ああ、行く、行く、ついて行く/忘却の中にある間島と遼東平野へ/飢えた命抱えついて行く/泥を飯に、下水を飲めど/馬具でもあったらぐっすり眠れたものを/人間を作った神よ、一日も早く/いっそ飢えた命を奪い去れ!
(李相和「もっとも悲痛な嗜欲」1925年より、金應教訳)
スクリーン一杯に広がる真っ青な大海原。空高く一羽の海鳥。自然の広大さと美しさを謳歌するかのようだ。その海面に一つの点のような船が浮かんでいる。カメラが近づくと、救命胴衣をつけた人々がぎっしりと乗っている。地中海を渡ろうとする難民たちを満載した船なのだ。乾ききった砂漠。冷たい雨が降りしきる辺境の鉄道駅。軍事用鉄条網で無慈悲に隔てられた境界。氷雨に濡れたまま呆然とたたずむ人々。腹を空かせ、寒さに震え、疲労と睡眠不足に苛まれている。まさに「泥を飯に、下水を飲んで」いる人々の列である。
映画を観ている間ずっと、私の脳裏で李相和の詩句が反復していた。1920年代に朝鮮半島から満洲へと流れる難民の群れ、2017年に中東からヨーロッパを目指す難民の群れ。二つの列は100年の時を隔てて1本につながっている。長い列は全世界に及び、いつ終わるとも知れないのだ。「ああ、神よ。いっそ飢えた命を奪い去れ!」
その映画はアイウェイウェイ(AI WEIWEI)監督の長編ドキュメンタリー作品「ヒューマン・フロー/大地漂流」(HUMAN FLOW2017年ドイツ)である。アフガニスタン、バングラデシュ、ガザ、からヨーロッパ諸国、トルコ、米国・メキシコ国境地帯にいたるまで、世界23カ国40カ所もの難民キャンプを巡って制作された。「難民問題」の最前線を一望のもとに収める、巨大なパースペクティヴ。その映像は美しく、凄絶である。画面に時折、監督自身が効果的に姿を現す。たとえば難民キャンプの散髪屋で頭を刈ってもらっている姿、アメリカ‐メキシコ国境地帯でオートバイに乗った国境警備官にのんびりとした口調で話しかける姿。古代中国の仙人のようでもあり、田舎の農夫のようでもある。その姿が、このテーマの長大な叙事詩的尺度を感じさせる。
中国のアーティスト・アイウェイウェイは2008年北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」の設計に参加して世界にその名を知られた。同時に彼は、人権運動にも奮闘する反骨の社会運動家である。そのため2011年には当局によって北京の自宅に軟禁されたが、翌12年にはドキュメンタリー映画「アイウェイウェイは謝らない」(アリソン・クレイマン監督)で、厳しい監視下にあっても自己の信念を貫く姿を全世界に示した。
その後ベルリンに移り、「難民」を正面からテーマにする作品に取り組んでいる。私は2017年、横浜トリエンナーレの主会場である横浜美術館の壁面全体に無数のオレンジ色の物体が貼りつけられて、折から台風の風雨に打たれて激しく揺れているのを見た。アイウェイウェイのインスタレーション作品であった。実際に難民たちがそれに乗って海を渡った(あるいは渡るのに失敗した)ゴムボートを使用したものだ。
「もし芸術家たちが社会の良心を裏切ったら、人間であることの根本原則を裏切ったら、いったい芸術はどこに立っていられるんだい?」(AI WEIWEI SPEAKS with H.U.Obrist, 2011)。
「社会の良心」「人間であることの根本原則」このような考えは、現在の私たちの社会では軽侮されるか、少なくとも疑いの目を向けられているのではないか。このような素朴とも見える人道主義を、これほどの確信をもって、これほど力強く、これほどの説得力で語る存在はアイウェイウェイの他に見あたらない。「人道主義」という名の防波堤はいま、地上のいたるところで決壊し始めている。いっそ人間に絶望してしまいたくもなる。だが、それと同時に、農民が何百年と変わることなく、干ばつで荒れた畑を営々と耕してきたように、良心や人間性を私たちに思い出させる人々がつねに存在し続けてきた。そのことにも、アイウェイウェイによって気づかされるのである。
もう一本、最近見た映画の話をしておきたい。クリスティアン・ペッツオルト(Christian Petzolt)監督の「TRANSIT」(日本語タイトルは「未来を乗り換えた男」)である。原作はアンナ・ゼーガース(Anna Seghers, 1900年 - 1983年)の小説。この小説家の名をずいぶん久しぶりに聴いた。彼女の作品が、いま再読され、映画化までされたことに興味を掻き立てられる。やはり時代がそれを求めたのであろう。ドイツにはその求めに答える映画製作者がいたのだ。
