登録 : 2013.01.17 00:15 修正 : 2013.01.17 16:03

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大教授

 新しい年が明けて2週間ほどが経った。私の心はますます憂鬱に閉ざされている。いうまでもなく、昨年末の日本と韓国での選挙結果を受けてのことだ。日本の新政権は夏の参議院選挙に向けての一時的な人気取り政策を矢継ぎ早に打ち出す一方、外交、安全保障、教育などの分野で極端な右傾化を実行し始めている。極右イデオローグたちがこれ見よがしにわが世の春を謳歌している。私は生まれてから60年余りを生きてきたが、予想外に長く生きてしまったせいで、見たくなかったものを見せつけられることになった。

私の人生を20年ずつ3つの時期に分けてみると、最初の20年は日本の戦後民主主義の興隆期にあたる。次の20年は大学闘争の敗北を経た脱政治の時期、第三の時期は経済成長の停滞と保守化の時期と言えるだろう。そんなことは望んでいないが、私がもしあと20年生きるとすれば、それは大反動の時期となるだろう。日本は敗戦と引き換えに得た民主主義や平和主義といった貴重な財産を、この反動期にほとんど失うことになる。過去に学ぶことができないまま、また他者を害するだろう。なにかの契機で(それが見えないのだが)反動を克服する時が来るとしても、それまでに莫大な犠牲と時間を要するだろう。

 見たくないものを見せられた、といったが、昨年末韓国の大統領選挙前に見た詩人・金芝河の姿は、まさしく見たくないものだった。70年代、険悪きわまる維新独裁の時代に日本で出版された彼の詩集(日本語版)が、私の手もとに残っている。当時、国内では禁書だったため、日本で先行して出版されたのだ。あれからおよそ40年、私は繰り返しそれらを読んできた。地位も権力もない若者、在日朝鮮人という被差別少数者、政治犯の家族であった私は、まさしく「灼けつく渇きで」それらを読んだ。そこに、絶望の中で顔を上げて闘う尊敬すべき祖国の人々の声を聞いた。パレスチナで、南アフリカで、ラテン・アメリカで、アジアの国々で、裏通りの若者たちが木切れにチョークで「民主主義よ」と書いている姿を思い描いた。自分もそういう人々の一員でありたいと切望した。私はそこに、絶望のきわみとしての「希望」を読み取ろうとしていたのである。いまも韓国で、日本で、世界の各地で、見放され傷ついた人々が民主主義を求めている。

 昨年末、「詩人会議」という団体の創立50周年大会で記念講演をするよう依頼された。私は「詩が映し出す東アジア近現代史」というテーマを決めて、李相和、尹東柱、金芝河、朴ノヘ、崔ヨンミ、そして鄭喜成などの詩を紹介した。実は「灼けつく渇きで」は、1990年代の終わりにも、東京での君が代・日の丸法制化に反対するある市民集会で紹介したことがある。現在に至る右傾化の急坂を日本社会が転落し始めた頃のことだ。私たち朝鮮人は、〝灼けつく渇き〟で民主主義を渇望した。民主主義の価値を私たち在日朝鮮人に教えてくれたのは日本の戦後教育だった。その民主主義は韓国では巨大な犠牲を払って闘い取られたが、日本ではさしたる抵抗もないままに捨て去られようとしている。民主主義が安楽死しようとしているのだ。…これが、その時の私の話の趣旨であった。10数年後のいま、日本の民主主義は無自覚なまま断末魔の時を迎え、韓国ではかつて「灼けつく渇きで」をうたった詩人が自らの詩を裏切る無残な姿をさらしている。

 当時、これほどの暗黒の中でも、人間はこのように誇らしく輝くことができるのだと感じた。私だけではない、日本人を含め世界の少なからぬ人々が、その感激を共有し、韓国民主化闘争を声援した。いま、あれほど輝いていた詩人がこれほど凡庸で愚かになることができるのだという事実を私たちは見せつけられている。これが、今という時代の暗黒だ。一見かつてと同じような暴力的な姿をとってはいないが、人間精神に対する恐ろしいまでの失望と冷笑が蔓延している。私たちは今後、この冷笑の闇を生きなければならないのだ。

 すでに90年代初めから私は数回にわたって、金芝河を批判したことがある。彼はなぜあんなふうになってしまったのだ? そう国内の知人に尋ねると、彼らは苦笑いしながら、「金芝河」というのはある個人の名前というより一つの集合名詞なのだ、暗黒時代に共に闘った人たちの情緒が、集合的に金芝河の詩に結晶して表われたのだ、その責めも名誉も金芝河個人に帰すことのできるものではない、という答えだった。そうかもしれない、と思う。ある時代精神を映し出した詩の価値は、それを書いた詩人個人の存在を超えると言えるかもしれない。だが、そうだとすれば、金芝河個人が見せた浅薄さもまた、彼個人のものではなく、一時代を生きた一群の人々に共有されているものではないか。金芝河という個人だけが奇人であり、愚か者だったならことは簡単だし、そのことをこれほど嘆く必要もないのだ。日本でも韓国でも、私はまだまだこれから、見たくないものを見せつけられることになるだろう。そのことを痛感する年の初めである。

韓国語原文入力:2013/01/16 19:20
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/569986.html (2169字)

関連記事
  • 오피니언

multimedia

  • most viewed articles
    • hotissue