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義城古墳から天馬塚と似た耳飾りが出土

登録:2015-06-08 20:57 修正:2015-06-09 09:12
 ソンニム文化財研究院、45号古墳で発掘
 6世紀前半に流行した「細環耳飾り」様式
 昨年は百済系金銅冠を発掘
 「各地域をつなぐ戦略的要地の特性」
義城大里里45号墳発掘現場 =ソンニム文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 慶尚北道義城(ウィソン)大里里(デリリ)の古墳群は、昨年百済の上流層特有の帽子である金銅冠が慶尚道地域としては初めて出土し、考古歴史学界の注目を浴びた遺跡だ。 この大里里古墳群から今回は慶州天馬塚(チョンマチョン)の古新羅出土品とそっくりな金製耳飾りが出土した。 文化財発掘機関のソンニム文化財研究院は最近、大里里45号古墳を学術調査し、天馬塚からの出土品と類似した金製耳飾りを発掘したと8日明らかにした。 45号墳周辺の塔里と鶴尾里一帯は、「義城金城山古墳群」(慶尚北道記念物第128号)をはじめとする三国時代の古墳群が密集している。

義城大里里45号墳から出土した耳飾り(左)と天馬塚から出土した耳飾り =ソンニム文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 調査報告の内容を見れば、墓の主人のものと推定される出土耳飾りは中間輪にまで金の微粒子を多く付着させ飾っていることが特徴だ。 このような様式の耳飾りは、学界で「細環耳飾り」と呼ばれるもので、70年代に慶州天馬塚から出た6世紀初葉の耳飾りと類似した姿と構造を持っている。細環耳飾りは6世紀前半に流行し、他の時期の新羅古墳から確認された例は珍しい。 研究院側は「古墳がある金城山一帯は、慶州と慶北北部、忠清、全羅をつなぐ戦略的要地だったため、多様な文物と文化の交流が活発だったと考えられる」として「昨年の百済系金銅冠に続き天馬塚様式の古新羅系耳飾りが出てきたのも、この地域特有の地理文化的性格を反映したものと見られる」と話した。

義城大里里45号墳の主槨(左)と副槨 =ソンニム文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 古墳構造の場合、墓の主人の遺体を安置した主槨と副葬品を入れた副槨を“11”字形に並んで配置し、墓室(埋葬主体部)を作った。 主槨の大きさから見て、土を分厚く積んで作った大型封土墳に分類される。 出土品としては金製耳飾り一組の他に、腰ベルト装飾2セット、糸底の高い皿、低い皿、首が太く長い壷のような土器類、多様な種類の馬具などが出てきた。 研究院側は9日午前10時、義城召文国博物館と発掘現場で説明会を開き、調査の成果を公開する。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/694924.html 韓国語原文入力:2015-06-08 11:31
訳J.S(1243字)

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