1920年代から作家として活動を始めたゼーガースは、28年にドイツ共産党に入党。33年、ナチスが政権を取るといったん逮捕されたが、結婚によってハンガリー国籍に変わっていたため釈放され、亡命してフランスに逃れた。1940年にナチスの勢力がフランスに及ぶと、次の亡命先を求めてマルセイユへ移り、41年にメキシコへ亡命した。この作品はこうした彼女自身の命がけの実体験に基づいて、マルセイユで書かれたものだ。
「TRANSIT」とは通過査証のことである。当時のマルセイユは戦争とナチスによる迫害を逃れて他の国に渡ろうとする人々がひしめき合っていた。この人々は、通過査証をはじめ各種証明書の取得のための煩雑な手続きと、冷酷な官僚主義に翻弄され苦しめられた。このようなカオスの中で出遭った男女の、哀切きわまるロマンスが描かれる。サスペンス風の作品でもあるので筋書きをこれ以上書くことは慎んでおこう。ただ、故郷を追われた者たちの極度の不安をこれほど深くつかみ出して見せた作品は稀であるとだけ言っておこう。
この映画の優れた着想は、70年以上前の歴史を描きながら、マルセイユの街や行き交う車両、港を出る船などはすべて、現在のものであることだ。難民たちが身を寄せ合って暮らす低所得者用住宅は現在のものであり、そこに住む人々は中東系、アフリカ系の人々である。一斉取り締まりに襲いかかる警察の車両や制服も現在のものである。一般に観客の多くは、映画の中に見たものがどんなに悲惨な出来事であっても、それを過去のことと了解することによって、わずかに安心を得ようとする。だが、この映画はそのことを許すまいとしているのだ。1940年代のヨーロッパ難民たちの運命は、現在の難民たちの運命である、この映画は過去を描きながら現在を問うているのである。
3・1独立宣言100周年である。李相和は1900年、つまり20世紀の始まりの年に生まれた(アンナ・ゼーガースと同い年である)。彼が10歳の時に日本による「併合」が強行され、19歳の時に3・1独立運動が起きた。彼自身友人とともに決起を計画したが事前に発覚して挫折。1923年に東京に渡ったが、同年9月関東大震災に遭遇した。多くの同胞が虐殺される現場を経験し、自身も自警団に捕らわれて命を落としそうになったという。冒頭に掲げた詩は、1920年代の日帝による農村収奪の結果、流民となって北へと故郷を去っていく人々の姿をうたったものだ。この人々が中国朝鮮族の源流のひとつだ。同じ時期に南に流れ海を渡った人々が在日朝鮮人の源流である。私の祖父もその一員だった。1920年代の朝鮮人農民と21世紀の難民はつながっている。李相和とアイウェイウェイはつながっている。
「3・1独立宣言起草者」の一人韓龍雲は〈「民籍のない者は人権がない 人権のないおまえに何の貞操か」と 凌辱しようとする将軍がいました〉とうたった(「あなたを見ました」『ニムの沈黙』初版1926年)。
「民籍」は日帝が統監府時代に朝鮮民族に押しつけた制度だ。それに抵抗した人たちには、「人権」がない。現在も難民や移民たちはさまざまな証明書の所持を義務付けられ、煩雑な手続きと屈辱を強いられている。証明書のないもの(フランス語で「紙のないもの=サン・パピエ」)には「人権がない」のだ。韓龍雲の詩句は現在まで続く難民たちの苦しみを予見している。なんと天才的な洞察! 韓龍雲とゼーガースは続いている。詩人たちにそうした洞察を要求する状況がいまも変わらず、いやますます精緻かつ苛酷に続いている。
韓龍雲は8・15解放を見ることなく死んだ。「ツバメの群、はるか飛び来るを待つ」とうたった李陸史は、中国大陸で抗日独立運動に従事して、日本の領事館警察に捕らえられて、北京で獄死した。「死ぬ日まで一点の恥もなきことを」とうたった尹東柱は、日本の同志社大学で学んでいた時に「独立企図」の嫌疑で検挙され、解放半年前に福岡刑務所で獄死した。これら詩人たちはかろうじて詩によって私たちにメッセージを残したが、多くは言葉を発することも出来ないまま無惨に命を奪われた。
3・1独立運動から100年――私は早春の東京で2本の映画を見て思う。ああ、なんと長い難民たちの列。なんと多くの涙と血。この膨大な犠牲にもかかわらず、いまもまだ全世界で苦しみが続いている。日本では歴史修正主義者が権力を握り、国民多数の間に植民地主義の心性が、むしろ増殖している。闘いは終わらない。
韓国語原文入力:2019-02-28 18:13