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[朴露子の韓国・内と外]日本は大韓民国の反面教師

登録:2021-03-23 22:36 修正:2021-03-24 09:29
イラストレーション=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 1990年代初め、私は当時流行したポール・ケネディ教授(1945年生)の『大国の興亡』(The Rise and Fall of the Great Powers、1987年)を読んでみた。500年間の覇権政治を明るみに出した名作であることは確かだが、同時に未来に対する予測がどれほど難しいかをよく示した事例でもあった。米国の覇権の衰退をきわめて理路整然と論じたその本で、著者は米国を抜き去り覇権国家として登場するかもしれない“未来の強者”として、他でもない日本を名指しした。学界では、このように外れた予測を「未来予測の限界をよく示したケース」と評価することが多い。

 しかし、後になってケネディを過度に酷評することも、ことによると公正でないかもしれない。批判的意識を持つ一部の専門家を除く西側世界の多数にはとって、1980年代中盤の日本こそが「最も未来性のある資本主義のモデル」に見えた。日本は米国に比べ、格差がはるかに少ない社会であり、児童貧困率(10%)も米国の方が2倍も高かった。1985年当時、日本の出生率(1.76)も、例えばドイツ(1.36)などの西欧諸国に比べ多少高かった。全体的に社会がはるかに“健全”に見えた。暴力や社会的脱線などは、高所得国家の中で最も低い水準であり、社会的凝集力は西側がひたすら羨むほどに高水準だった。加えて日本産の漫画などもますます国際的に認められる傾向だった。一部の専門家たちは、在日朝鮮人のようなマイノリティに対する差別から見えてくる日本社会の閉鎖性や、“土建国家”の内在的不良性に憂慮の声を上げてはいたが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を固く信じた多数は、彼らの話に耳を傾けようとしなかった。

 30年余りが過ぎた。1990年代にソ連没落とインターネット技術革命の力で、米国の地位はしばらく回復したが、2000年代入るとイラク・アフガニスタン侵攻の惨敗などでケネディが予見した米国覇権の衰退は続いた。失敗した侵略と人種主義的嫌悪の政治勢力化、そして新型コロナ防疫失敗などで世界的も非難された米国以上にその地位が衰退した国を探そうとするなら、それは日本だろう。

 まず、日本の“成長時代”は過去の神話になってしまった。国内の総需要が増えない状況で、政権がいくら量的緩和を通じて経済に資金を注いでみても、成長鈍化の傾向を免れることはできない。総需要が増えない自明な理由は、新自由主義的非正規職の量産などがもたらした大々的な“貧困化”だ。非正規職労働者が雇用労働者全体の38%も占める日本の貧困率(15%)は、米国(9%)より高く、平均賃金は米国の約75%程度にしかならない。低迷し、格差も拡がり、不安に苦しむ社会であるからこそ、あらゆる病理現象もすべて現れることになる。日本の自殺率も米国を含む多くの欧米圏国家よりはるかに高い。2011年以後には高齢化と少子化による総人口減少傾向まで加わって、「日本に未来があるのか」というような質問を投げる人々の数はずっと増えていっている。

 米国は、ケネディが分析したとおり、過度な軍事的膨張などで不良を膨らませた。ならば1945年以後には軍備支出を自制してきた日本の敗因は何だろうか?

 きわめて短い期間を除き1955年からずっと権力を独占し、いくら政策を誤っても社会の牽制を避けられた自民党という「既得権ブロック」を、過去数十年間にわたり日本が歩んできた下降曲線の主因と見る見解がある。“不動産信仰”の政治家たちが、土木開発経済を煽り立て、結局不動産バブル現象を予防できず、既得権者であるだけに再分配・格差問題に鈍感で、労働の不安化と相対的貧困化を止めようともしなかったということだ。既得権者が労働問題に無関心な反面、組織労働者の発言権があまりにも脆弱で、格差解消に全社会が失敗してしまったのだ。また、既得権者が追求してきた閉鎖的移民政策が、移民者の流入による人口数の維持や増加を不可能にさせ、結局人口減少を招いたという分析もある。戦後日本を“作った”と自負する巨大な自民党が、結局は日本をダメにしたという診断であるわけだ。

 表面的に見れば、これは韓国と関係がない話に見える。日本が“実質的な準一党制”ならば、韓国では最近25年間は二党制がうまく定着し、権力は周期的に交替させられた。問題は、たとえ与野党の激しい対決が韓国政治の舞台をはるかに健全にさせるとはいえ、不幸にも韓国の与野党が共有する一種の非公式な“合意事項”は、過去数十年間にわたる自民党の災難的政策とさほど変わらないということだ。

 環境破壊の議論があるにもかかわらず、現政権勢力が加徳島(カドクト)の新空港建設を積極的に推進するのを見れば、土木開発経済に対するエリートたちの“超党派的合意”とは何かを容易に理解できる。公共賃貸住宅の増設など種々の進歩的代案は提示されるが、保守政権も自由主義政権も住居価格を抑えてバブルを防止することに今まで失敗してきた。それだけ、税金恩恵を受ける登録賃貸事業者のような高所得・多住宅所有者の利益を優先的に支えてきたという批判を受けることになる。このような土木開発経済の持続と住居政策の失敗を見れば、日本と同じ道を歩んでいっているという気がしてならない。移民者誘致による高齢化時代の労働人口確保には、韓国は今日まで日本より相対的に成功してきた。韓国の外国系人口の割合が4.9%程度である反面、日本はその半分にもならない2.3%に過ぎない。しかし、外国人政策の排他的な根幹を、韓国と日本はかなり多く共有している。結婚移住者は“国民”として受け入れるが、単純労務者など多くの労働者には定住の可能性を開かず、(臨時的)“滞在”と“労働”だけを許容する政策だ。“金銭”や“技術”より“人才”を重視すべき少子化・高齢化時代に、こうした閉鎖的政策こそ“人災”に他ならない。日本ですでに失敗した政策を、韓国があえて踏襲しなければならない理由は果たして何なのか?もちろん何よりも、すでに日本を含む全世界で大衆の貧困化と総需要低下の原因として名指しされている非正規職の量産を、なぜ今まで踏襲してきたのかを問わなければならないだろう。

 一時は近代のモデルだった日本は、いまや韓国をはじめとする世界の反面教師だ。その失敗を他山の石とするべきで、日本がすでに陥ってしまったその落とし穴を、私たちがどのように避けるのかを考えなければならない。その落とし穴を部分的にでも避けられる時間的な余裕も、すでにほとんど残っていない。

//ハンギョレ新聞社

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) |ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/987932.html韓国語原文入力:2021-03-23 19:48
訳J.S

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