠という峠道のそばだ。昔、道渓・未老・新基の住民たちがこの峠を越えて三陟市場に買い物に通った。装飾がほとんどない聖堂の建物はシンプルながらも節制された美しさが漂う。

←三陟アリラン峠の入り口にあるソウル商会。看板や門など40年前の昔の趣がそのまま残っている。

最近できた寺院の三山寺下の路地に錆ついて色あせた昔の看板がそのまま懸かった昔風の雑貨屋に出会った。缶コーヒーを買って屋外で椅子に座って飲みしばし休む。40余年間一所を守ってきた‘ソウル商会’⑧だ。主人であるおばあさんは「昔、路地に向かいにあった‘ソウル漢方薬房’をまねて看板を懸けた」と話した。‘ソウル商会’は看板も扉も壁紙も壁にかかった温度計まで皆古くてすりへっていた。破れた壁紙の片側には映画俳優 文姫の色あせた写真が貼ってあり門には小さな錆びた鐘がぶら下がっている。

路地を下って行き三陟旅館を過ぎると風景ががらりと変わる。突然、長い髪に短いスカート,ズボン姿の若者たちで込み合う。ビヤホールから専門食堂までびっしりと並ぶ食べ物通りでありファッション路地である‘大学路(テハンノ)’⑨だ。

郵便局前の交差点に出た。きれいな街の姿が印象的だ。電線を地下に埋め電柱をなくしたためだ。ヒマラヤ杉の街路樹の道を歩き、中央市場⑩に入る。常設市場の中央市場は三陟の市の日(2・7日)には中央路周辺路地を埋めつくす屋台へと続き大規模な路上市場を形成する。

中央路から川側に歩き、五十川橋を渡る。上流の方を見れば竹西楼の前で曲がりくねった水路が山の連なりを貫いて降りてくる姿が見える。本来の水路は山の連なり(南山)の向こう側から市内側に一曲がりして流れていたという。水害が多いからと1962年から8年間、山を切り通して水の流れをまっすぐにする工事を行い70年に完工した。五十川教を渡り、黄山の森の道入り口にこれを知らせる‘五十川水路変更通水記念碑’⑪が立っている。

黄山には忠魂塔と小さい亭子 鳳凰亭⑫がある。階段道を外れうっそうとした森の道を歩いてみる必要がある。黄山から下って五十川の川辺道に沿って歩く。鉄道下をすぎれば桜の木が立ち並んだ散歩道が続く。川の向こう側に鳳凰山は遠く見えるが、カッコウの声は手で捕えられるかのように鮮やかに聞こえてくる。川辺の道を出て道の向かい側に史直洞(サジットン)聖堂の後の悉直郡王妃陵⑬に行く。悉直郡王金渭翁夫人の墓で1838年悉直郡王陵と共に発掘・確認作業を経て1937年同時に整備した。

東洋セメントをすぎれば三陟駅⑭だ。最近人気を呼んでいる海列車(三陟~東海(トンヘ)~江陵(カンヌン))の始・終着駅だ。海辺の鉄道58kmを一日三往復運行する。三陟駅の向い側には明け方4時に開き午前9時には市を終えるポンゲ(稲妻)市場⑮がある。40年余りの歴史を持つ水産物中心の瞬間市場だ。

←汀羅港(三陟港)刺身料理屋の前に干しイカ.

汀羅港 新鮮なイカの刺身に焼酎一杯

汀羅港近くに上がってみるだけのことはある小さな丘,六香山(ユクヒャンサン)がある。朝鮮時代の善政碑・不忘碑たちと三陟浦陣城跡の碑石,三渉府使であった眉棊 許穆が津波の被害を防ぐために建てたという陟州東海碑(16)と平水土讚碑を見ることができる。善政碑の定礎石は注視するに値する。本体の文字は正しいが、定礎石に線刻で彫られた模様は自由奔放でユーモアいっぱいだ。

丘から降りて汀羅港活魚刺身センターに入り美味そうで生臭い海の香りが食欲を刺激する。6km余り歩いたので飢餓が押し寄せる。この頃はイカがたくさん獲れるという。注文すると1万ウォンで新鮮なイカ7杯を切ってくれた。

←三陟,五十川と汀羅港(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)

ウォーキング メッセージ

首都圏から嶺東高速道路に乗り大関嶺(テグァルリョン)を越え江陵をすぎ東海で出て、7号国道を利用して三陟に行く。3時間~3時間30分。嶺東高速道路,原州方向が渋滞する場合、驪州で中部内陸高速道路に乗り忠州(チュンジュ)側に行き、甘谷(カムゴク)出入り口で出て、38号国道で提川(チェチョン)~寧越(ヨンウォル)~太白(テベク)を経て三陟に行ってもよい。三陟市内のタクシー基本料金は2200ウォン,汀羅港から洞窟エキスポタウンまで3300ウォン。

南陽洞(ナミャンドン),大学路(テハンノ)の汀羅フェッチプ(刺身屋)(033-573-3670)は四季を通してハタハタ専門店。煮物・焼き物を出す。汀羅港の郷土食堂(ヒャントシクタン)(033-573-5784)ではカレイの刺身とカルグクス(うどん)がおいしい。汀羅港一帯には二日酔い解消ヘジャングクで有名なコムチグク(ウツボ汁)を専門で出す食堂が並んでいる。三陟市庁観光政策課(033)570-3846.

三陟=文・写真イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/364783.html 訳J.S