チョン・チャン|小説家
1月8日、韓国裁判所は慰安婦被害者の損害賠償請求訴訟で「日本政府は反人権的な慰安婦犯罪に対して賠償せよ」と判決した。正義記憶連帯、民主社会のための弁護士会など市民団体は「人権保護に新たな地平を開いた先駆的判決」と主張したが、日本政府は「国際法違反」だと反発した。菅義偉首相は「1965年の日韓請求権協定で慰安婦問題も完全かつ最終的に解決された」という昔からの言葉を引っ張り出した。
日本は侵略戦争に伴いアジア太平洋全地域に「慰安所」を設置し、朝鮮の被害女性をすべての地域に連行した。韓国240人、北朝鮮219人が申告・登録されているだけで、被害女性の正確な数は分からない。日本の慰安婦問題研究者の吉見義明中央大学教授は、朝鮮の被害女性を最小4万人から最大20万人と見た。このように大規模に女性を「戦争性奴隷」にした国家は日本だけだ。
戦争は1945年8月に終わったが、被害女性の残酷な傷は暴力の歴史に覆われた。彼女らの覆われた傷が歴史の水面に浮かび上がったのは、1991年8月に金学順(キム・ハクスン)さんが証言してからだった。金学順さんの証言以降、南北をはじめ台湾、フィリピン、中国、インドネシア、マレーシアなどで被害女性らの証言が続き、慰安婦戦争犯罪が韓日の外交懸案を超えて国際的な関心事に拡散された。これに対し1991年12月に調査を始めた日本政府は、1993年8月、河野洋平官房長官を通じて「調査の結果、広範な地域にわたって慰安所が設置され数多くの慰安婦が存在し、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。全般的に本人たちの意思に反して集められ、慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった。政府は心からお詫びと反省の気持ちを申し上げ、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」という内容の談話を発表した。この談話は、日本政府が見せた最も前向きな姿勢だった。右派勢力の非難にもかかわらず前向きな姿勢が続いたのには、社会党所属の村山富市首相の3党連立政権の役割が大きかった。
1995年7月、村山政権主導で設立された「アジア女性基金」は「河野談話」の後続措置だった。基金募金のための国民への呼びかけ文で、慰安婦動員の強制性と反人道的性格を指摘し、慰安婦資料の発掘作業を進めるなど「河野談話」を履行しようと努力したが、国家レベルの謝罪と賠償という本質的な解決策を回避したという批判は免れなかった。この限界は、日本の主流勢力である右派の顔色をうかがわなければならない村山連立政権の限界でもあった。
「アジア女性基金」の活動を煩わしい視線で見守っていた日本の右派勢力が危機意識を感じて総攻勢に転換したのは、1996年6月の文部省の検定結果によってすべての中学歴史教科書に「慰安婦問題」の記載が決定されてからだった。「河野談話」の実践でもあるその決定を、右派イデオロギーの代弁者らは「反日歴史教育」「自虐史観」といった言葉で怒りを表現し、右派勢力の結集に乗り出した。その結果、日本最大の右派団体「日本会議」が1997年5月に誕生した。日本会議の結成メンバーだった安倍晋三が首相になった後、日本会議の出身者らは安倍内閣の80%以上を占めるほど威勢を振るった。「宗教団体に近い政治集団」として極右政治を動かす日本会議は、天皇中心の国家体制回帰のための平和憲法改正を唱える。彼らが日本の戦争犯罪を隠そうとする理由はここにある。
終戦後、日本の戦争犯罪を隠すうえで最も大きな役割を果たしたのが広島だ。人類史上唯一の原爆の犠牲地である広島は、太平洋戦争を象徴する空間であり、日本民族の苦難が集約された聖地の役割を果たしてきた。財団法人広島平和文化センターが発行した「ヒロシマ読本」には、「広島は世界平和のメッカとして認められた」と書かれている。毎年数百万人が訪れる広島は、日本の未来世代である小中高生を対象に平和教育の空間の役割を果たす。この神聖な空間の中に、日本の戦争犯罪が染み込む隙はない。
日本の右派勢力にとって「慰安婦問題」が目の上のこぶである理由は、被害女性らの存在自体が侵略戦争の生々しい跡であり、闇に隠された戦争犯罪を明らかにする灯火の役割をしてきたからだ。この灯火を完全に消すための安倍政府の会心のプロジェクトが、2016年7月に発足した「和解・癒し財団」だ。
朴槿恵(パク・クネ)政権の属性を見通した安倍政権は、米国の韓日米軍事同盟強化の圧力という政治的エネルギーを有効に利用し、慰安婦被害女性と遺族に日本政府の拠出金10億円を支給する「和解・癒し財団」を朴槿恵政権に作らせた。村山政権が「アジア女性基金」を作った時は「河野談話」をそれなりに履行しようという努力が見えたが、「和解・癒やし財団」の場合、安倍政権が行なったのは10億円の拠出金がすべてだった。10億円の代償は「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決」だった。朴槿恵政権は「歴史の魂」を冒涜するその提案を受け入れることで、冒涜行為を安倍政権と共に行なってしまったのだ。
「慰安婦として連れて行かれないように早く結婚した」と生前に告白した『土地』の著者パク・キョンリは、『日本散考』で「ナチスが犯したことを清算したドイツと、清算しない日本、むしろ侵略を正当化して小学校の年齢の子どもまで戦線に派遣し、一日数十人の兵士を相手する地獄を演出しても馬耳東風、米軍が性暴力をしたとしていま国論が沸き立っている日本、いったい日本とドイツはどう違うのか。ガス室と慰安婦が同じではないからだろうか。魂と肉体が同時に破壊される慰安婦がガス室の惨事を上回るのに」と書いた。
日本では広島がアウシュビッツと並ぶ。それで広島に「ヒロシマ・アウシュビッツ委員会」まで作られた。1980年代後半には広島近くの小都市にアウシュビッツ記念館を建てようという計画も立てた。アウシュビッツには「記憶されない歴史は繰り返される」という文字が刻まれている。日本は広島を通じて日本人の犠牲を記憶しようとするが、彼らの戦争犯罪は記憶することを拒否する。1987年に日本の平和運動家グループが広島平和博物館に日本の侵略の記録も展示するよう請願したが拒否された。韓国人被爆者のうち相当数が強制労働者だったことを公式に認めるよう求めたが、それも拒否された。教育の本質は真実を明らかにする力を育てることにある。しかし、日本は彼らの未来世代に真実そのものを隠す教育をしているのだ。
慰安婦被害者のキル・ウォノクさんは「日本の土地を全てくれたとしても、私を13歳に戻すことはできない」と話した。この胸のえぐられる犠牲がヒロシマの犠牲と出会い、互いの心に染み込んでこそ、韓国と日本の真の和解が始まるだろう。
チョン・チャン|小説家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)